マリーナ:破 ⑧ 兄姉は笑い、末妹は悶え
城下に降りたい、と言ったら姉さんに泣きそうな顔をされた。
「……えっと、やっぱりここの暮らしは馴染まなかった、かな?」
「ち、違います違います!」
慌ててぶんぶんと首を横に振る。なかなかとんでもない誤解をされている気がする。
「じゃあ何が不満なの! 私達に出来ることなら頑張るから、だから出ていくなんてそんな悲しいこと言わないでよ!」
「出てっ……!? いえあの、そんなつもりは全く」
「なんだとマリー、お前この家を出るつもりか!」
「兄さん!?」
なぜ書斎に篭もったはずの兄さんが食後の食堂に現れるの! 姉さんに相談してから話そうと思ってたのに。
「慣れない環境に戸惑う気持ちはわかる。多少状況が落ち着いてきたからこそ気がかりなことも出てくるだろうが……俺達も出来る限りフォローする。もう少し、俺たちと家族になることを考えてみてはもらえないか」
なんかすごく真剣に説得されてる! 違うの、別に家を出るとかここでの暮らしが辛いとかそういうことじゃなくて! 兄さんたちが家族として私を受け入れてくれているのは日々すごく感じているし、感謝こそすれ不満なんてあるはずもない。
両親と暮らした家でなくとも、ここが今の私にとっては家と呼べる場所で、兄さんたちが大切な家族だというのはもはや言うまでもない。そこに疑問や苦悩を挟んだことは一度たりとも無い、のだけど。何で私、こんなに心配されて出ていく気もないのに引き止められてるの?
「…………リーナ、いなくなるの?」
「ティー!?」
なんで、なんでみんな集まってきちゃってるの? いつもならこの時間はみんな部屋でゆっくりしてるじゃない! ……ああいや、ティーはよく私の部屋に来てるけど。
こっそりと姉さんに相談したつもりがなぜか家族会議の様相を呈し始めた状況に私が目を白黒させている間に、ティーがてててと駆け寄ってきてひっしと私の腰に抱きついた。
「だめ! リーナはティーのお姉ちゃんなの、一緒に遊ぶって約束もしたの! まだ読んでないご本もたくさんあるのに、それなのに出ていくなんて、ダメ、だめなん、だか……ぐすっ」
「ちょっ、ティー泣かないで! 誤解だってば」
「だめ、だめなんだからぁ……」
「大丈夫よ、出ていったりしないから。私はずっとティーのお姉ちゃんだから」
「……ほんと?」
「本当よ、大丈夫だから泣かないで、ね?」
抱きついたまま潤んだ目で見上げてくるティーを安心させるように微笑んでよしよしと頭を撫でる。しばらくぐすぐすと鼻をすすっていたティーだったが、ほどなくして安心したように笑うと、泣いたからなのか眠そうに大きくあくびをした。
「ずっと……一緒……」
「うん、ずっと一緒にいるわ」
「りーな……えへへ……」
「ほら、ベッドに行きましょう」
よいしょ、とティーを抱えあげる。
なにか言いたげな兄さんと姉さんに「ちょっと待っててください」とお願いして部屋へ戻る。もちろんティーの部屋ではなく私の部屋だ。
「ほら、ティー」
「んんー……」
すっかりおやすみモードになったティーに苦笑しながらもその体をそっとベッドに下ろす。
「……またあとでね。おやすみ」
いつも母さんがしてくれたように、ティーの額に優しく口付ける。くすぐったかったのかもぞもぞと身を捩るティーの頭をそっとひと撫でして、私は食堂に戻った。
「あの、本当に出ていくつもりはない、んだよね?」
開口一番、未だどこか不安げな表情の姉さんにそう問われて、私は苦笑とともに頷く。
「もちろんです、こんな素敵な家族のもとを離れるなんて、嫌ですよ私」
「よかった」
「わぷ」
抱きつかれたというのか、抱きしめられたというのか。私より少しだけ背の高い姉さんはいつもかがんでティーを抱くように私の頭を胸元に抱える。おおお柔らか……いやいや。
「よかったぁ……」
「びっくりさせてごめんなさい、姉さん」
「……ほんとに、びっくりしたんだからね?」
「はい」
「あたしの早とちりだったかもだけど、それでも、びっくりした」
「ごめんなさい」
「いいよ、ちゃんとうちに残るって言ってくれたし……素敵な家族なんて、私が言いたくても我慢してたことまで言ってくれちゃって、もう! 可愛い妹め、この!」
「わ、ね、姉さん苦し――」
「あーもう、リーナ大好き! ザルツもティーも大好き! 何この家族最高むしろ最強! 今日はみんな一緒に寝る!」
「落ち着けカトレア」
「あうっ」
