if : 交際1ヶ月

※2章完結記念の番外編です。1章後の番外編からなんとなく続く、本編とは無関係のお話です。気と頭のネジを緩めてどうぞ。



* * *



「クレアのわからずや!」


「エルザこそ、頑固すぎますわ!」


 いつもは見ている方が胸焼けするほどのイチャイチャっぷりを惜しげもなく周囲に見せつける二人の口論に、周囲の人間たちは揃って困惑を顔に浮かべていた。


「な、何があったんでしょう……?」


「なにぶん私も席を外していた間のことでしたからなんとも」


 侍女二人が揃って首を傾げる。


「珍しいこともあるもんだな」


「ふん、やっぱりお姉さまのパートナーにあの女は相応しくなかったのですわ!」


 旧友コンビはそれぞれの感想を述べつつも物珍しそうに遠巻きにしている。


「なによ!」


「なんですの!」


「ふんっ!」


「フン!」


 ぷいっと顔を背け合う二人を見て周囲の困惑は深まるばかりだった。



* * *



「クレアラート様と喧嘩なんて、一体どうなさったんですか、お嬢さま」


 屋敷の自分の部屋に戻るなり受け取った鞄を放り出してベッドにダイブしたエルザを見てアニーはため息混じりに問いかけた。


「別に、私はいつも通りよ。悪いのはクレアだわ」


「お嬢さまがそこまで言うなんて、何があったんです?」


「あんなに頑固だなんて思わなかったのよ!」


 憤懣やる方なし、と肩を怒らせ鼻息荒く主張するエルザに、彼女を慕うアニーもさすがにたじたじである。


「頑固、といいますと?」


「言葉通りよ。私の言うことをひと欠片も理解してくれないどころか、間違いだなんて言うのよ!」


「はぁ。まぁ、確かにお嬢さまの言葉をそこまでキッパリと否定するのはクレアラート様にしては珍しいですが」


 もともと何だかんだ言いつつもエルザには甘かったクレアだが、交際を始めてからは輪をかけてエルザに甘いのはアニーやドールスたち、二人の共通の知人たちの間では周知の事実だった。


 どれくらい甘いかと言えば、基本的に威厳やプライドに固執するクレアが、エルザが甘えてすり寄ってくる時に限っては文句を言いつつも頭を撫でて軽く抱きしめるくらいに甘々である。ちなみに逆の場合もあり、クレアが甘えたそうにしているとエルザはニコニコしながら寄っていてばっと両手を広げるのがお約束となっている。その後クレアは赤い顔でおずおずとエルザに抱きつくまでがワンセットだ。

 そんなクレアなので、口では文句を言いつつもエルザのすることなら大概受け入れる、というのが恋人になってからの二人の関係として平常運転だったのだが。


「ちなみに、一体何を言ったんですか?」


 いつもと違う反応になったのなら、いつもと違うことを言ったのではないか。そう考えたアニーの質問に、エルザは相変わらず怒り心頭の様子で答えた。


「そうなの、訊いてよアニー! 私はね――」



* * *



「エルザとは当分口をききませんわ!」


「お、お嬢さまぁ」


 部屋に帰り着くなり鞄を叩きつけるように机に置いたクレアに、扉の横に控えるリムはたじたじだった。


「まったく、あんなに簡単なことがどうしてわからないのかしら」


「あの、エルザベラ様と喧嘩なさったんですか?」


 心底納得できない、という様子でブツブツ文句を言い募るクレアに、リムはおずおずと声を掛ける。


「喧嘩なんて優しいものじゃありませんわ。これは最早、戦争ですのよ!」


「せ、戦争!」


 素直に慄いてしまうリムであった。


「あのわからず屋が私の意見を聞き入れるまでは関係も解消ですわね。リム、貴女もそのつもりでいなさい。私の侍女なのですから、敵方と気安く接してはいけませんわよ」


「は、はい、わかりましたっ」


 主人の鬼気迫る様子に慌ててぶんぶんと首を縦に振った。怒れるクレアに逆らうと自分に飛び火しかねないことをよくわかっていたからである。

 とはいえ、いつも仲睦まじい二人を見守るのが最近の楽しみでもあったリムにとっては、クレアの不機嫌に自分が晒されることを差し引いても、二人の仲の改善は急務であった。


「あの、何があったんですか? いつもはあんなに仲良しなのに……」


「いつもがどうであれ、今回の件だけは絶対に譲れませんわ。エルザが私の意見を聞き入れれば済む話ですのに、あの子ったらあんな、あんな……もうっ!」


 ぐちぐちと文句を言いながらだんだん赤くなる主人を見てリムは。


(あんなに真っ赤になるなんて、とっても怒っているんですね……!)


