小さな訪問者

「……ああああああ」


「あの、エルザ様、お気持ちはわかりますがその、そろそろお話を」


「そうよね、うん、そうなんだけど、そうなんだけどね……あああもおおお」


「これは重症ですね」


「あはは……」


 アニーが隠そうともせずにため息をつくと、マリーがなんともいえない苦笑いでそれに応じた。私はといえば、昨夜からクレアとのやり取りが脳内を引っ掻き回してちっとも考えをまとめられずにいた。


 多少の拒絶は想定していた。いや、向こうがこちらを避けているのだから、拒絶もなにも、こちらの言葉が簡単に届かないだろうことも頭ではわかっていたし、昨日のあの場に飛び込んだのだって、なにもあの場でクレアと和解できると考えたわけじゃなかった。

 クレアとユベルが廊下で揉めていると聞いていても立ってもいられなかっただけで、事態の解決ではなくその場で起きている問題解消の手助けができればと思っただけ。頭ではそのつもりだったのに。


 クレアを目の前にしたら、とりあえず事態の収拾を、なんて考えはどこかへ飛んでいってしまった。


 思わず手を掴んでしまったのだって思い返せば悪手でしかなかった気がしてならない。だって理由がどうであれクレアはいま私を避けているわけだし、避けている相手が自分に寄ってきたらいい気持ちになるはずがないのが道理ってものよね……。


 手を振り払われたことに、私は自分で想像していたよりずっと大きなショックを受けていた。拒絶されることは当然と思っていたのに、頭で理解していたそれを心が受け止める用意はできていなかったらしい。


「ああああクレアに嫌われたぁぁ……」


「入学前を思い出しますねぇ」


「ええと、あの、げ、元気出してくださいエルザ様!」


 頭を抱える私に対する二人の反応は対照的で、アニーは自分で用意したお茶を立ったままのんびりすすっており、マリーは中庭に通りかかる人がいないかと廊下の方を気にしながらも私を慰めてくれている。

 私とマリーの前にもアニーのお茶が用意されているが、中庭に着くなり自己嫌悪で頭を抱えている私と、そんな私に遠慮しているらしいマリーは手を付けていなかった。


「お嬢様、そろそろ気を持ち直しませんと、お昼の休憩だってそうそう時間はないのですから」


「う、わ、わかってるわよ」


 アニーに淡々と促されて、さすがに私も顔を上げる。クレアを助けるためには、落ち込んでいる時間が勿体無いものね。……や、わかってても気落ちはするんだけど。


「えっと、それで何だったかしら。マリー様のお兄様でしたか?」


「あ、はい。状況に直接影響はないと思うのですが、クレアラート様とのことを知られてしまいまして」


 マリーが申し訳なさそうに言うが、傷を見られてしまったなら仕方ないと思う。むしろ、聞けばその上でクレアが一方的に悪者にならないよう配慮して説明してくれたみたいだし、いずれはバレることだったと思えばマリーは最適な対応をしてくれたと思う。


 マリーの兄、というとツェレッシュ家の現当主、ザルツバーク・ツェレッシュか。直接の面識はないけれど、ツェレッシュ家という難しい立場ながらも下級官吏から地道に出世している若手貴族の中ではやり手の男だったと記憶している。

 会ったことがないのでゲームに登場していたかはわからないのだけど……これだけマリーの身近にいる人間だからおそらくゲームのシナリオにも関わっているのだろう。私の知りうる限りでは評判の悪い人間ではないから、現時点ではひとまず敵対されないように祈るしかない。


「どちらかといえば問題は殿下の方ですね……」


「う、そうですね」


 私の言葉にマリーは今度は気まずそうに視線を逸らす。別にマリーを責めたつもりはなかったのだけど……まぁでもユベルのあの暴走に近い行動はマリーの怪我が理由だしね。マリーのためにしたこととなれば彼女も責任を感じているらしかった。

 ……その原因になった怪我はクレアがしたことだから自業自得なのよね。それについてはフォローの仕様がない。なんというか、クレアがつくづく悪役令嬢だと実感させられる流れだ。


