兄さんは心配性
更新止まっててスンマセンっした!
基本的に他サイト掲載と同時にこっちも更新なんですが、そっちが止まってるとこっち投下するのも先送りしがちで…。ちょっと何話かまとめて投下します。
* * *
「……説明してもらおうか」
「え、と……料理中に、怪我を」
私の言い訳に、ザルツ兄さんの眉が釣り上がる。もともと冷徹で鋭い顔つきの兄さんがそうして目つきを険しくすると、人柄を知っている私でもヒヤリとしたものが背筋を撫でた。
「まず第一に、貴族令嬢は厨房に立ち入らないと教えたはずだ。まぁ、それがお前の趣味の一環であるなら必要以上にとやかく言うつもりはない、ないとも。だが、そんな怪我を負うような危険があるなら厨房への出入りを禁止する必要があるかもしれんな」
第二に、と兄さんの言葉は続く。
「俺の知る限り厨房で行われる料理の工程の中に、手首にまるで誰かに故意に傷つけられたような跡が付く事態になるようなものは思い当たらない。無論俺も料理は専門外だが、必要なら料理長に確認しよう。そんな傷をつけるような料理が何であるのか、実に興味深いな?」
「うう……」
わかりきっていたことだが、兄さんの追及からはとても逃げられそうにない。ちらりと兄さんの隣に目をやるが、黙り込んでいるレア姉さんの視線も険しく、援軍は期待できそうになかった。
ちなみに、例によってティーは既に私のベッドですやすやと夢の中だ。……あの子最後に自分の部屋で寝たのいつだったっけ。
「それでマリーナ。もう一度だけ聞くぞ? 誰に、何をされた?」
……ごめんなさい、エルザベラ様、クレアラート様。私、兄さんのこの凍りつくような目には抗えそうにありません。
結局私は最低限、ユベル様と掲げている目標やエルザベラ様との密会など、まだ表に出してはいけない要素を伏せて、いま私とクレアラート様との間に起きていることを洗いざらい話してしまった。
クレアラート様が悪者に聞こえないように配慮した結果、私の横恋慕についてまで白状させられてしまったのは乙女心には厳しいものがあったけれど……そこを伏せたまま自分は何もしていない、と言えるほど私は恥知らずではないつもりだった。
「……なんてことをしてくれたんだ」
「よりにもよって殿下とフォルクハイルかぁー」
額に寄った皺を揉みほぐそうとする兄さんと、よりにもよって、などと言いつつもどことなく楽しそうな姉さん。それぞれの全然違う反応に、私は曖昧に笑って誤魔化すことしかできない。
やっぱり、ツェレッシュ家的に次期国王に横恋慕はマズイのかしら。……マズイわよね、普通。よその貴族だって一大事になりそうなものなのに、それこそよりによってツェレッシュ家とヴァンクリード家では。
「でもま、ザルツ。好きだのなんだの言えるくらい元気になったんだからさ。ここは喜んであげるところじゃないの?」
「にしたって相手が悪すぎるだろうが。仮にいま殿下とフォルクハイルの両方にそっぽを向かれてみろ、俺達の家なんてどうにでもできる連中にだぞ。平民に落とされるくらいで済めば御の字だ」
「いやぁ、うちの血筋でそれはないでしょ。よくて投獄、悪くて処断じゃない?」
いつもと変わらない調子で放り出された姉さんの言葉に、一拍置いて思考が追いつき、スッと顔から熱が引いていく。
投獄か処断? 私のせいで、この家のみんなが?
