マリーナ:破 ③ 完璧令嬢

「……どうやら、庶民上がりは何か勘違いしていらっしゃるようですわね」


 視線の鋭さを増したクレアラート様が、私をキツく睨みつけた。


「ご存知ないようですから教えて差し上げますけれど、こうした社交の場に貴族が顔を出すということは、家を代表して立つということですのよ。例え貴女以外のご家族がどんなに素晴らしい人間だとしても、この場で彼らを代表するのは貴女です。貴女の振る舞いはツェレッシュ家の振る舞い。貴女の品位はツェレッシュ家の品位。そんなことも理解できないなんて、それでよくこの席に座れましたわね?」


 クレアラート様は手にした扇でトントンと私の着いていたテーブルを叩く。


「せ、席なんて、だって私は案内されただけで」


 この席が特別何か、他のテーブルと違うとも思えなかったが、仮に何か特別だったとしても私は別に好んでこの席を選んだわけではないのだ。会場に入り、名前を聞かれて名乗り、こちらへと侍女に案内されるまま座っただけ。それなのに私が勝手に良い席を占拠したとでも言いたげなクレアラート様の物言いには納得できなかった。


 クレアラート様の着いていたテーブルはすぐ近く。私のような作法に疎い人間が目障りだと言うならもっと遠い席に案内すればよかったではないか、と。

 そんな私の反論に、クレアラート様は深い溜息で応えた。先程までの攻撃的な雰囲気ではない。ただそのあからさまな溜息には、憐れみにさえ似た呆れが含まれていた。


「まさかそんなこともご存知ないとは思いませんでした」


「な、なんですか」


「もう結構ですわ。貴女のような人間の相手をしていては私の品格まで損なわれます」


 後はどうぞご自由に、と投げやりに一礼して、私の返事を待たずにクレアラート様はさっさと立ち去ってしまった。その背中を追いかけるだけの気概は、今の私にはない。


「……なによ」


 無力感にずぶずぶと沈みながら、膝から崩れるように椅子に座り込む。同じテーブルに着く令嬢たちは何事も無かったかのように私を無視して言葉を交わしているが、時折その視線が非難の色を伴って私に突き刺さるのを感じていた。


 なによ、ともう一度口の中で呟く。


 クレアラート様の物言いや、周囲の令嬢たちの無遠慮な視線に対して不満はある。満足に講師もつけられない我が家の状態を思い返して、さらに言うなら突然の呼び出しから始まった一方的な王族生活によって押し付けられた今の状況も、理不尽だと思わなくはない。


 でも、それより何より。

 自分が情けない。


 あまりにも考えが甘すぎた。ツェレッシュ家の人たちの親しみやすさに絆されて、城下で暮らしていた頃は恐怖さえ覚えていた居丈高な貴族たちの振る舞いを忘れていたのかもしれない。覚えていたのなら、少しでも思い出していたのなら、自分がそんな相手と渡り合うだけの振る舞いを身に着けていないと理解できただろうに。

 見通しの甘さが、そのまま失敗となり、そして私の失敗が家の評判になる。


 貴族の茶会というものを甘く見ていたツケは高くついた、と思う。

 普通、貴族の子女は15歳で成人とみなされ、15になる年の社交期にデビューする。ところが私は既に16歳で社交デビューのタイミングを逸している。そこに届いた一通の招待状に、兄さんたちが良い顔をしなかった意味がわかった気がした。

 今日の席はエルトファンべリア家のご令嬢、クレアラート様が催した同世代の令嬢だけを招待したもの。その意義は、社交デビューを済ませたばかりの令嬢たちの人脈作りと、入学を控えた学院生活に向けた敵情視察だろうと兄さんは言っていた。


 その招待客に年上の私が含まれているのは、例外的に社交界デビューも学院編入も彼女たちと同じ今年だからだろうが、そうは言っても彼女たちからすれば私は一年長く生きているわけで。一般的なご令嬢が当たり前にできることが出来ず、当たり前に知っていることを知らないのは恥ずかしいことなのだというのは私でもわかる。

 かといって学院入学前に「貴族令嬢」を知る貴重な機会でもあるし、そもそも招待者の名はエルトファンベリア。ツェレッシュ家のような名ばかり王家とは違う名実ともに王国トップクラスの力を持つ家からの招待を無下には出来なかった。


「無理はしないで、失敗は気にしなくていいからね?」


 不安げにそう繰り返した姉さんの表情を思い出して、申し訳なくなる。多分、姉さんはこうなることもある程度予想していただろう。でも、姉さんたちが予期していたからといって私の不甲斐なさが許されていいとは思わない。

 何より私自身が、許されていいとは思えなかった。


(……帰ろう、かな)


