マリーナ:序 ③ 鳥かごの家

 屋敷までは二人に案内させよう。


 陛下のその言葉で深夜の謁見は散開となり、私はカトレアさんとザルツバークさんに連れられて王城敷地内、その外れにひっそり佇むツェレッシュ邸を訪れていた。

 訪れる、というか、今日からここが私の家、ということになるらしいのだけど。


 受け入れたというよりは現実味のなさ過ぎる状況が、私を妙に落ち着かせていた。

 ツェレッシュ邸の外観は私のような町娘からすればいかにも貴族のお屋敷といった風情のご立派な建築に見えたが、カトレアさんの話では王族の親類縁者が住むにしては質素もいいところなのだという。言われて見れば確かに、屋敷の作りこそ立派だが広い敷地の中で、もっと広い平地はいくらでもあるのに隅の方にぽつんと建っているその屋敷は、屋敷の大きさに反して前庭も手狭で、彫像や花壇といった華やかな飾り付けはほとんどされていない。それに近づいてよく見ると、あちこちに汚れや小さな傷、ちょっとした穴まで散見され、建立当時はともかく、現在は十分な手入れがされていないことが窺われた。


「屋敷の修繕費なんて当然ウチ持ちだからね。税収もないのにそんなところに回しているお金は無いのよ」


 仕方ないでしょ、とカトレアさんは苦笑する。

 本来であれば、貴族は所領からの税収を収入の大部分として生活し、国庫から与えられるのは毎年「予算」として割り振られる、いわば経費のような金額だけだ。それは生活のためではなく業務に必要と判断されて与えられるもので、所領から一定の収益を得られる貴族にとっては雀の涙ほどの金額である。

 着服する者がいないではないが、大部分の貴族はそんな「はした金」に手を付けて王国から睨まれるよりも、金額分の仕事を片付けてさっさと自分本来の収入で遊びたがるのが普通だった。


 王城の場合は直轄領である城下の税収のほか、貴族たちから入ってくる毎年の収入も当然王家の財産として管理する。国庫に入る分も大きな割合を占めるが、それでも生活だけなら一生困らないどころか余るくらいの金額が毎年懐に入っているのである。


 ではツェレッシュ家はといえば。


「国から出されるのは予算会議を通過した分。後は俺たち、ツェレッシュ家各々の稼ぎがそれに足されたものがこの家の全財産だ」


 ガシガシと頭を掻きながらザルツバークさんがうんざりした顔でぼやいた。この人、謁見の間を出た途端苛立たしげに舌打ちしてさっさと歩きだしたと思ったら、王宮の廊下でいきなり葉巻を取り出して近くの燭台から火を拝借していた。私とカトレアさんに見向きもせずに一服してようやく落ち着くまで、声をかけるのも躊躇われるほどのイラつきぶりでちょっと怖かった。カトレアさんは「あいつ葉巻中毒ヘビースモーカーなのよ」とさして気にした風でもなかったけど。


 一服終えて歩きだすと、一人称はいつの間にか俺になっていて、キッチリ整えられていた銀髪がくしゃくしゃになったのと相まって先程の堅牢な柱のような印象はどこかへすっ飛んでいき、野性味あるというか、貴族とか王族と言うにはいささか粗野な人物像が新たに出来上がる。変わり身の早さが一番の驚きだった。


「王族としての収入なんてものはゼロだ。その上うちは出来る仕事も限られてるし、権力を抑えるのと同時に財力で力をつけないよう厳しい監視もされる。事業なんて起こそうものなら反逆罪だ」


 やってられるか、と苛立たしげに庭の石畳に燃えカスになった葉巻を放り出して踏み消す姿に苦笑する。どうやら、こちらが本来の姿で間違いないようだった。やさぐれ方が城下の人たちとそっくりで、私はこちらの彼のほうが馴染めそうな気がした。


「はいはい世知辛い話はその辺にしようよ。今日はもう眠いし、込み入った話は明日にしよ。マリーナちゃんも、それでいいよね?」


「お、お任せします」


 ツェレッシュ家の一員であると名乗ってから、カトレアさんは一気に対応が気安くなった。私としても貴族らしい気品漂う感じで対応されるよりは話しやすいけれど、それにしたって距離の縮め方に少々戸惑う。城下の子供たちみたいに一瞬で仲良くなれる人なのだろうか。それはそれで、王族として良いことなのか判断に困る。


