マリーナ:破 ② 出会いと洗礼
「いい? 令嬢だけの茶会なんて即席の伏魔殿もいいところ。どう見られても何を言われても気にしちゃだめよ」
事前に、レア姉さんからそう聞かされてはいたのだ。覚悟も決めてきたつもりだった。出来る準備はしたつもりだし、レア姉さんから最低限とはいえマナーの講習も受けた。ザルツ兄さんが用意してくれた着慣れないドレスも侍女のみんなの助けでどうにか着こなして、少なくとも着られていると見えない程度に仕上げてきたつもりだ。
けれど。
「――、――――」
「…………、――」
ひそひそとそこかしこで交わされる囁きが私を話題にしたものだというのは、方方から突き刺さる視線で嫌でもわかる。それが好意的でないことも、それどころか囁きの大部分が好奇と嘲弄であろうことも、想像に難くない。
ここはエルトファンベリア公爵の王都本邸、その広大な中庭である。正直この空間に通された時にはあんぐりと口を開けそうになるのをすんでのところで堪えなくてはならなかった。
広く、豪華で、格調高く、美しく。
華美な装飾がされている訳でもないのに、その規模の大きさと荘厳さに圧倒される。レア姉さんが最初に言っていた「この家は王族の屋敷としては質素もいいところ」という言葉の意味を、ようやく私は実感していた。
差し込む日差しに視線を上げれば、高い屋敷に囲まれてぽっかりと空いたこの空間から見える空は、まるで青空の一角を切り取って貼り付けたような際立った美しさで、その光を浴びる庭の草木はそれぞれに空へと手を伸ばしているようにのびのびと、けれど調和を乱さずに整然と立ち並んでいる。
テーブルに並ぶ色とりどりの菓子と、草と太陽の匂いと決して争わない香りのお茶。格式と気配りと、もてなし。全てが整いすぎるほどに整った空間に、私が抱いた感情はきっと、恐れに似ていた。
こんなの、知らない。
こんなの、知るはずがない。
頭の中で、耳の奥で、町娘の私が場違いだと叫ぶ声がする。なにが王族だ。なにが手応えのある日々だ。私が掴んだと思っていたものは、この世界のほんの先触れにも満たない。ガンガンと頭痛がするほどに鳴り響く悲鳴にも似た自分の声を必死に押さえ込みながら所作の一つ一つが私よりよほど洗練された侍女に案内されるがまま席に着く。視線を上げることに怯えて、テーブルの白い天板を睨みつけていた。
どこかに芽生えつつあると、そう思っていた王家の一員としての自負が、そよ風にさらわれて跡形もなく消えていく。
何事もなく終わって欲しい。もはや私の頭に、それ以上なんの言葉も浮かばなかった。
「――あら、どうかなさいまして?」
不意に、俯いたままの頭上から声をかけられて反射的に顔を上げる。
「マリーナ・ツェレッシュ王女殿下。私の用意した席は、お気に召しませんでしたか?」
「あ、いや、その」
声をかけてきた人物が誰かを理解し、私の緊張は限界を超える。
不手際でもございましたか、とこちらを気遣う言葉を口にしながら、その実「そんな物があるというなら言ってみろ」と挑戦的に嗤う瞳にはっきりとした敵意を見る。
怖いと、そう思った。
自慢ではないが、城下ではどちらかといえば人に好かれていたと思う。周りがいい人たちばかりだったから、私が無理をしなくても多くの人が私を好意的に見てくれた。自分は恵まれていると思っていても、いざそれを失った時どうするかなんて考えたこともなかった。
ツェレッシュ家の人たちが好意的だったから、心の何処かで油断していたのかもしれない。新しい世界に踏み込んでも、私は変わらずやっていけると、思い込んでいたのかもしれない。
だから、こんなにも明確な敵意を向けられて、逃げることも戦うこともできない。好意に答える言葉は知っていても、敵意に返す言葉を、私は知らない。
「……本当にどうなさったのです? お加減が悪いのでしたら、どうぞ一言仰ってくださればお部屋をご用意いたしますわよ」