 と、恐れをなしていたのだが――。



* * *



 翌日、学院内従者控室にて。


「リメールさん、少しよろしいでしょうか」


「アニエスさん?」


 比較的年の近い侍女たちと、のんびりした雑談を交わしていたリムに、普段はあまり話しかけてこないアニーが近寄ってきた。


「うちのお嬢さまとクレアラート様のことなのですが……」


「は、はい。それじゃ、えと、廊下に出ましょう」


 ちらりとリムと話していた少女たちを一瞥したアニーの視線を察したリムが退室を促すと、アニーもすぐに頷いた。


「お二人の喧嘩の原因は聞きましたか?」


 廊下へ出て扉を閉めるなり、アニーはすぐに本題を切り出した。


「わ、私は詳しいことは何も……ただ、エルザベラ様がお嬢さまの言葉を聞き入れないと真っ赤になって怒っていました」


 怖かったです、と身震いするリムとは対照的に、アニーはやっぱりかとでも言いたげな呆れたため息をついて脱力していた。


「その話を聞く限り、うちのお嬢さまから聞いた話に間違いはないようですね」


「アニエスさんは、喧嘩の理由を聞いたんですか?」


「ええ、まぁ……」


 どことなく歯切れの悪い様子のアニーにリムは不思議そうに首を傾げる。


「まぁ率直に言って大した理由ではないので、さっさと仲直りしてほしいのですが、そのためにリメールさんに少し協力をお願いしたいのです」


「は、はい! もちろん、私にできることなら!」


「ありがとうございます。では早速ですが――」



* * *



「どうしたのよアニー。見せたいものって、こんなところにあるの?」


「人目につきにくい方が良いので」


「ふぅん?」


 まぁ、この一ヶ月ばかりはいつも空き時間はクレアと一緒にいたから、今日に限ってはぽっかりと時間が空いている。こうしてアニーに付き合っている方が気が紛れるだろう……はぁ、クレアに会いたい。

 珍しく「見せたいものがありますのでお付き合い頂けませんか」と真剣な顔で頼んできたアニーに連れられて私が足を運んだのは、普段ならあまり立ち寄ることのない空き教室が並ぶ一帯だった。


 空き教室とは言っても完全に空っぽの部屋はほとんどない。これだけ規模も大きくて歴史も長い学院だ。使いみちが無くとも捨てられない遺物というのが山のようにある。この辺りはそうした過去の在学生たちの残していった厄介な置き土産やイベントなどに使われただろう使い切りの道具なんかが押し込まれていた。


「こちらです」


 アニーが示したのはそんな教室の一角だった。いつものようにアニーが先に扉を開けて私を促すので、素直にそれに従って教室の中へガチャッ。

 ……ガチャ?


「ちょっと、アニー!」


「おっといけない勝手に鍵がかかってしまいましたー。鍵をとってこないと開けられませんねー」


 棒読みだった。扉の向こうからは感情のこもらないアニーの声と一緒にちゃりちゃりと金属音が聞こえてくる。ちょっと、それ鍵の音でしょ! アニー鍵持ってるじゃない!


