年下侍女、決断する

 意を決して扉をノックすると、意外にもあっさりと「開いていますわ」と入室を促す声をかけられた。夜も遅いのでもしかしたら既に床に就いているかとも思ったけれど、お嬢様の声からは眠気も感じられない。

 ごくりと一度唾を飲み込んで、私は扉を開いた。


「お嬢様」


「来ると思っていましたわ、リム。今日は一日、妙にそわそわしていましたものね?」


 クレアラートお嬢様は少し得意げに微笑むが、その表情には以前のようにみなぎる活力は感じられない。それどころか、今日はここ数日のうちでも一段と疲れた顔つきをしているように見えた。

 昼間の学院でユベルクル王子殿下、マリーナ王女殿下、そしてエルザベラ様を相手に啖呵を切ったと侍女仲間から聞かされた時は私の方が卒倒しそうになった。ただでさえ最近は無理をしていたお嬢様にとってそれは、無理に無理を重ね、無茶を無茶で上塗りする行為でしかないと思う。それがどれほどの負担だったのか、想像するだけで胸が締め付けられる思いだ。


「あの、お嬢さ、ま……っ!」


 口を開きかけた私は薄手の寝衣から覗くお嬢様の手首が真っ赤に腫れているのを見て思わず言葉を失った。


「お、お嬢様、その怪我は、あの、どうして」


「ああ、これですの? 別に、大した怪我じゃありませんわ」


「そんなワケないです! そんな真っ赤で、絶対痛いはずです、お医者様をお呼びしないと! というか、着替えを担当された人たちはなんで報告してないんですか。お嬢様がお怪我なさったなんて旦那様と奥様にすぐに報告しなくてはならないはずなのに!」


「落ち着きなさいリム。別にこのくらい、本当に何でもありませんわ。それに、あの子たちには私が口止めしましたの。貴女にも話していないということは、彼女たちはきちんと口を噤んでいるようですわね」


「そんな、どうして」


「ですから、何もそう騒ぐほどのことではないのですわ。この怪我も、半分は自分でつけたようなものですし」


「自分でって、なんでそんなこと」


「消すわけにはいきませんわ。……親友がつけてくれた、印ですもの」


「親友って――」


 思い当たる人物は一人しかおらず、余計に私は混乱を深める。


 えぇと、お嬢様の親友といえばエルザベラ様で、聞いた限りでは今日の昼間、二人は廊下で盛大に口論をした後、お嬢様が一方的に話を打ち切って立ち去ったらしい。声を荒げる場面もあったそうだが、暴力に発展したという話は聞いていない。


 それに、私の知るエルザベラ様は口論がヒートアップしたからといって我を忘れて手を上げるような人ではなかったと思う。どちらかというと、お嬢様が勢い余ってエルザベラ様に怪我をさせてしまう可能性のほうが高そうにさえ思えるくらいだ。


 けれどそれをそのまま口にしていいものか、私は正直判断に困った。赤く腫れ上がった腕を見るお嬢様の視線は柔らかく、慈愛すら感じさせる。どことなく虚ろなその瞳と相まって、その様子は奇妙な危うさを見るものに抱かせた。


「……エルザベラ様と、仲直り、しないんですか?」


 怪我にも驚いたが、そもそもこんな時間に主人の部屋を尋ねたのは、そのことをハッキリさせておきたかったからだった。お嬢さまがエルザベラ様をとても大切に想っておいでなのはよく知っている。それなのにお嬢さまはなぜか、突然に彼女を遠ざけて現在に至っている。

 私から見ても、エルザベラ様はお嬢さまのよき理解者でいてくれたように見えて、彼女が一緒にいてくれればお嬢さまの将来も安泰だと、思っていたのに。


「仲直り?」


 しかし私の言葉に対するお嬢さまの返事は芳しくない。


「別に、喧嘩をしたとかそういうワケではありませんのよ」


「じゃあどうしてエルザベラ様を避けているんですか」


「今はそうせざるを得ないだけですのよ。貴女が心配することではありませんわ」


 ぴしゃりと言われ、この話題をこれ以上掘り下げるつもりはないという意思表示をされるが、今回ばかりは私もそう易易と引き下がる訳にはいかない。


「どうしてそんなこと言うんですか! 最近のお嬢さまは変ですっ。とっても寂しそうで辛そうなのに、大事な人を避けて、大事なことは言わないで、それで良い訳がないじゃないですか!」


「お黙りなさい!」


「っ」


「これは私の問題です。使用人風情が口を出すことではありません」


「で、でもお嬢さま! お嬢さまにとってエルザベラ様が大切なら、離れ離れになっちゃうのはきっと悲しいことで、仲直りできたらきっと嬉しいはずで――」


「やめなさい!」


 悲壮感のこもった声をぶつけられて、思わず怯む。


「……確かに、私がエルザを避けなければ、以前のように親しく接することはできるでしょう。それを拒むほど、エルザは狭量ではありません」


「じゃあ」


「ですが、それではダメなのです」


 寂しさを滲ませながらも、確固たる意志のこもった声でお嬢さまは和解を拒絶する。


「今のまま以前の関係に戻ったところで、意味はないのです。それではまたいずれ、エルザは離れていってしまう」


 ……エルザベラ様、が?

 積極的に距離を置いているのはお嬢さま自身のはずなのに、なぜかまるでエルザベラ様の方が自分を拒絶したのだと言わんばかりの物言いに内心の冷静な私が首を傾げたが、黙れと言われた以上は黙っているしか無い。


「だから私はまず、為さなければならないのですわ。エルザが他の誰よりも私を選ぶに足る存在だと思えるように、私はならねばなりませんの」


 それまでの間、決して彼女に甘えてはいられないのだとお嬢さまは訴える。

 頑なな態度は、私が何を言おうとも、否、たとえエルザベラ様にやめろと言われても決して聞く耳を持たないであろうと確信できる類の頑固さだった。


「……どうか、無理だけはしないでくださいね」


 それ以上告げるべき言葉が見つからず、私は小さな声で就寝の挨拶を告げるとそそくさと部屋をあとにした。

 思った以上に頑なな態度には驚いたけれど……それならそれで、私はもう一つのやり方を試すだけ、だろろうと思う。


 たとえお叱りを受けることになっても、それがお嬢さまのためになると確信できるなら躊躇う理由はない。幼い私をこうして雇って、そばに置いてくれるお嬢さまに報いることが出来るなら、私はなんだってできるのだ。


 与えられた自室でベッドに潜り込みながら、私は決意を固める。

 明日、早速お話しに行かなくっちゃ。

 そう決心して、目を閉じた。

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