3章(マリーナ編)
雌伏
大見得を切った時には最大限に膨らんでいた気持ちが時間と共に萎れていく感覚は私に焦燥をもたらしていた。
「はぁ……どうしよう」
「あの、お嬢さま。そろそろお休みになられた方が」
「ありがとアニー。でも、もう少しだけ」
「ですが」
「いいから。貴女も休んで」
「……飲み物をお持ちします」
「もう、頑固なんだから」
「お互い様です」
アニーは少しだけ表情を緩めて微笑むと、すぐに出ていった。私はほとんど机に突っ伏すようにしていた身体を起こして軽く伸びをした。腰のあたりがペキッと鳴る。十歳も年をとった気分だった。
中庭でユベルに「貴方が捨てられる側になる」と宣言してから一ヶ月ほどの時間が経っていた。幸いにしてユベルはまだクレアに婚約破棄を告げていないが、いよいよ時間の問題になってきているのは確かだ。
その間私が何をしていたかと言えば……正直、何もできていない。
実のところ、今の私はクレアから距離を置かれていた。私からではなく、明確にクレアの方が私を避けているのだ。
理由はわからない。中庭でクレア、マリー、ユベルそれぞれと話し合って以降、私がクレアに対して何かしらアクションを取ろうとしてもクレアの方が私を遠ざけてしまうので、ほとんど具体的な行動には移れていない。
それだけなら、中庭での会話から予想できたことではある。けれど単に避けられているというだけでは無さそうなクレアの雰囲気が、余計に私を焦らせ、不安にさせていた。
最近のクレアは私を見る目にどこか険しさがある。敵視されているとまでは言えないけれど、どことなく出逢った頃のように睨まれているような感じがあった。そのくせ私が近寄っていくと泣きそうな顔で私を見てから踵を返して逃げていくのだ。
「……なんだってのよ」
泣きたいのはこっちだ。好きな女の子に理由もわからず避けられるなんて、辛くないわけがないのに、傷ついている時間があったら何かしなければと気ばかり急いて、ここ最近はすっかり寝不足だった。
それでも出来るだけクレアの動向には気を配っている。今のところは学院側や公爵家、王家が表立って解決に乗り出すような大きな問題にはなっていないが、少しずつつマリーへの攻撃が過激になってきているのは間違いなかった。
始めの頃は私物を隠したり壊したりという程度だったのが、いつかのように公然と悪口を言ったり、食堂で彼女を罵倒した時と同じ様にマリーの生まれを蔑んだり殿下と親しいことを悪し様に言うような噂を流したりといった精神攻撃も始まって久しい。
始めは時と場所を選び犯人を隠すようにしていた嫌がらせは、段々と表立ったものになりクレア自身も今更自分がしていることを隠す気がないようだった。
私の前世にあったような集団いじめの手法が確立されていなかったのは幸運なのかもしれない。ここからさらに上に行くにはより直接的な攻撃をするしか無い。いくらクレアがマリーを憎んでいても直接傷を負わせるようなことは躊躇うだろう。そこまでしてしまったら公爵令嬢といえども言い逃れは難しい。
……まぁ、ゲームではそれをやってしまったがために断罪の口実を与えてしまったのだけど。
そういう意味で、今クレアと、そして私の置かれている状況が時間との戦いなのは間違いない。
なのにその時間をもうひと月は浪費している。焦るなという方が無理な話だった。
「失礼いたします」
ノックに続いて片手にお盆にカップを乗せたアニーが入ってきた。
「どうぞ」
「ありがとう」
差し出されたホットミルクを受け取って口をつける。ささくれだった気持ちがいくらか落ち着くのは、ミルクの味だけが理由ではないのだろうと思う。
「……ありがとね」
「もう聞きましたよ」
「ミルクだけじゃなくて、よ」
「それも、もうお礼は頂いてますから。私は、お嬢さまにお仕えする者として当然のことをしているだけです」
そう言うとアニーは私の少し後ろへ下がって待機の構えになる。
「アニー、本当にもう休んで。貴女もう勤務時間外でしょう」
「そうですね、旦那様に追加手当の申請をしておきます」
「や、そうじゃなくてね?」
「お嬢さまはどうぞお気になさらず」
そう言ってすまし顔のまま直立不動の待機姿勢に入るアニー。最初は椅子を勧めたのだけど、あくまでも侍女として控えているだけだからと頑なに断られてしまうので最近では座ってもらうのは諦めていた。
そうなるとアニーに休んでもらうために私も床につかなくてはならず……と、まぁアニーの掌で転がされているわけなのだけど。
アニーのホットミルクにありがたく元気をもらい、あともう少しだけ、と机に向き直る。散らかった机の上には、私の走り書きのメモが大量に並んでいた。
それらは私の思考の残骸、つまりはあれこれと迷走しているアイデアメモたちである。クレアと和解する方法から穏便な婚約破棄、果てはユベルの王位継承権を剥奪して失脚させるような荒唐無稽な陰謀まで、とっ散らかった大量のアイデアが書き留められていた。
「……もっと、何かもっと、上手い方法がある、はずよね」
何の根拠もなく、むしろ次の行動を起こす根拠になるようなものを探して思考の海を手探りで進む。けれど海というのは両手で掬う水の何倍では利かないほど広大だから海なのであって、例え私の期待する通りの答えがこの頭の何処かに転がっているとしても、たどり着ける確率は天文学的な数字に思えた。
「あの、お嬢さま。僭越ながら少しよろしいですか?」
「なぁに、アニー」
背後から声をかけられてアニーを振り返ると、先程と寸分違わぬ位置に立ったままのアニーが軽く首を傾げながら放った言葉に、私は一気に目が覚めるのを実感した。
「ユベルクル王子とマリーナ王女に協力をお願いしては?」
「……はぇあ」
変な声が出た。
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