 とはいえ、ユベルの暴走は看過できない。まずはそちらに対する対策を立てないと、このまま勢いだけで婚約破棄なんてされたらたまらない。ユベルのことだから何も考えずに婚約破棄を公表したりはしないだろうけれど、クレアとマリーの対立がこのまま続けばクレアに一方的に婚約破棄を突きつける可能性もないとは言い切れない。


「すみません、私が不用意に怪我を見られてしまったせいで……」


「そんなことで貴女を責めはしませんわ。どのみち殿下はクレアとの婚約破棄には積極的でしたし、あんなことになる前に対策をしなかった私の落ち度です」


 クレアを救おうという大きな枠組みで考えた時、ユベルの存在は重要ではあったが優先度が高いとは考えなかった。

 というのはゲームでユベルがクレアの断罪を決行するのはマリーの存在が大きく関わっているし、現状の二人の関係がゲームの同じ場面ほど進展しているとも思わなかった。


 もちろんユベルがいつ婚約破棄を告げるか、というのは時間との戦いではあったが、最悪の場合でも公衆の前での断罪に至るにはまだ猶予があると考えていたのだ。


 その考え自体は間違っていなかったと思うのだけれど……。


「殿下にもこちらの事情を伝えて協力してもらうしかないのかしらね」


 私の呟きにマリーは曖昧に頷く。そうした方がいい、というのと実際にそれができるかどうかは別問題だった。


「あのボンクラ……もといバカ王子でも、マリーナ様のためということなら協力頂けるのでは?」


「いやアニー、それ訂正した意味ないから」


「これは失礼しましたマリーナ様」


「い、いえ……」


 相変わらずマリーが苦笑いするだけでこれといって反論しないのは、私達に気を遣っているのか、あるいは彼女自身も多少は思うところがあるのだろうか。


「そりゃ殿下を引き込めるならそれに越したことはないけれど、あの人はマリー様と違って思いっきりクレアに敵意むき出しじゃない」


「ですがお嬢様、最終的に穏便に婚約破棄を済ませるのなら遠からずボン……殿下には協力願うことになりますよ」


「う、そうよね」


 先送りにすることも出来なくはないが、いつかは対処しなければならないのはアニーの言うとおりだ。

 とはいえそのためにはユベルを説得できるだけの何らかの材料は必要になるだろう。


「マリー様、殿下の弱点とかご存知ありませんの?」


「さすがに心当たりはありませんよ」


「ですよね……」


「それに殿下は当事者の言葉でなければなかなか耳を貸してくださらないかと……頑固というわけではありませんが、良くも悪くも現場の声、本人の行いを重視する方ですし、怪我をした私が彼女を庇っても逆効果かと」


 こうして改めて聞くとわかりやすいクセに厄介な相手なのよね、ユベルって。

 本人の言葉を大事にするというのは一対一で対話できるならやりやすいのだけど、当事者の片割れであるクレアに対話の意思がないとなると途端に交渉が難しくなる。


 私達が何を言ったとしてもそれがクレアの本心だと証明できなければ聞いてもくれないかもしれない。

 元々好意的であったならまだしも、互いにドライな関係だったところにマリーを挟んで以降は関係が悪化している。


 クレアのあの態度から、本当は家の名に囚われているんだ、なんて言えるのは私がゲームで見てきたからであって察しろというのは難しいし……。


「せめてもう一人、私達とは違う角度から説得材料を提示できる人がいればと思うのですけれど、マリー様に心当たりとか――」


「申し訳ありません……」


「そうですよね、クレアの態度に惑わされず本心を見抜いて、なおかつ私達に協力してくれる人なんて……」


「あの!」


 唐突に割り込んできた声に私達がびくっと方を跳ね上げて振り返ると、そこには。


「お、お話がありましゅっ、〜〜〜〜!」


 舌を噛んだのか涙目になって口元を押さえていたのは。


「……リムちゃん?」


 予想外の人物の登場に、私達は目を丸くして彼女を見返した。

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