「そ、そんな」
思わずぶるりと身震いする。絞首台に並んで立たされる私達の姿を思わず想像してしまった。大勢の野次馬に囲まれながら、私達は青い顔で台上に引きずり出され、一人ずつ首に輪を――。
……嫌な未来を想像してしまった。忘れよう。後悔しても遅いのだから、いまはそんな最悪を回避するためにどうすればいいか、頼れる兄姉の意見を聞かなくては。
断罪の席に立たされるなんて、考えたくもない。考えたところで気持ちが沈み込むだけだ。
「……ーナ、リーナ! 大丈夫?」
「姉さん」
名前を呼ばれたことにやっと気づいて顔をあげると、心配そうに覗き込む姉さんと目が合った。
「顔色が悪いよ。もうザルツが脅かすから!」
「一番恐ろしい想像をさせたのは俺ではないと思うんだが……すまないマリー。怖がらせるつもりではなかったんだ、俺もカトレアも、ちょっと悪ふざけしただけだ」
がしがしと乱暴に頭を掻きながら決まり悪そうに言った兄様は、そのままぽふっと私の頭に手を乗せた。
「まぁ、なんだ。相手の家がどうとか、周囲の反応がどうだとか、そもそも婚約者のいる相手はマズイだろうとか、色々と思うところはあるが……その辺、お前も覚悟してのことなんだろう?」
「……はい」
そうだ。周囲にどう見られようと、この気持ちに嘘はつかないとあの教会で私は両親に誓った。誓ったのだというよりも、誓えた、という方が正しい気がするけれど、どちらにせよその気持ちに偽りはなく、誓いに背くつもりもない。
「なら、構わないさ。恋の結末なんて、家族だろうと友人だろうと、他人が口を出すことじゃない」
「そういうこと。あたしたちの事は気にしなくていいから、たっぷり恋の鞘当てしておいで。で、瑞々しい恋愛エピソードを是非聞かせてよね」
「……ありがとう、兄さん、姉さん」
「カトレア、傷の手当をしてやれ。マリーナも、あまり俺たちを心配させてくれるなよ」
「はいはい。お兄ちゃんは心配性なんだから、ねぇリーナ?」
気負いなくいつもと変わらない二人に、私は安堵を覚えて微笑む。
思えばこの気持ちを胸に抱いてから、私は一度もそれを認められてこなかった。ユベルを好きな気持ちに恥じるところは一つもないとしても、どんなに認められなくても譲る気がないとしても、それでもクレアラート様とユベル様の関係に割り込もうとしている私は悪者だという気持ちが拭えなくて。
でも、二人は苦笑いながらも「やってみればいい」と認めてくれて。
身近な人に気持ちを肯定されることがこんなに心強いとは思わなかった。好きになったら仕方ないと思いながら、心の何処かで好きになってごめんなさいと、誰にともなく謝り続けていた私は、ようやく自分の気持ちを素直に肯定できる気がした。
だからこそ。
正々堂々、クレアラート様と向き合わなくてはいけない。現状のように彼女を追い込んでしまう形は絶対に正しくない。
待っていてください、クレアラート様。私は、私達は、絶対に貴女を救ってみせますから。だからその時には。
――目一杯恋の話を、しましょう。
* * *
「……色恋か。ううむ、ああは言ったが、とはいえ」
二人が立ち去ったあと、家族会議恒例のツェレッシュ邸の食堂でザルツバークは呻くような調子でぶつぶつとぼやいていた。妹たちにはああ言ったものの、ザルツの内心ではこの一件、それほど気軽に受け止められることではなかった。
「くそ、政治の話ならどうとでもやりようがあるんだがな」
少年少女の個人的な感情を理屈でどうこうできるなどとは思えないザルツは、どうしたものかと顎に手を当てて思案する。
マリーナに言った言葉も嘘ではなく、間違いなく本心ではあった。自分たちに遠慮して好きな気持ちを閉じ込めてほしいなどとは思っておらず、けれどいくらなんでも相手が厄介すぎるというのも素直な気持ちである。
次期国王が相手というのも大概問題だが、それでも自分の代になってツェレッシュ家としては王家とそう悪い付き合いをしてきたとは思っていないザルツは、実のところ王家の面々についてはさほど心配していなかった。
問題なのはそちらではなく。
「保守派筆頭のエルトファンベリアか……」
代々保守的な色の強いエルトファンベリアは婚姻に関しても旧態依然とした考えで一貫しており、恋愛結婚なんてものにはなんの価値もないと思っている連中の総本山みたいな家である、ということをザルツはこれまで社交界で接してきた彼らの姿からはっきりと読み取っていた。
まして今回は王家との婚姻であり、現三公家内で唯一ここ二百年ほど王家との縁戚関係に乏しいエルトファンベリアにとっては間違いなく逃すことのできない機会であろうことは想像に難くない。
たとえその婚姻が覆らなかったとしても、横槍を入れたというだけでツェレッシュ家に対して圧力がかかったとしても何ら不思議ではなかった。
「……ダメ元だが、先に話を通してみるか」
過度な干渉をするつもりはないが、と自分に繰り返し言い聞かせながら、ザルツ明日にでもある人物に相談しようと決め、持ち帰りの仕事に手を付けるべく執務室に引っ込んだ。
今夜は仕事にならなそうだ、と軽くため息をつきながら。
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