「そうだな。部屋の用意はしてあるから案内させよう。侍女たちは……もう休んでいるか」


「あたしが連れてくからいいよ」


「じゃ、任せた」


 俺も眠いんだ、と憚らずに大あくびをかまし、ザルツバークさんは自分で玄関扉を開けるとさっさと屋敷の中に消えてしまった。


「あたしらも行こっか」


「は、はい」


 特殊な立場とは聞いていたが、それでも王族の居住空間に足を踏み入れるのは緊張する。カトレアさんに促されておそるおそる、玄関ホールに足を踏み入れた。


「わぁ……」


 思わず感嘆の声が出た。年代物と感じられる作りの玄関ホールは屋敷の規模に応じて広く、この空間だけで私の家の部屋が全部収まってまだ余裕がありそうだ。

 正面には大きな階段が、左右の壁にはそれぞれ趣の違う装飾の施された豪奢な扉が並び、権威を示すのに十分な佇まいだと思う。


「なんか、珍しい反応で新鮮だなぁ」


「そうですか?」


 どうやら素直に感動されるとは思っていなかったらしく、カトレアさんは苦笑いだ。


「ま、さすがにお屋敷だからね。元の作りは立派なんだよ。元々はいつだかの王様が隠居した後に私用で客人を迎えるのに使ってたらしいし」


 ということはこの規模で「客間」としてしか使っていなかったということだろうか。改めてスケールの違いに驚かされる。


「でもね、そんな年季の入った建物を修繕費も満足に出せないあたしらが使ってるんだからさ。老朽化との戦いなわけよ」


 ほら、とカトレアさんが指さしたのは玄関扉沿いの壁の隅。扉を入って目の前に階段なので、なかなかそちらに目が行かなかったが、言われて視線を向けると数箇所ほど大雑把に板が打ち付けてあった。あれは、もしや。


「職人を雇えないからうちで働いてる子たちの素人仕事でとりあえず応急処置だよ。ザルツも休みの日には穴に石詰めたりしてるし」


「ザルツバークさんがですか?」


「当主といっても大事な男手だからね。本人ももう慣れたーって感じで全然気にしてないし、むしろ次はどこをどう塞ごうかって仕事のときより生き生きしてるよ」


「はぁ……」


 ザルツバークさんのイメージ崩壊、第二段である。聞けば聞くほど親しみやすいと言うか、城下のお兄さんたちみたいな休日の過ごし方だ。


「ま、そのうち嫌でも見ることになるよ、いい汗かいたって嬉しそうにしてるザルツをね」


 さてこっちだよ、と階段を登っていくカトレアさんに続いて二階へ上がる。二階の廊下も玄関ホールと似たようなもので、元の作り自体は豪奢だが、ところどころ見るからに素人仕事とわかる修繕跡や応急処置があり、絵画や花瓶といった貴族屋敷ならあって当然の美術品もほとんど見られない。

 ただ、部屋の数だけは城下育ちの私には馴染まないくらいの数で、何処が何の部屋かを覚えるのにかなりの時間を費やすことになりそうだと思った。


「おっと、ここだここ」


 一度通り過ぎそうになってからそう言って、カトレアさんは二階廊下の奥、階段からそれなりに離れた場所の扉を開いた。

 促されて後に続くと、そこは屋敷の規模から想像したよりもずっと小さな部屋だった。我が家のリビングと料理場を合わせたくらいの広さで、私室としては十分に広いけれど戸口から全貌が見えるくらいの常識的な広さだ。


 クローゼットと事務机、シンプルな鏡台が壁際に並び、反対側にベッドと小さなキャビネットが置かれている。床は年季の入った絨毯が敷かれていたが、これまで見てきた屋敷の他の場所と違って手入れはされているようでふかふかの踏み心地がなんだかくすぐったい気分にさせる。


「必要なものがあったら言って。それと前の家から持ち込みたいものについてはあとでリストにして教えてもらえるかな」


「いえ、あの、私自分で取ってきますから」


 もとより荷物は少ない。大した手間でもないから、と気軽な気持ちで言ったのだが、カトレアさんは少し渋い顔になって唸った。


「……ええと、さ。うちはこんなんだけど、これでも王族なんだ。マリーナちゃんにはまだ想像つかないかもしれないけれど、そんな風に気軽にふらっと、城下に降りるのは難しいんだよ」


「そうなん、ですか」


「うん。権利もお金もないけどさ、王族としての見栄や義務や配慮、そういうのはうちにも平等に求められる。始めは戸惑うかもしれないけど、それがこの家の、ツェレッシュ家の役割だから」


「……はい」


「ごめんねー、いきなり叱るようなこと言っちゃって。でもま、いずれはわかってもらわなきゃだからさ」


 誤魔化すようにあははと軽快に笑うカトレアさんは、その笑顔とは裏腹にどこか、何かを諦めたような目をしていた。


「じゃ、明日の朝ごはんで会おう、ぜっ」


 ぽんっと軽く私の肩を叩いて、カトレアさんは廊下に出た。


「おやすみ、マリーナちゃん」


「……、おやすみ、なさい」


 ガチャン、と思いの外大きな音を立てて戸が閉まる。何となく違和感を覚えて、閉じた扉をしばらく見つめていたけれど、違和感も何も、ここには見たこと無いものばかりなのだから、慣れた感じがする方がおかしいのだと思い直して新しい自室に向き直った。


「……くぁ」


 思わず漏れそうになったあくびを噛み殺す。状況があまりに現実離れしていたせいか疲れた気がしていなかったけれど、こうしてベッドを前に一人になるとさすがに眠気が襲ってくる。今日はいつものように朝から働いて、その上日が暮れてから突然王城に向かったのだ。状況の変化を差し置いても、肉体的にしっかり疲労していたみたいだ。


 私は気を抜けば落ちそうになるまぶたを何とか持ち上げて、最後の力でランプを閉じて火を消すと、暗くなった部屋でベッドに倒れ込んだ。

 意識が落ちる直前、さきほど感じた違和感の正体がふと頭に過った。


 ――――おやすみって、久しぶりに言ったな。

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