兄さんの手刀を受けて姉さんの腕がゆるむ。その隙にあわてて拘束を脱すると「あー……」と姉さんが残念そうな声を出した。温もりはちょっと惜しい気もするけど、さすがに呼吸には変えられないよ姉さん。
「それで、家を出るって話じゃないのはわかった。だがそれなら、城下に降りるってのは何の話だ?」
「あ、はい、それなんですけど」
私がいま一度城下へ、私が暮らした街へ戻りたい理由。
「その、ちゃんとお別れを、したくて」
「お別れ?」
首をかしげる姉さんに頷いて、少しだけ言葉を足す。
「両親と、私が育った家と、街に。私の今までに、ちゃんと区切りをつけたいんです」
「それは……」
またも二人が揃って暗い顔をしそうになったので私は慌てて続けた。
「ち、違うんですよ、今の暮らしが嫌だとか、昔の方が良かったとか、そういうことじゃないんです。ただ、私はあの日、唐突にこの家の一員になって、心の準備とか全然出来てなくて……だから、というわけじゃないかもしれないですけど、今の自分が王家の令嬢なのか町娘なのか、時々それが迷子になってしまうんです」
ティーと話すとき、ユベル様と話すとき、それから……クレアラート様と話すとき。いつもどこか足下が不安定な感覚に苛まれるのはきっと、私自身が、自分が何者であるかを決めかねているからだ。
ティーを幸せにしたいということも、そのためにユベル様に協力するということも、クレアラート様に思わず反抗してしまったことも、そのいずれに対しても令嬢たらんとする私と、町娘のままでいたい私がせめぎ合っているから、余計に複雑になってしまうのだと思う。だから今の私に必要なのは「自分が何者なのか」を自分自身がちゃんと見据えること、じゃないかと思ったのだ。
「だから、一度だけ。町に戻って、家を見て、両親が眠っている教会へ行って、ちゃんとお別れしたいんです。ちゃんと、向き合いたいから」
向き合いたい。城下で暮らした過去と。これからを一緒に生きるツェレッシュ家のみんなと。同志となったユベル様と。いつも厳しいクレアラート様と。
全部、一つ一つと、ちゃんと。
「でも、私達はよくてもそう簡単に城下には――」
「わかった、手配しよう」
「ザルツ!?」
「だが一度だけだ。今回は特例だということを忘れないで欲しい」
「……ありがとうございます、兄さん」
「可愛い妹の頼みだからな」
頭を下げた私に歩み寄ってきた兄さんが、くしゃくしゃっと乱暴に私の髪を乱す。撫でられているらしいとわかって、伏せた顔に思わず笑みが浮かんだ。
「俺の方から陛下に上申しよう。なに、うちはティーのことで王家に貸しがある、一度の帰郷くらいなら目を瞑ってくれるさ」
「……そうだね」
諌めても無駄だと判断したのか、姉さんは苦笑を浮かべて兄さんに同意した。
「後のことは俺とカトレアに任せろ。日時についてはこちらで勝手に調整するが、問題ないな?」
「はい、いつでも大丈夫です。ただ――」
「なるべく早く、だろう。わかっているさ」
そう言って得意げに笑う兄さんは、一緒に暮らし始めて二ヶ月そこそこだとは思えないくらいに頼もしく、理解ある「兄」で。その隣でしょーがないなーと微笑む姉さんもやはり、これ以上無いほどに「姉」だった。
「……ありがとうございます」
「そう何度も頭を下げなくていい。妹のために骨を折るくらいなんでもない。むしろやっとお前にも兄らしいことが出来てよかったくらいだ」
「そうだよリーナ、ザルツはリーナに頼られてすっごい喜んでるよいま」
「うるさいぞカトレア」
「べー」
「……子供か」
ムキになって否定する兄さんも舌を出す姉さんもどっちもどっちな気がしたけれど。そのやり取りはなんだかとても家族って感じがした。そして自分がその輪の中で笑っていることを嬉しく思う。
「それじゃ、あとはお願いしますね、兄さん、姉さん」
「ああ、任せておけ」
「ゆっくりおやすみー」
見送ってくれる二人に頭を下げて、食堂を後にした。
「さ、急いで戻らないと。ティーが起きちゃうかもしれない」
足早に自室へ向かいながら、少しだけ前向きになった自分を自覚する。城下へ戻って、ちゃんと向き合って、そうしたら――。
「――真っ直ぐ、立てるよね」
誇れる自分になれるように。そう願いながら、天使の眠りを妨げないようにそっと自室の扉を開けるのだった。
* * *
「よかったの?」
「何がだ」
涼しい顔をしながらもすっと目を逸らしたザルツバークを見て、カトレアはニヤニヤと口端を釣り上げる。
