応酬

 心持ちが違えば、同じ意味の言葉を発するにしたって選択基準が変わる。昨日の昼間の私だったら、呼び出した殿下への第一声にも慎重に言葉を選んだだろう。何と言ってもゲームでクレアを断罪する張本人だ。原因はクレアとマリーの因縁にあるけれど、最後にそれを決め、実行できる力を持っているのは間違いなく殿下その人だ。

 だから感情を度外視すれば、私が最も対応に気を遣い反応に怯えなくてはいけない相手がどこの誰かはハッキリしているはずだった。


 繰り返しになるけれど、昨日の昼まで、或いは放課後までの話だ。

 アニーの激励を受けた私は同じ意味の言葉でも違うものを選ぶ。実際に翌日の学院で呼び出しに応じて中庭に現れた殿下に私がかけた言葉は。


「申し開きをお聞きしますわ、バカ王子」


 これだった。


「……すまないが、まずは説明してくれないか」


 喧嘩腰の第一声にこんな返答ができるあたり、ユベルは王族としては本当に寛容な部類だと思う。普通なら、私はこの時点で衛兵を呼ばれて学院から引きずり出されても仕方ないのだ。

 けれど、それが私の怒りを収める理由になるかと言われれば、そんな訳がないのだ。

 王族として寛容。うん、実に良いことだと思う。気遣いのできる、物腰穏やかな、博愛主義で、自分より他者が傷つくことに怒る王子。まさに王道の攻略キャラクターとして正しい。


 それがどうした。


 王子として、なんて私にとって何の意味も持たない価値の尺度だ。豚に真珠、だっけ前世のことわざ。この場合は私が豚で殿下が真珠。不愉快な例えだけど、的外れじゃない。王子という「力」はほとんどの人間が欲しがる。どんな形にせよ、味方につければ恩恵がある。なのにその価値を理解しないのが私。当然、私の目に真珠は石ころに映る。


「クレアに何をなさったのかしら」


「特に何もしていない、と思うが」


「白状したわね、婚約者甲斐のない男ですこと」


「……それについては、申し開きの仕様がない」


「自覚があるようで何よりですわ。でも、私が聞きたい言葉がそれでないことくらい、おわかりですわね?」


「マリーの件だろう」


 私は無言でもって応える。私の口でイエスとは言えないけれど、マリーの私物を壊して捨てた犯人は、彼女の身辺を知るものなら簡単に予想がつく。当事者の一人であるユベルが気づいていないはずがなかった。もちろん今日も同じことが起こったらしいと朝のうちにアニーから報告を受けている。


「申し訳ないが、その件については本当に思い当たる節がない」


「何もしていない、と?」


「例の、何だったか、ダブルデートか。あれ以来彼女とは個人的な接触はない。王家の証に誓える」


 校章とは別に彼の制服だけに特別にあしらわれた紋章に触れてユベルは断言する。そこまでされて疑うほど、私も頑なじゃないつもりだ。

 というより、その可能性も十分予想していたというべきだろうか。このバカ王子のことですもの、気づかないうちに何かしていた、という方がよっぽど有り得そうだった。


「では質問を変えましょう。デートの後、マリーとは何度お話を?」


「同じ学年で同じ講義に参加する友人だ。特に数えるまでもないくらいの会話はいくらでもしたが……そうだな、特別な一件というなら例のデートの後、視察中に行き合って一緒に散策したくらいか」