 さきほどクレアラート様からは遠回しかつ直接的に「出て行け」という趣旨の言葉を頂戴している。会場内に立ち歩いている参加者の姿はちらほらあるし、ここで私が席を外したところでそれほど騒ぎにはならないと思う。こういった席を中座してしまうのが無礼にあたるかどうか、私にはそれを確かめる術はないのだけど……どのみち、この場に残っていたところでまた知らないうちにツェレッシュ家の評判を落としてしまうのが関の山ではないだろうか。

 そう思って腰を上げかけたところで、ふとティーとの約束を思い出した。


 お菓子……。


 テーブルの上にお茶請けとして用意された色とりどりの、城下で暮らしていた頃には想像もしなかった可愛らしいお菓子の数々。ティーが見たら目を輝かせて喜ぶだろうな、とその想像に少しだけ胸が軽くなる。

 けれどただでさえ悪目立ちしていた私はさきほどのクレアラート様とのやり取りもあってすっかりよくない注目を集めてしまっていた。家を出る前は酒場で手を付けられなかった料理を貰って帰るのと同じくらいの気持ちでいた私だけれど、さすがにこの場にそんな城下のご近所付き合い感覚が通用するとはもう思えない。


 けれどだったらどうしたらいいだろう。この場にいる令嬢たちのほとんどはお喋りに夢中で、乾きを潤すための紅茶には口をつけてもお菓子の方にはあまり手が伸びていない。ちょっとした山のように盛られたお菓子たちは、その山を殆ど崩されること無く、端っこが少しアンバランスになっただけで半ば飾りと化している。だからといってポケットに詰めて持って帰れるとも思えない。というかこのドレスにポケットはない。


 侍女に言って包んでもらう、というのが一番妥当な方法だとは思うものの、あれだけ主催者であるクレアラート様に睨まれた私が声をかけて素直に聞いてくれるものか、聞いてくれたとしてそれを周囲の令嬢たちがどう受け止めるか……あまり考えたくない展開ばかりが脳裏をよぎる。


「失礼いたします、少し、よろしいですか?」


「ぴゃ!」


 不意打ちで後ろから聞こえた声に座ったまま飛び上がった。慌てて声のした方へ振り返ると、日差しのような明るさが滲む栗色の髪の少女が優雅に微笑んでいた。咄嗟に左右をきょろきょろしてみるが、私の周りの令嬢たちは先程の騒ぎのあと私から少し距離をおいて座っていて、目の前の少女が声をかけた相手は私以外に見当たらない。


「ふふ、私がお声がけしたのは貴女で間違いありませんよ、マリーナ・ツェレッシュ王女殿下」


「あ、はい、いえあの、殿下なんてそんな」


「貴女自身がどうあれ、既に陛下が下賜されたお名前は覆りませんわ。敬われる立場にあることを、どうかご理解ください」


「……は、はい」


 すごい、なんというか、すごい。

 クレアラート様のような表立った刺々しさはなく、それどころか一見すごく物腰柔らかな印象を与えながらも、概ね先程のクレアラート様と同様のことを言われているのがわかった。敵を作らず、かといって安易に味方にもならず、礼を失さず……なんというか、私というイレギュラーを相手に一歩も引かず勇みすぎず、完璧な「貴族令嬢」ぶりだった。


「失礼、出過ぎたこととは存じていますが、どうぞ忠告としてお受け止め頂ければ」


「し、失礼だなんてそんな、あの、私の方こそ」


「どうぞ今は私への礼などお気になさらないでください。突然の登城からお忙しい毎日でしたでしょう。今すぐ全てを完璧にとは、私は申しませんわ。……こちら、よろしいでしょうか?」


 少女が私の隣の空席に軽く手を添えた。私はかくかくと壊れたからくりのように首を振ってどうぞの意を示すと、彼女は「ありがとうございます」と微笑んで席についた。

 どこからともなく侍女が現れ、少女と私の前に淹れたての紅茶を用意すると一礼して去っていく。少女が侍女に微笑んで「ありがとう」と言い添えたのを聞いて私も、と慌てて顔を上げた時には既に侍女はだいぶテーブルから離れてしまっていた。ああ、お礼も満足に言えないなんて……。


「マリーナ様は……ああ、失礼。お名前でお呼びしても?」


「は、はい、もちろん! ……あの、えっと、貴女は」


「これは失礼致しました。私、フォルクハイル侯爵家のエルザベラと申しますわ」


 お見知りおきを、と座ったまま頭を下げる彼女に私もぎこちなく礼を返す。うう、座ったままお辞儀って難しい。同じことをしているはずなのに目の前の少女、エルザベラ様と私とではその優美さは雲泥の差だった。