いつまでも不景気な顔を晒すな、自分の不手際が疑われる。
そう聞こえた。穿ちすぎだろうか? けれども言葉では私を気遣いながら、段々と温度を失っていく目の前の少女の瞳が、私に好意的でないことはハッキリと見て取れたから。
「わ、たし」
「はい?」
「ごめ、なさい。わたし、なんでも」
喉がカラカラだった。言葉が出てこない。謝るべきなのだろうか。目の前の少女を不快にさせたことを。でもなんて? 謝罪の言葉さえ満足に思い出せない。言葉遣いについては再三、姉さんと確認したはずなのに。
「――鬱陶しいですわね」
周囲に聞こえないように呟かれたそれを、私の耳はしっかりと拾う。いや、或いは彼女は私にだけ聞かせるように、敢えて声を潜めて、ハッキリと発音したのだろうか。
とん、とテーブルに彼女の手が置かれる。決して強い動作ではなかったのにびくっと肩が跳ねる。自分と同じ年頃の少女が放つ絶対的な存在感に、私はハッキリと怯えていた。
「王女であるから、私への無作法にも咎が無いと、そのようにお考えならお改めくださいな」
冷ややかな言葉に否定の声を上げる前に、畳み掛けられる。
「王家に仕える臣下の家に生まれたものとしてハッキリ申し上げますが、ツェレッシュなどという咎人の家を王族などと、我が家の誰一人として認めておりません。まして貴女のような、穢れた庶民の血が入った女など、ツェレッシュ姓でさえ名乗るのは烏滸がましいと自覚なさいませ」
「あ、わ、私は」
侮辱だ。私は怒っていいはずだ。それだけのことを言われている。それなのに。
「会場を訪れてからの貴女の振る舞いといったら何です? 挨拶もロクになさらず、お茶のマナーもなっておらず、挙げ句沈痛な顔でじっと黙り込んで、それで王族ですって? ツェレッシュの甘えも極まりましたわね。こんな人間を家の代表として立たせるなど、堕ちるところまで堕ちたようですわ」
言い返す言葉が見つからない。彼女の言葉は悪意に塗り固められているけれど、その悪意の棘を除いたとて、中身は何も間違っていないのだから。
「……ごめん、なさい」
「申し訳ございません、です。その一言さえも知らぬ人間に、この場に留まる権利はございません」
出て行け、と告げられ私は震える足に力を入れて立ち上がった。
逃げるの? 何も言えずに、私だけでなく家を、カトレアさんを、ティーさんを、ザルツバークさんを侮辱されて、それでも逃げるの?
それは――よくない。
「……ごめんなさい。私の至らないところは、貴女の言う通りだと思います。不勉強で、不快な思いをさせて、ごめ――申し訳ございません」
ようやく、舌が滑り出してくれた。立ち上がって目線を合わせて、窺い見る形ではなく正面から少女と向き合う。
強い、とても強い瞳。凛とした立ち姿と、美と猛々しさを同居させる威圧的な髪型。私が思い描く典型的な貴族令嬢の姿。けれど私の想像の遥か上をいく、強さと美しさ。これが貴族の正しい姿なら、私など遠く及ばない。だけど。
「それでも、それは私の至らなさです。我が家の誰も、その責めを負うべきではありません」
激しい威圧感と膨れ上がる怒りの気配に、それでも引いてはダメだと踏みとどまる。私のことはいい。私のことはいいから、あの人たちのことは、あの人たちだけは。
「責められるべきは、私です。どうかそれだけは、間違わないでくれませんか?」
スッと、私を見据える目が細められた。
今日のお茶会の主催者。この国の最有力貴族の一角を担う、貴族の中の貴族として生まれた少女は射るような視線を私に注ぐ。
それが私と、クレアラート・エルトファンベリア様の出会いだった。――頭に「最悪な」と付け足さなくてはいけないかも、しれないけれど。
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