マリーナ:序 ② 謁見と家名

 十数分後。


「面を上げよ」


「は、はい」


 私は本当に国王陛下と対面していた。

 時間が時間だからなのか、それともこれからここで行われるやり取りが理由なのか、謁見の間にはごくわずかな人間しかいなかった。

 扉の外には衛兵がいるけれど、扉のこちら側にはそういった兵士や使用人の姿はない。


 玉座には国王陛下、その隣にある椅子は空席。王妃さまは既にお休みのようだった。王妃さまとは反対側に用意された一回り小さな椅子には陛下と同じ黒髪金眼の青年……いや、少年だろうか。王族特有の髪と瞳の色は下町育ちの私にはどうも見慣れないうえに、ひどく淡白な無表情が年齢を曖昧にしていた。私と五歳も離れていないだろうけれど、年上か年下かと問われるとどちらでもあるような、ないような感じだ。


 そんな二人から少し離れて、謁見のため跪いた私の右隣にじっと彫像のように立つ銀髪の男性は、細長い眼鏡の奥から鋭い眼光でじろりと私を睨みつけている。服は上等なものだけど椅子は用意されておらず、正面に座る二人に対して深々と臣下の礼を取っていたので、側近というほど陛下に近い人間ではなさそうだった。

 なにより、私を見る目に宿っている鋭さと、陛下へ向ける視線が殆ど同じだったのが気にかかった。悪意のある視線とは感じなかったけれど、穏やかならぬものを感じさせる、含みを持った視線なのは間違いない。シワひとつない服装と柱のように真っ直ぐな背筋も合わさって、堅牢、という印象だ。


 男性の隣にはカトレアさんが立ち、目が合うとにっこり笑って小さく手を振ってきた。陛下の御前で手を振り返すわけにもいかず、私は曖昧に笑ってごまかす。この場にいる唯一の知り合いが出会って一時間程度のこの人というのも心配の種だ。

 謁見の間に集まっているのはこれで全員。国王陛下、年齢不詳の黒髪の若者、銀髪の男性、カトレアさん、そして私のたった五人だけだった。


「マリーナ・ルクレ、これから話すことは決定事項である。故に説明はするし、質問も受け付けるが、異論は認められない。これは、王家の決定である」


「……はい」


 一方的な通告にも頷くしか無い。いち市民でしかない私には、王様の言葉に文句をつけるなんてそんな恐れ多い真似が出来るはずもなかった。


「よろしい。では簡潔に話そう。そなたは今この時より、ツェレッシュ家の一員として王族に列する事となった」


「……は、え? あ、え?」


 ぱちくり。瞬きをしても目の前の王様の姿が消えて無くなることはなく、どこからか酒場の常連さんたちが爆笑しながら出てくることもない。夢でも、冗談でもないらしい。そう思ってからようやく、王様の言葉の意味を理解し始める。

 ツェレッシュ、という名前には聞き覚えがない。この国の王家の名はたしか、そう、ヴァンクリード。ヴァンクリード王家だったはずだ。けれど陛下はツェレッシュという名を王族と呼んで、それから、私がその一員になると――。


「えええええ!?」


 ようやく理解した頭からさらに数秒遅れて、やっと全身に驚きが伝わった私は絶叫していた。


「ぷっ、時間差」


「カトレア」


 吹き出したカトレアさんを銀髪の男性がじろりと眼鏡越しに睨みつけ、低い声で嗜めた。が、カトレアさんは「てへ」とばかりに舌を出して笑っただけだった。


「驚くのも無理からぬことだ。だが、先に告げたようにこれは決定である。そなたに選択肢はない」


「で、でもあの、私が、いきなりその、王族、だとか、あの、何かの間違いじゃ」


 しどろもどろになりながらなんとか間違いとしか思えない状況を修正しようとしたけれど、陛下は落ち着き払って首を横に振った。


「間違いなど何もない。何もないことが問題とも、言えるのだがな」


 どこか疲れたような、うんざりしているような。そんな雰囲気を声に滲ませながら、陛下は事の経緯を説明してくれた。

 曰く、私の母親の母親、祖母にあたる人物は先々代国王の治世にて城で下働きをする侍女だった。母と同じく美しい人だった祖母は好色だった先々代の目に留まり、かなり強引な形ではあったが子を成した。

 それが母だったわけだが、国王に色目を使った下賎な女、そしてその娘と蔑まれることを厭うた祖母は職を辞し、幼い母を連れて城下へ降りて、城で働いていたという素性を隠して暮らしたのだという。やがて母は城下では当たり前のこととして父と出会い、私が生まれる。


 つまり、私は。


「王家の血を引く者、だと?」


「うむ」


 陛下が鷹揚に頷く。

 私が、王族の血を? 確かに、母の振る舞いは一介の町人としては洗練され過ぎた部分が多かったような気はする。それが城勤めだった祖母の躾の賜物というなら納得ではある。

 けれど私は、私は本当に、当たり前に城下で育った、ただの町娘なのだ。血筋が本物であるか否かなんて、確かめようがない。仮にいま私の血を全部抜いて確かめたところで、どこにも「王家の娘」と書いてあるわけじゃない。もちろん町娘とも書いていないはずだけれど、そうじゃなくて。


