覚醒と盟約
その表情には見覚えがあった。
久しぶりに一瞬だけ駆け抜けた頭痛が頭に残していったのはゲームで見たのだろう数枚のイベントスチル。マリーを中心にそれぞれのスチルに違う攻略キャラクターが並んでいるそれらは、場所も時間もバラバラだったが唯一マリーの表情だけは同じだった。
ファンたちの間で俗に「覚醒」と呼ばれていた瞬間だ。
それまでは打たれ強さこそ発揮していたものの控え目で一歩引いた言動が多かったマリーが、それぞれのルートで課された試練を乗り越えてガラリと雰囲気を変える瞬間。各ルートごとに少しずつ違った変化が見られるのだけど、共通しているのはこの状態に至ったマリーは後に退くことを知らないということだ。
ゲームの各ルート終盤で覚醒したマリーは、そこから怒涛の勢いで物語における正解を貫き続ける、いわば快進撃の開始を告げる顔つきなのだ。
……ただ、その表情に私は一抹の不安を覚えた。物語における正解、とは主人公マリーナと攻略キャラクターに対する正解で、当然そこにはユベルルートでクレアへの断罪を決意する瞬間も含まれる。
私とマリーナが同じ側に立っているならこれほど頼もしいことはない。けれど私たちが同じ方向を向いているとどうして楽観できる?
「そんなに私が協力するのが不思議ですか?」
あまりに私が凝視していたせいか、マリーが苦笑いでそう言った。
「………………いえ」
否定の言葉を絞り出すのに時間がかかりすぎた。マリーはおかしそうにくすくす笑ってから、少しだけ表情を引き締め、穏やかな、けれど強い声で理由を語ってくれた。
「でも、本当に気にしないでくれていいんです。だってこうしてエルザベラ様に協力するのは、私の我が儘みたいなものなんですから」
「我が儘?」
まるでずっとそうしたかったと言わんばかりの言葉に首を傾げると、彼女はそっと頷いた。
「私の中で、クレアラート様がある人と重なるんです」
「ある人……」
「はい。彼女は生まれながらにしがらみを背負って、一度はそれに押しつぶされそうになって……それでも今、笑っています」
誰のことを指しているのか、前世と今世の記憶を手繰り合わせながら考えてみるが、それに該当する人物が思い当たらない。ゲームの登場人物については直接顔を合わせたことがないと思い出せないみたいだから、どうやら私がまだ会ったことのない人について言っているらしい。
誰のことかはわからないけれど、確かに彼女の語る人物像、その境遇はどことなくクレアに似ていた。
「彼女が一番苦しんでいる時に、私は力になってあげられなかったんです。だから……クレアラート様を助けたいと貴女に言われて協力するのは、彼女と同じような境遇のクレアラート様を今度こそ助けたいというだけの、私の自己満足なんです」
「……そう、なんですか」
嘘を疑う必要はない。彼女の瞳はどこまでも真っ直ぐで、その声はとても真摯で、そして何より今の彼女はもう何の疑いもなく、主人公だから。
「ありがとうございます」
だから私はもう一度深く頭を下げる。今度は頼み事のために見せる誠意ではなく、純粋にクレアの友人として。何の見返りも求めず彼女のために手を貸すと頷いてくれた人物への感謝を込めて。
「感謝するのは私の方ですよ。クレアラート様に敵視されている私にこんな機会をくださったんですから」
……ああ、うん、認める。これは認めざるを得ない。
彼女を場合によっては打倒すべき敵になり得るかも、なんて考えていた私の方が間違っていたのだ。マリーナという人間はどこまでも純粋で、他者を傷つけるよりも癒やすことをこんなにも切望している。
私がクレアを助けたいと願うのは相手がクレアだからだけど。マリーが誰かを助けたいと願う時、それはきっと彼女が彼女であるが故で、きっと相手が誰であるかは問題ではないのだ。
「それに、私がこんな風に言えるのもエルザベラ様のおかげなんですよ?」
「私、ですか?」
予想外の言葉に目をパチクリさせる私を見て、マリーは悪戯が成功したような無邪気な笑顔を浮かべる。
「エルザベラ様が仰ったんですよ。『貴女は貴女で勝手になさい』って」
「それは」
いや、うん、覚えてる。言った、確かに言ったけど。
それはクレアに遠慮して自分を引っ込めるなんて主人公のすることじゃない、と思ったからで。主人公である彼女への嫉妬にも似た気持ちを叩きつけたに過ぎない、ほとんど八つ当たりみたいな言葉で。激励ではなく、私には彼女のすることにまで口を出す権利はないからと突き放しただけで。
そもそも勝手にするのはユベルに対しての気持ちだと思っていた、のに。
「だから私は勝手にします。私の大事な人によく似たあの方を放っておくなんてできません。エルザベラ様からお誘い頂かなくても、私は勝手にクレアラート様に手を伸ばしていたと思うんです」
「……それはご遠慮頂きたいですね。無闇に彼女を刺激しないで欲しいです」
「はい、ですから教えてください。私に、あの方のために何が出来るのかを」
そう言って差し出された手を遠慮がちに握れば、予想以上にしっかりと握り返される。決して強すぎるわけではないけれど、その力強さはそのまま頼もしさに転じた。
無条件に協力してくれる味方がいることがこんなに頼もしいとは知らなかった。……なんて、これ以上彼女を立派な主人公にするのは癪だから、口には出さないけれど。
「よろしくお願いします、マリーナ王女殿下」
「どうかマリーとお呼びください。私たちはもう、盟友でしょう?」
ふふっと笑顔を向けられて、照れくさくて視線をそらす。ああもう、一つしか違わないくせに肝心なところでちゃんと年上なんだもの。こっちは意地にもなるってものだ。
交わした握手は盟約の印。
長く停滞していた時間が終わるのを感じ、私は確かな高揚を覚える。
……待っててねクレア。やっと私は、貴女を救える気がしているから。
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