「……正気を疑いますわ」


 頭を抱えたくなった。体裁だけのダブルデートとはいえ、婚約者とデートした直後に素知らぬ顔で別の女と会うなんて。


「友人と会うのがそんなにおかしいか?」


「ただの友人と言い張るおつもりで?」


「…………」


 初めてユベルの表情が歪む。痛みを堪えるような顔だった。

 勝手に苦しむな、と憤る半面で、同情する私もいる。クレアへの気持ちを自覚した今ならわかる。この気持ちは、理性なんてか弱いものじゃ御しきれない。


「君はどうなんだ?」


「どう、とは?」


「君にとってクレアは。彼女はただの友人か?」


「最愛の友人ですわ」


 私が持てるすべての愛を捧げるに足る、ただの友人だ。もちろん、友愛だけじゃない。親愛も、情愛も、恋愛も、全ての矢印が彼女を向いている。


「俺も、そう答えたい」


 絞り出すようにユベルがぼやく。思い通りにならない感情に歯噛みするようだった。


「この場はオフレコ、ということに致しませんこと?」


「オフ……なんだって?」


「この場での会話の一切は口外しない、ということですわ」


「…………いいだろう。俺も一度、君とこうして話すべきだと思っていた」


「怪しいものですわね」


 そう言って私たちは一度、揃って目を閉じる。言うべきこと、やるべきこと、聞くべきこと、その一つ一つを確かめて、ゆっくりと目を開けた。


「――以前、君は言ったな」


 先に口を開いたのはユベルだった。


「さて、どの言葉でしょう」


「クレアを不幸にする俺を認めないと」


「言ったかもしれませんわね」


「あれ以来ずっと考えていた。王家の婚姻に、当人たちの幸福などあり得るのかと」


「……それで?」


「私にとって婚約とは、家と民のための義務だった。受け入れ、受け止め、執り行う。そういうものだと思っていた」


 その在り方は、クレアによく似ている。自分の意思や感覚を諦めた人間のそれだ。


「俺はクレアを幸せに出来ないという君の言葉は正しい。そしてきっと、クレアも俺を幸せにしようとは思わないだろう」


 その価値もあるまい、と自嘲する顔はやはりどこかクレアに重なるものがあった。


「俺の婚約は、王家と民の繁栄のために利用されるべきものだ。この婚約で幸せになる人間がいるとすれば、それは民衆をおいて他にいない」


 それはきっと、立派な言葉なのだろう。王子として、彼は正しすぎるほどに正しい。自分自身の幸福を殺して、民のために使う。上に立つものとして、素晴らしい心構えだった。

 私にはそれがひどく歪に見える。

 クレアが家によって抑圧されていたように、きっとユベルは王子という肩書に歪められている。


 王子としては立派で、正しい。

 でもそれは、一個の人間として、とても歪んでいる。


「だが君の言葉で、私は疑問を得たのだ。本当にそれだけなのかと」


「……回りくどいですわね。結論は、私でも予想がつきましてよ」


「そうだな、酷い遠回りだった」


 ユベルは苦笑する。笑顔が苦手なくせに、自分をあざ笑うのだけは妙に手慣れていた。


「――幸せにしたい相手がいるのだ」


「クレアだと仰って頂きたいものですわね」


「そうだな、そう答えるのが正しいのだろう」


 もちろん違う。後に続く名前なんて、ずっと前からわかりきっていた。


「それでも、殿下にはクレアを選んで頂きますわ」


「……彼女がそれを望まないだろう」


「いいえ、クレアは望んでいます。でなければマリーナ様の身に起きていることに説明が付きませんでしょう?」


「嫉妬だと、そう言うのか?」


 いかにもあり得ないという顔をするユベルに肩をすくめてみせる。


「そう単純とは限りませんが、いずれにせよ殿下との婚約に執着がなければこのような事態にはならなかったでしょう」


 クレアの真意を、私が全て推し量れる訳ではない。それでも、クレアの突然の攻勢は積み重なったマリーへの敵意と無縁ではないはずだし、マリーを攻撃する最も大きくわかりやすい理由は殿下との婚約だ。


「この婚約で、クレアが幸せになると思うのか?」


 自信なさげな言葉とはかけ離れた、挑みかかるような強い調子だった。

 もちろん、この婚約がクレアにとって前向きなものとは思わない。それでも、クレア自身が彼女の価値を認めるために、それはきっと必要なことだ。

 地位と権力は、クレアにとって呪いであり、そして同時に安息なのだと思う。それが無いことに息苦しさを覚え、それを手にしていることに安堵する。そして、失うことを何より恐れる。


「……クレアのために、どうかご意思をお曲げください」


 私は頭を下げる。深く、深くだ。


「マリーナ様はお強い方です。きっと殿下のお力を得ずともいずれは周囲からも認められましょう。ですがクレアは」


 クレアは違う。彼女は一人では破滅してしまう。


「彼女を幸せに出来る人間がいるとすれば、それは俺ではあるまい」


「いえ、殿下でなければ」


「君だ、エルザベラ嬢。彼女を本当の意味で幸せに出来る人間がいるとしたら、それは君しかいない」


 ……は?

 確信の籠もった言葉に思わず顔を上げてしまう。ユベルはじっと、こちらの瞳を見据えていた。

 私が、クレアを幸せに。

 最もクレアの幸福の実現に近い場所からの言葉に、私は。


「――――ふざけないでくださいな」


 頭が沸騰するほどの、怒りを覚えた。

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