マリーナ:序 ⑥ あの子のために

「三王の……?」


「ツェレッシュ家が生まれる、直接的な原因になった内乱だよ」


 庶民にとっては「歴史」なんてものはほとんど意味がない。知ったところで時の政治に手や口を出す権利がないなら、明日の献立でも考える方が建設的。それが城下の民も含めたこの国の民衆の大多数の意見だ。だから当然、私もその内乱というものにはまるで聞き覚えがない。


 しかしカトレアさんが言うには、貴族にとってはむしろそれは真逆なのだという。

 明日の食事の心配をする貴族などいない。そんなことを心配しなければならないほど困窮しているなら、もはやそれは貴族としては末期も末期、明日の没落を待つ身でしか無い。大多数の貴族は庶民が仕事と食事の心配をする時間を政治と社交に費やす。もちろんその過程で、先人の知恵を大いに活用するのは自然な流れだ。


 五百年の安寧を保つ王国だが、その歴史は二千年以上前まで遡ることが出来る。逆に言えば長い歴史の中で最も身近な「失敗」が五百年前の内乱なのだ。

 三王の乱は文字通り、王位継承者を謳う人物が国内に同時に三人立ったことに由来する名だった。立ち上がった三王は、王家の次男、三男、そして先王の弟の三人であり、先王、そしてその跡を継ぐはずだった長男の相次ぐ不審死の後、それらを暗殺であるとして三者の間で罪の擦り付け合いが始まった。犯人探しの体で始まったそれはやがて各派閥の表立った対立となり、ついには暗殺の首謀者を突き止めた者が次の王位に就くというところまで飛躍する。

 程なくして争いの場は机上から戦場に移り、国内のいたるところが戦場と化した。


 内乱は国を内側から自壊させるという点で他国との戦争よりも数倍タチが悪い、とは当時から現在まで続く古参貴族の生まれなら誰もが幼少から教え込まれる事だという。


「だからこの国では、諸外国との戦争よりも内乱を忌避する傾向の方が数段上なの」


「でも、だからって」


「そしてティーは、一歩間違えばその再来になり得た子なんだ」


「……ティーさんが」


 朝食へ向かう途中の会話を思い出す。ティーさんの名前に含まれる、直径王家の名前。それがどういう意味を持つのか、これまでの話に照らせばぼんやりとではあるが私にも見えてくる。


「ティーの父親は現陛下の弟君。そして母親は――現、王妃さまだよ」


 思わず口を覆って、悲鳴じみた声が出そうなのを慌てて押さえた。だって、それはつまり。


「じゃあ……ティーさんはヴァンクリード王家の、直系、なんですか?」


「うん、そうだよ。あの子は本来ユベルクル殿下の妹として、王家の一員として育つ予定だった、正真正銘の王女さまだ」


 開いた口が塞がらない。ヴァンというミドルネームから、私のような傍流の血ではなく、もっと王家に近い血筋なのだろうと漠然と思ってはいた。けれどそれがまさか、近いどころか直系だとは、さすがに想像していなかった。


「もちろん、王弟と王妃の不貞の子、なんて特大級のゴシップだからね。知る者は一握りだし、厳重な箝口令が無期限で敷かれてる」


 だからティーさんの存在自体、知る者は少ないのだという。


「王弟さまと陛下の関係は元々良好だったし、王弟さまと王妃さまも必然的に昔なじみでね。陛下が王位を継がれる前から、三人は幼馴染同然に育った」


 そしてごく自然に、二人の青年は美しい幼馴染に恋をした。


「陛下と王弟さまは王位を争わなかったし、政治的な考えも一致していた。国政も安定していたし、二人をわざわざ引き裂いて争わせようとする勢力も無かったから、王弟さまはツェレッシュ家にも加わっていなかった」


 その辺りは、五百年で少しだけ緩んでいた部分なのだという。もし、仮にもう五百年何事もなければツェレッシュ家は解体されただろうと、そんな気の長い予想をカトレアさんはため息とともに吐き出した。


「でも、王弟さまにも一つだけ、どうしても兄に譲って忘れてしまえないものがあった」


「それが、王妃さま?」


「うん」


 同じ人に恋をした兄弟は悩んだ末に、揃って幼馴染に婚約を願い出た。どちらを選んでくれてもいいと、その意思を伝えるために敢えて二人同時にだ。同時に想いを告げられた幼馴染は悩んだ末に兄からの婚約を受け、やがて王妃となった。二人の間にはユベルクル殿下が生まれ、国母ともなった彼女を、王弟も祝福したという。けれど。