「では私は鍵を探してまいりますので、しばらくお待ち下さい」


「いやアニー鍵持って、ちょっと、待ってってば! アニー!」


「……無駄ですわよ」


「ひぁっ!」


 突然後ろから声をかけられて飛び上がる。慌てて振り返ると。


「く、クレア?」


「……貴女も来たということは、やっぱり私達は嵌められたんですのね」


「嵌められたって」


「私もリムに連れてこられたんですのよ。部屋に入るなり鍵を閉められたところまで同じですわ。まぁ、あの子は嘘がつけないのでずっと扉を押さえながら謝ってましたけど」


 ああ、なんか想像つくわそれ。クレアに出しなさいって怒られながら扉にしがみついて半泣きで謝り倒すリムちゃん。


「まったく、お節介な従者を持つと苦労しますわ」


「……そうね」


 ため息をつくクレアの肌にはうっすらと汗が浮かんでいる。気温がそれほど高いわけじゃないとはいえ、お世辞にも風通しが良いとはいえない部屋だ。部屋に篭もった埃っぽい空気は、少しこの場に滞在しただけでも汗を滲ませるくらいの暑さはあった。

 クレアがどのくらいここにいたのか知らないが、来たばかりの私でも軽く制服の胸元に風を送りたくなるのだ。私より先に部屋にいたクレアは結構な蒸し暑さを覚えていることだろう。

 ……なんか、いいな。うん、いい。


「まぁ、せっかくのお節介ですし? 貴女が自分の間違いを認めて私に謝罪すると言うなら――」


「ねぇクレア」


「なんですの、まだ私の話は終わっていませ」


「寂しかった」


「なっ」


 途端に真っ赤になるクレアの手を取る。握った手も少し汗ばんでいた。


「クレアは? 私と会わない一日、寂しくなかった?」


「べ、別に、寂しくなんて」


「ほんとに?」


「っ、あ、ちょっと」


 掴んだ手をぐっと引くと、抵抗なくクレアが倒れ込んでくる。抱きとめると、綺麗なうなじが目を引いた。


「いい匂いがする……」


「やっ、ちょっエルザ! だめです、私汗を」


「ん、私も同じ。それになんか、いつものクレアの匂いと汗が混じって……えろい匂い」


「〜〜〜っ、もう!」


「あたた!」


 クレアの匂いを堪能していたら抱き合ったまま背中をつねられて思わず悲鳴をあげる。


「私も寂しかったんですから、もう少し仲直りの雰囲気というか、そういうのをですね」


「だって、クレアを見てたら喧嘩とかもういいかなって。意見が合わないとか、そういうのよりもクレアと一緒にいられない方がヤだなって、わかったし」


「ほんと、貴女は」


「ね、クレア、ちょっとだけ。いいでしょ?」


「……言わせないでくださいまし」


「ん、じゃあ……するね」


 厚く積もった埃が舞い上がる。

 クレアの火照った首筋の熱に触れて、目眩を覚えるほどの興奮に身を任せた。



* * *



「結局喧嘩の原因は何だったんだ?」


 二人を空き教室に閉じ込めて手持ち無沙汰となったアニーとリムが廊下を歩いていると、昨日に引き続いてドールスとミリーに遭遇した。

 ドールスの、答えを聞く前から既に呆れた調子の質問にアニーも呆れたため息と共に答える。


「どちらが可愛いか、で喧嘩になったそうです」


「は?」


 ミリーがこれ以上無いほどにジトっとした目でアニーを睨む。もちろんアニー自身を睨みつけていると言うよりは、その口から飛び出したあまりにしょうもない理由に呆れているのである。


「お嬢さまはクレアラート様が、クレアラート様はお嬢さまが、世界で一番可愛いと言って互いに一歩も譲らず……その結果見解の相違だと諍いになったそうです」


「しょーもねぇ」


 ドールスの感想にアニーも「ですね」と頷く。


「で、でもでも、お互いに大好きなのはいいことですよ!」


「それで喧嘩していては世話がありませんわね」


「あう」


 リムの精一杯のフォローも、ミリーの一言であっさりと意味を失う。


「ですので、荒療治で十分と判断しました」


「ま、そうだな。可愛い可愛い恋人と二人きりにしときゃ、勝手に仲良くなるだろう」


「心配なのはうちのお嬢さまの理性のタガくらいですかね」


「……それは大丈夫なんですの?」


「さぁ?」


 どうにでもなれ、と言わんばかりのどことなくやさぐれた雰囲気のアニー。彼女の心配がまさに同時刻的中し、鍵のかかった空き教室は悩ましい吐息に濡れていたりするのだが、それはともかく。

 喧嘩するほどなんとやら、とはよく言ったものだと、侍女と旧友たちは何度目かのため息をつくのだった。

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