 ……というか、フォルクハイル侯爵家のエルザベラ? たしか、レア姉さんが今日の会場に必ずいるだろう重要人物として、クレアラート様と並べて挙げていた名前だったはず。なるほど目の前の穏やかながら一分の隙もない令嬢は、クレアラート様とは違った意味で実に貴族らしい人物だった。


「あの、それで、私に何か……?」


 私が疑問を向けると、エルザベラ様は変わらず笑顔のまま「ええ、まぁ」と曖昧な答えを返してきた。


「噂の王女殿下とお話してみたかった、というのも私の本音ではありますが。そうですね、先程のクレアラート様とのやり取りが、私の耳にも届いたものですから」


「うう……」


 恥ずかしいところを見られた。冗談ではなくそう思い、赤くなるよりも軽く血の気が引く思いがした。おそらく貴族令嬢として最大級の失態を、目の前の果てしなく完璧な令嬢に一部始終目撃されたという事実をポジティブに受け止めるのはなかなか難しい。


「聡明な殿下はお気づきかと思いますけれど、クレアラート様のお言葉は概ね的を射たものではありましたわ。まぁ、少しばかり敬意と礼節を疎かにしてはいましたが」


 あの棘をそう表現するとは、と貴族言葉の難しさに戸惑う。


「もちろん、殿下にもやむを得ない事情はございましょう。ツェレッシュ家の状況ではほんのひと月ばかりで礼儀作法を完璧に、というのも難しい話ですし、なにより殿下はこうした席は初めてでいらっしゃるでしょう? それはもう、私だってデビューの日には緊張で用意していた自己紹介の言葉なんて一文字も思い出せませんでしたもの」


 そう言ってころころと上品に笑う彼女の言葉が嘘とも思えなかったが、むしろ彼女の場合「用意していたセリフが飛んだ」というのは「それ以上に適切なセリフを即興で述べた」としか聞こえない。私のようにほとんど言葉が発せず黙り込んでしまうような人間と同列にはできないだろう。


「ですから私個人としては、今日の殿下の振る舞いは致し方ないことだとは思っているのですよ」


「……でも、私のせいでツェレッシュ家の皆さんまで」


「はい、それは仕方のないことです。貴族が名を明かして人前に立つとは、そういうことなのです」


 そこで気休めのような言葉は口にせず、エルザベラ様は頷いた。


「ですが私が耳にする王城ツェレッシュ家の皆様のお話が間違いでなければ、ご兄姉きょうだいのみなさんはそのような風評を深くは気になさらないでしょう」


 言われて兄さんたちの顔を思い浮かべる。自惚れでなければ、怒られるよりも心配される気がした。


「そうかも、しれませんが……」


「しれませんが、なんです?」


「……それでも私は、やっぱり皆さんの名前に傷をつけました。たとえ兄さんたちが気にしなくても、あんな素敵な方たちの名前を名乗っておきながらこんなことになった私を、私が許せないんです」


 私の言葉に、エルザベラ様は驚いた様子で目を見開いた。が、すぐに満足気に微笑む。


「そうお思いになるのでしたら、少しずつでも前進なさってください」


 それがきっとご兄姉のためですよ、と。諭すように言われて、私は俯いたまま顎を引いた。そのとおりだと、思ったからだ。


「ふふ、そのご様子ですと、私が口を出すまでもなくそのつもりでいらしたようですわね」


「いえ、エルザベラ様から激励してもらえて、嬉しいです」


「……まずは言葉遣いから何とかなさってくださいね」


「あぅ」


 痛いところを突かれて呻くと、エルザベラ様はくすくすと口元を隠して笑う。こんな時までお上品なんて、令嬢ってすごい、と感心してしまった。


「さ、それでは次のお話ですけれど」


 仕切り直しとばかりにそう切り出したエルザベラ様に思わず身構えた、けれど。その口から出てきたワードに今度は思わず私が目を丸くした。


「――あちらのお菓子、どうやって拝借いたしましょうね?」


 未だただの町娘でしかない私にも親しみやすい、悪戯っぽい笑顔を浮かべ、声を潜めてそんなことを言う彼女に、貴族令嬢ってそんなこともわかるのかしら、と思わず腰が引けてしまった。


 ちなみに。


「クレアラート様、こちらのお茶請けを少し包んで頂くことはできませんこと? 本日の素敵な席の残り香を、せめて我が家の皆にも持ち帰りたいのですけれど」


 と、にっこり笑顔で正面切って宣ったエルザベラ様にすごぉく嫌そうな顔をしながらもクレアラート様は曖昧に頷き、希望する者には別途お土産用にお茶請けと同じお菓子を包んだものが配られることになった。

 エルザベラ様って……すごい。

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