幸福の選択

「ふざけているつもりはないぞ」


 ユベルは表情を変えることなく私を見据えていた。私の怒りを見透かすようなその目が、今は殊更に気に障った。


「ではまさかとは思いますが、先程の言葉が本心だと仰るので?」


「本心だとも。俺が君を謀る理由がどこにある?」


「さて。これでも私は侯爵家の娘ですわ、騙す理由と価値くらいあるのでは?」


「心外だな。そんなやり方は無意味に君を傷つけるだけだ。好ましくない」


「クレアを傷つけてばかりの貴方にそう言われても信用できかねますわね」


「…………」


 ユベルは一度瞠目し、改まって私を見る。纏う空気は、王子のそれに変わっていた。


「建設的な話をしよう、エルザベラ・フォルクハイル」


「貴方にそんな話ができるかしら」


「可能な限り腹を割って話そう」


「そう。可能な限り、ね」


 私の口調もいつもの大雑把なものになり、ユベルは王子として口を開く。これが腹を割って話すということなら実に簡単で、そして中身がない。言葉を繕ったところで人の本心など――。


「私はマリーを妻に迎えたい」


「……は?」


 思わず聞き返した。


「言ったろう、腹を割って話したいと」


 堂々と言い放たれたユベルの言葉。もちろん、それが彼の本心であることは誰よりも私がよく知っている。ゲームでの彼が選ぶのは、婚約者を排して恋人を選ぶ道だ。

 だがそれをこうして私に告げる? 一国の王子としてこの上なく愚かな発言であることくらい、ユベルも理解しているはずだ。王族と貴族の婚約は当人同士ではなく家の意思によるもの。本来であれば個人の意思で反故にすることは許されない。強引に婚約を破棄すれば、それは家の信用を失墜させる。

 ゲームでユベルがそれを選択できたのは、クレアのマリーに対する攻撃が目に余る域に達していたからだ。逆に言えば、そうするだけの「理由」がなければその選択を実行することはできない。


 現状でクレアのしたことと言えばマリーの所持品をいくつか隠したり壊した程度。公爵家の影響力を加味するなら、王族といえども婚約破棄の理由にするには小さすぎるはずだ。

 実行不可能である以上、王子としては浮気という醜聞でしかないことを私に話す以上、それは少なくとも一定の信用を示す行為だと言える。


「……わかったわ、腹を割って話しましょう。それで? それを私に伝えてどうするつもり? 言っておくけれど私はクレアの味方よ。内容次第ではこの話は公爵さまの耳に入るわ」


「わかっている。言ったろう、建設的な話をしようと」


「どうしたいの?」


「私がマリーと婚約するなら、必然的にクレア……いや、クレアラート嬢との婚約は破棄しなければならない」


「クレアに、捨てられた女だという誹りを受けろと?」


「無論私に出来る便宜は図る。クレアラート嬢の名誉回復のために手を尽くすと約束しよう」


「だから婚約破棄を受け入れるよう説得しろとでも言うつもり?」


「そうは言わない。私が君に願うことは一つだけだ」


 ユベルはそこで一度言葉を区切ると、深く息を吸って、吐いた。そして。


「彼女を、幸せにして欲しい」


 口にした。あまりに恥知らずで、愚かで、誠実な願いを。


「私との婚約を維持したところで、クレアラート嬢に幸せは訪れないだろう。だが、彼女が婚約破棄を望んでいないのも事実だ。家の意向から逸れることを、彼女は望みはすまい」


 それでも、と彼は言い募る。


「遠からず私は彼女に婚約破棄を告げるつもりだ。その時、君には彼女の味方でいて欲しいと思っている」


「……あまりに無責任ではないかしら?」


「そうだな。だが、ならば君は私が責任を果たすためだけに彼女と一緒にいた方がいいと思うか?」


「――貴方を殺してでもクレアを救うわ」


「…………聞かなかったことにしよう。誰かの耳に入れば君が殺されかねない」


「どうも」


「それで、どうだ。私の話に乗ってくれるかね?」


「お断りよ」


「理由を訊いても?」


「クレアが望まないもの」


「彼女の幸福がそこになくてもか」


「未来のために、今の彼女を不幸にはできないわ」


 そうだ。私の希望とユベルの要望は親しいようでいながら相容れない。未来のクレアを幸せにするという部分は一致するが、私は今の幸福を積み重ねて欲しいのに対してユベルは今あるものを壊して立ち直れと言う。恋愛感情に対しては誠実な言葉だが、同時に目の前にある「今」に対して酷く無責任で乱暴だ。


「では君は、彼女が望まないまま私との婚約を続けるのが望みか」


「違うわ、私はクレアの意思を尊重したいの」


「それはもちろん、私もそのつもりだ」


「貴方は一方的にクレアに婚約破棄を突きつけるつもりなんでしょう? そしてその後始末を自分がすればいいと思ってる」


「そうではない。許されるとは思っていない。彼女には恨まれても仕方がないとわかっている」


「いいえ貴方はわかっていない。貴方はクレアをただの婚約者としか見ていない。政略結婚に利用された、憐れな道具だって」


 だから、と私は威嚇するような攻撃的な意思を込めた視線を向け、ユベルに詰め寄った。


「貴方なんかに、クレアは絶対に渡さないから!」


 そうだ、自分だけに選択権があると思うこと自体が王族の傲慢だ。クレアにだってエルトファンベリアではないクレアラートとしての意思があり、そこには「選ばない権利」だってあるのだということを、教えてやらなくてはならない。


「貴方が婚約を破棄するんじゃない。貴方は惨めにもクレアに捨てられるのよ」


 そしてその時、クレアは確実に舞台から降りるのだ。断罪の危険から逃れ、悪役令嬢ではなくなる。そしてやっと、ただのクレアラートとして生きていける。

 それが、私が目指さなくてはいけないゴールだと思ったのだ。

 ユベルの提案を受けても、断罪は回避できるのかも知れない。けれどそれでは、結局ゲームと同じなのだ。クレアは道を誤り、婚約者に見限られた悪役令嬢ということになってしまう。それでは、私がいる意味がない。


 私は変えるのだ、環境の被害者であり、状況が加害者にさせてしまったゲームのクレアを。自分の意志で、幸せをつかめるように。


 クレアを幸せにするのは、ユベルでも、私でもない。

 いつだってきっと、クレア自身なのだ。

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