「正直、何が引き金になったのか、それは当人たち以外の誰も知らないことよ。いろんな憶測が飛び交ったけれど、当事者である三人は誰もこの件について本当のところを漏らさなかった」


 それでも、たった一夜だけでも、王弟と王妃の間に間違いは起こった。そしてそれはティセリアという誰にとっても予想外の結果を産み落としたのだ。


「はじめ、ティセリアという少女は王女として育てられる予定だったの。父親が違うことは本人にも周囲にも知らされず、陛下と王妃さまの娘、ユベルクル殿下の妹君として」


 この国では王女の誕生は当人が一定の年齢に達するまで秘される事が多い。王子であれば世継ぎとしてすぐにその誕生は広く公表されるが、基本的に王位継承権を持たない女児の誕生は、強引な手段で王家との繋がりを持とうとする輩を寄せ付けないため、社交界デビューとなる十五歳を基準に、時節を見て公表されるらしい。


 歴代にいわゆる温室育ちと呼ばれる王女が多いのはそのせいだ、とカトレアさんは呆れ気味に言うが、そもそも王女さまなんて見たことも聞いたことも無かった私は、過去の王女さまがどんな「温室育ちらしさ」を見せたのか知る由もなかったのだけど。


「でも、王弟さまは自分と、愛した人の娘であるティセリアを諦められなかった」


 始めは、養女に迎えたいという申し出だったそうだ。けれど陛下は王家から出すならばツェレッシュ家に預けるしか無いと頑として認めなかった。結局、王弟がティセリアの後見人兼教育係となることで事は収まった、かに見えた。


「おかしくなるのは、ここからなのよ」


 カトレアさんの目が、笑っていない。それどころか初めて見る怒りが、彼女の瞳の奥で燃えていた。


「王弟さまはね、ティセリアを王位に就かせようとしたの」


「えぇっ!?」


 今度こそ私が叫んだのは仕方ないと思う。ここまでの話で、王弟がそんな真似をする人間には思えなかった。


「娘への愛情、といえば聞こえはいいけれどね。要するに、どんな手を使ってでも正式に彼女の父親になろうとしたの」


「どうしてそれが、ティーさんを王位に就けることになるんです?」


「短絡的な発想ではあるけれど、決して見当違いでもないのよ。この国は元老院は設置されているけれど根本的に王政の国だもの、どんなことでも王が決めたのならそれを覆すのは難しい」


 現王である兄の言葉は覆せず、兄を追い落とすだけの力もない。ならば、次期王位を約束されたユベルクル殿下と、立場上は同じく国王夫妻の子であるティセリアを争わせ、ティセリアが勝利すれば。


「王弟さまはティセリアの後見人になったのをいいことに、まだ物心つくかどうかといった幼い少女に全ての真相をぶちまけたの。本当の父親は自分だ、って」


「そんな、酷すぎます!」


「あたしだってそう思うよ。その場にいたらぶん殴ってやったと思う」


 その程度で許しもしないけど、とカトレアさんも憤りを隠さない。


「でもとにかく、現実に王弟はそんな手段に出た。そしてもう一つ、教育係としてもティーに酷い仕打ちをしたわ」


 これ以上どんな酷いことが在るのか。軽い目眩を覚えながらも、私は話の続きに耳を傾けた。


「そもそもこの国に女王が立ったことはないの。ティセリアがツェレッシュ家に入れられず王女として育てられる予定だったことからもわかると思うけれど、直系の娘にはそもそも王位継承権はないの」


「でもそれじゃあ、第一子で男児であるユベルクル殿下が王位を継ぐのは変えられないんじゃ」


「そう。それを覆すには、覆すだけの理由がいる。だから王弟さまはティセリアの教育係として彼女に王としての教育を施した。まだ四歳の女の子に、十四歳の王子を超えろと迫ったのよ」


「無理に決まってるわ!」


「そう、とも言えなかったのが悲劇ね」


「……え」


「ティセリア王女、ティーはとても優秀だった。可哀想なことにね。記憶力は良かったし、頭の回転も早かった。それこそ詰め込み教育を続ければ、本当に優秀な王になれたかもしれないと周囲が思ったくらいに」