 血筋がどうであるとかそんなこと以前に、私は町娘なのだ。

 私の世界のほとんど全ては城下にあるものだけで構成されていて、そこには貴族も王族も登場しない。お祭りの時期や一年の終わりなんかにはお役人の姿を見かけることもあったけれど、上流階級との接点なんて本当にその程度。たとえこの体に王家の血が流れているとしても、マリーナ・ルクレという人間に相応しい肩書が王族か町娘の二択だとしたら間違いなく町娘を取る。


「陛下、よろしいですか?」


 混乱する私の横で、すっと銀髪の男性が一歩進み出た。


「マリーナ殿は王族という言葉に戸惑っているのでしょう。私から、ツェレッシュという名と家について、彼女に説明しても?」


「そうだな、それについては私よりもザルツバーク、お前が話すべきであろう」


「ありがとうございます」


 陛下へと一礼すると男性、ザルツバークさんは改めて私へと向き直った。


「誤解のないようにハッキリ言っておく。王家とは言っても、ツェレッシュという家には王位継承権も元老院への参加も認められていない。王族とは名ばかりの――監獄だ」


「かん、ごく」


 王家という名に結びつかない単語にたじろぐ。けれど黙したままの陛下も、曖昧に笑うだけのカトレアさんもザルツバークさんの言葉を否定しようとはしない。黒髪の青年も、相変わらず無言のまま私を観察していた。


「ツェレッシュという家に属する者たちに、直接的な血の繋がりはほとんど無い。血縁というなら、全員が王家の親類であるというだけだ」


「王家の?」


「そうだ。ツェレッシュとは火消しのために用意された檻の名だ。王家の正当な後継を脅かしかねない存在、王家に弓引く、その旗頭になりうる存在を一つところに集め、監視下に置く。王家、そして王城内に無用の諍いを起こさないために、問題の火種に火がつかぬようにするのがその名と家に列する者の唯一の役割だ」


 側室の子、継承権を奪われた兄弟、隠遁する親類。そういった正当な継承権は持たないものの、王族に抗しうるだけの力や血統を持つ者たちは、数えだせばキリがないのだと、ザルツバークさんはため息混じりに言う。そういった人たちが寄せ集められて一つの家となったのが、ツェレッシュなのだと。

 それ故に、ツェレッシュ姓を持つ者は、表面上の立場こそヴァンクリード家に次ぐが、王位継承権の無条件剥奪、元老院への参加禁止を筆頭に要職の大半に就くことができない。地位だけを与えられ、力の全てを奪い、飼い殺しにされる。それがツェレッシュ家に名を連ねることの意味なのだという。


「……ま、身も蓋もない言い方ですけど」


「だが、事実その通りだ」


 カトレアさんと陛下が、それぞれにザルツバークさんの言葉を肯定する。火消しの檻。その言葉に、何の嘘も誇張もないのだと。


「あの……陛下」


「なんだ?」


 意を決して質問の声を上げると、陛下は案外あっさりと聞き返してくれた。


「なぜ、それをいま、私に話したのですか?」


「ふむ?」


 質問の意図がわからない、という顔をされたので改めて訊きなおす。


「陛下は既に決定しているって言いましたよね? だったら、問答無用で私をツェレッシュ家に押し込めて、そのまま口を封じてしまうことも出来たと思います。それなのに今、こうしてわざわざ私に家のことを説明したのは、なぜなのでしょうか」


「覚悟だ」


 初めて聞く声が会話に割り込んだ。声の主は陛下の隣に座る黒髪の若者だった。


「ツェレッシュに加わる者には覚悟がいる。これからのために」


「これから、の」


「ユベル」


「……失礼しました、父上」


 ユベル、と呼ばれた若者は陛下に頭を下げると、それきりまた口をつぐんでしまった。


「今の息子の言葉は聞き流してくれて構わない。いずれ、まだ先のことだ。だがそうだな、事に臨む前にそなたに覚悟を決めて欲しいというのは、私も同じだ」


 それが理由では不足か、と問われて首を横に振る。少なくともそんな複雑な家に何の説明もなく放り込まれるよりは、こうして説明を受けた方がマシだと思えた。まぁ、急な話だということに変わりはないのだけど。


 ……覚悟。

 陛下が口にしたそれと、ユベル……おそらくは王位継承権を持つ第一王子殿下なのだろう。ユベル殿下の言葉とでは、そこに何か大きな隔たりがあるように思えた。

 陛下が私に求める覚悟は、ツェレッシュの一員として生きていくこと、それと向き合い受け入れる覚悟。でも、殿下が求めていたのは――。


「今後詳しいことはザルツバークとカトレアに聞くといい。血縁がないとはいえ、同じ名を冠する家族になるのだ」


「……はい?」


 思わず無礼も忘れて聞き返してしまった。

 かぞく。家族? 誰が? 私と。


「…………」


「ハァイ、義妹のマリーナちゃーん」


 慌てて振り返った私の目には、無言のまま頷くザルツバークさんと、今度こそ嬉しそうに堂々と両手を胸の前で振って見せるカトレアさんが映った。

 家族になる。 私が? この人達と?


「改めて名乗ろう。ツェレッシュ家当主、ザルツバーク・ツェレッシュだ」


「カトレア・ツェレッシュよ。ザルツの妹で貴女のお姉ちゃん、ってことになるわ」


 淡々とした自己紹介のザルツバークさんと、悪戯が成功したと言うように喜んでいるカトレアさんを前に、私は。


「あは、ははは」


 なんかもう、いまは笑うしかないと思ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る