「確かにティーのことがあるから、今回くらいの我が儘なら陛下も許してくれると思うけどさ。この貸し、今使ってよかったの? ツェレッシュ家の権利回復の要求のためにストックしておく、って野心に燃えてたのはどこの誰だったっけ?」
そう、若くしてツェレッシュ家当主となったザルツバークには、ツェレッシュ家を今の零細王家という尊いのか軽んじられているのかわからないような肩書から、最低でも一般貴族レベルまで押し上げたいという密かな野望があった。
そのために当主になる前から官吏として王城に勤め、そこで関わった人間との間に必死に人脈を作り、仕事の手も抜かず上役にも評価されるよう気を配り、時には自分の懐を痛めてでも地位を守り、と裏に面に努力を重ねてきたのだ。
そして二年前、声を失くしたティーを引き取り、無事その体と心を救ったことで、公的なものでないとはいえ王家、ひいては国王陛下その人に対して個人的な貸しを作ることに成功した。
もちろんティーを救うこと自体には、ザルツバークもカトレアも他意などなく、理不尽に虐げられてきた少女を助けたい一心だった。が、それはそれである。ザルツバークも貴族社会に生きる者であり、狙って得たわけでは無いにせよ国王に揺さぶりをかけられる大きな力を手に入れたことは理解していたし、その使い時を虎視眈々と窺っていたのも事実である。
しかしここに至って彼は、先ごろ新たに家族となった義妹のために、長年の野望が遠のくことをあっさりと了承したのだ。その野望を隣で見てきたカトレアが「ホントにそれでいいの?」と思ったとしても仕方のないことではあった。
「この家をどうにかするのは何も今すぐでなくていい。五百年耐えてきた家だ、それが数十年伸びたところで大した違いはないさ」
「そんなことを聞いてるんじゃないってわかってるくせに」
カトレアはニヤニヤ笑いをやめない。これは完全にわかっていて、その上で自分の口から言わせようとしているんだな、とザルツバークはため息を付いた。
「……別に、さっきリーナに言った通りだ。たまには兄らしいことをしてやりたかっただけだ」
「たまにじゃなくたっていいと思ってるくせに。ザルツって素直なのに意地っ張りだよね」
「どういう意味だ」
「本音は言うけど全部「なんてことない」って顔するじゃない? 本当はリーナを抱きしめたいくらい嬉しかったくせに」
「俺はお前と違って男だからな。年頃の妹との距離をわきまえているだけだ」
「そういうことにしといてあげる」
くしし、と押し殺した笑いを歯の間から漏らすカトレアに、ザルツバークは心底嫌そうな溜息で応えたのだった。
* * *
十数分前。
「……またあとでね。おやすみ」
重たいまぶたに負けそうになっていたわたしに、リーナはとっても優しい声でおやすみなさいを言った。それだけでわたしはとてもあったかい気持ちで眠ることができる。ベッドからはリーナと同じ、温かくて柔らかくて、ほっとする匂いがして、すごくきもちいい。
それはとっても幸せな眠りに、わたしを連れていってくれる、はず、だったのに。
つ、と。おでこに落とされた柔らかいものに、ゆっくり落ちていくはずだったわたしがぱっと目を覚ましてしまった。
いまのって、いまのは、えっと、たしか。
起きてしまった頭の中をぐるぐるさせてその行為をみつける。
その意味は、大好きってこと。いろんな意味があるのは知ってるけど、でも口付けといわれるそれは、ぜんぶが違った「大好き」の気持ちだったはず。
「リーナが、わたしのこと、大好き」
あったかいけど、あっつい。
なんだかむずむずして、くすぐったい。
「〜〜〜〜」
リーナが出ていったのを見てから、わたしはベッドの上をごろごろところがって、声を出さないように枕に顔をくっつけた。
なんか、なんかわかんないけど、すっごくむずむずする!
「……リーナのばか、こんなの、寝れないじゃん」
なんて言っていたティーも、マリーが部屋へ戻ってくる頃にはすっかり夢の中だったのだから、良かったのか悪かったのか。もちろんティーのそんな気恥ずかしさにマリーが気づくはずもなく、乱れたベッドを見たマリーは「ティーってこんなに寝相悪かったかしら?」と首を傾げただけだ。
――子供の成長は、その家族が思うよりほんの少しだけ早い、そんな一夜の一幕だった。
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