 そして誰よりもその可能性を信じたのが、彼女の父親だった。


「ティーの才能に気づいた王弟さまの暴走はもう止まらなかった。ティーに遊ぶ時間を与えないどころか、食事や睡眠の時間にまで傍らについて歴史や政治について教え込み続けた。王弟さま自身も相当にやつれたそうだけれど、四歳の女の子がそんな仕打ちを受け続けて平気なはずがないわ」


 異常は、ほどなくして現れた。


「ある日突然、ティーは声が出なくなったの」


「声が……?」


「どんな医師が診てもハッキリした原因はわからない。元々勉強漬けの毎日のせいで体が弱かったから、単にタチの悪い風邪に引っかかったんじゃないか、なんて診察した医者もいたくらいよ。でも、それをきっかけに療養をさせようという話になって、病床のティーにまで講義を強要しようとした王弟さまの暴走がようやく露見したの」


 それまで、正式に親子にはしてやれない分、親子の時間だけは確保してやろうと陛下は王女については放任し、弟からの報告を受け、時折病弱な娘の休養を見舞う程度に留めていた。弟への信頼もあって、彼からの報告を鵜呑みにしていた王はいつものように娘を見舞おうとして声が出ないほど衰弱した幼い少女に、内政の講義を強要する弟の姿を目にしたのだという。


「あとはもう、大体予想がつくでしょう? ちなみに当の王弟さまは直系の名を奪われてツェレッシュ家に入り、最北端の屋敷に幽閉同然で押し込まれたわ。多分、死ぬまで出られないでしょうね」


 本当なら百回殺したって足りないけど、と吐き捨てたカトレアさんの目は本気だった。


「陛下は療養だけでなく、政争からも完全に切り離すため、それでも自分が目を配れるところにいて欲しいという気持ちも含ませて、ティーをこの王城内のツェレッシュ家に入れることにしたの」


「この家なら、政治的な力は持ちようがないから……」


「そういうことね」


 聞くだけで身震いするような、ティーさんの壮絶な過去に二の句が継げない。


「ま、陛下の判断はギリギリ間に合ったんでしょうね。ティーの声は、うちへ来てひと月もしたら出るようになったわ」


 詳細な原因はわからず終いだったが、結局心因性のものだったのだろうというのが、ザルツバークさんとカトレアさんの共通見解だという。


「あの子があの歳で、マナーも完璧で文字が読めるのも、そういう理由よ。だからあたしとザルツは誓ったの。あの子だけは絶対に幸せにする、こんな家でも不自由ない暮らしをさせてあげるんだって」


 その言葉に、高価そうな本が詰まった本棚や、主を囲むように置かれたぬいぐるみの群れが頭をよぎった。もちろん物だけが愛情の秤ではないけれど、隙間風に悩まされるような屋敷でも彼女に何かしてあげたいのだという、ここに住む人達の気持ちの形、その一つではあるのだろう。


「私も……」


「ん?」


「私も、力になれますか?」


 そう言葉にしたのは、自分の意思というよりも、ほとんど反射に近かった。ただ、口にした後でも自分の言葉に疑問は抱かなかった。そうするのが当然だと、そう納得できた。


「私は、貴族のことも王族のことも、何もわからないですけど。でも、ティーさんには幸せになって欲しいと思います。そのために、私に出来ることはありますか?」


「……ありがとう。マリーナちゃんがあの子のためにそう言ってくれる子で、お姉さんは安心だよ」


 そう言ってカトレアさんは微笑む。


「あの子に何が必要なのか、正解はあたしたちにだってわからない。だから今は一人でも多く、あの子の味方が欲しい。マリーナちゃんがティーを当たり前に可愛がって、当たり前に叱ってくれたら、それが一番だと、あたしは思ってる」


 きっとザルツもね、と付け足されて、私は思い切り頷いた。


「もちろんです。だって――」


 その言葉はやはり反射的に、けれど自然に口から滑り出た。


「だって私はもう、あの子のお姉ちゃんなんですから」


 私に頭を撫でられて笑ったあの子を守れるなら。そのためなら何だってしたい、何だってできる。そう思えた自分は、両親を亡くしてから初めての誇れる自分な気がした。

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