年上侍女、激励する

 こういうのも失恋と言うのだろうか。


 自室のベッドに倒れ込んだままぼーっと天蓋を見つめていると、否が応にも自覚したばかりの自分の気持ちと向き合うことになる。


 クレアが好き。好き? うん、好きだ。


 肯定することに迷いはない。

 女の子同士、というのは少し変だろうか? 変? うん、そうかも。


 でもそうかもしれないからといって、この気持ちそのものを否定する気にはならない。それ自体に曇りや陰りはなく、熱を帯びた感情が思考を加熱させることを、どこか心地よくさえ感じる自分を自覚している。

 前世の私はこんな恋をしていただろうか。覚えのない感情に触れる感触と共に記憶を手繰ろうとするけれど、元より曖昧な記憶の中にそれらしいものはない。もちろん、エルザベラとして生まれてからの十五年にも、そんなものはない。

 正真正銘、とまで言い切れるかはわからないけれど、少なくとも記憶にある限り私にとってこれが初めての恋だ。

 初めて抱くこの気持を、進んで手放そうとする私は愚かなのだろうか。


 でも、だったらどうしたらいい?


 クレアが王妃の地位を望むなら、私の気持ちは役に立たないどころか邪魔になる。女同士であることが問題じゃない。王子殿下の婚約者であることが問題なのだ。

 王家に側室というのは付き物だが、この国に女王がいたことはなく、王妃の側の不貞は醜聞にしかならない。クレアの気持ちが実際にどうであるかは問題ではなく、疑わしいことが問題なのだ。

 今までの私は自分の気持に無自覚だった。だからこそ出来ていたスキンシップも振り返れば危険でしか無い。次期王妃に不貞の疑いがかかるような真似をしていたなんて、クレアのためというなら絶対にしてはいけないことだった。


 ……潮時というものがあるなら、それはもうそろそろかもしれない。

 するべきことはもう、それほど多くはない。明日にでもユベルを捕まえて話を聞く。その内容がどうであれ、私はユベルにクレアとの関係改善を直接頼むのだろう。そして、恐らくクレアが行っているであろうマリーへの嫌がらせをやめさせる。


 それで、全部終わりだ。


「自信過剰」


 口に出して自分をそう評する。王子を説得するとかいじめを止めるとか、簡単にはいかないだろうことを出来る前提で考えている自分に苦笑する。結局、クレアへの気持ちの前ではそんなもの些事でしかないのだろう。


 事物の価値観を狂わせるほど、この気持は大きく、重い。


 気づくのが遅かったからだろうか。気づかないまま大きく育ってしまった気持ちは、吐き出すことも握りつぶすことも、できそうにない。もっと早く自覚していれば、もっと簡単に押し込められたのだろうか。そんな気もするし、いつ気づいていたって無駄だったという気もする。


 こんこん。


 ノックの音に意識を引き戻される。ベッドから起き上がろうとして、手足の重さに驚いた。身を起こすのが億劫で、縮こまるように寝返りを打った。


 こんこん。


 疲れて眠っているフリをしようか迷っている間に、扉は勝手に開いた。


「起きてらっしゃるならお返事くらいなさってください」


「……アニー」


 勝手知ったる、といった様子で平然と入ってきたアニーを、力の入らない目を懸命に細めて睨む。ちっとも堪えた様子はなく、アニーはしずしずとこちらへやってくると私が縮こまったまま転がっているベッドに腰を下ろした。


「主人のベッドに座るなんて、メイドの風上にもおけないわよ」


「いいじゃないですか、無駄に広いんですから」


「無駄って貴女ね……」


 まぁ、確かに無駄に広い。前世の私のベッドを2つ並べても少し余る。一人で使うには大き過ぎだった。


「どうしたんですか。今日、ずっと変でしたよ」


 いつもより少し柔らかな声音に、アニーが侍女として部屋を訪れた訳ではないことを察する。時々、本当に時々だけど、アニーはこうしてまるで姉のように振る舞う時がある。多分、私がそれを望んでいるからだろう。察しが良いのは昔からだった。


「……別に、変じゃないわよ」


「私に嘘がつけると思っているのですか?」


「…………」


 無理だろうな、と他人事めいて思ったけれど、素直に認めたくなかった私はシーツに顔を埋めて答えにした。


「私では、お役に立てませんか?」


「私の問題だもの」


「エルザ様の問題は、私の問題です」


 お嬢さまではなく、名前で呼ばれる。こういう時のアニーは頑固だ。抗える気がしない。だって、本当は私が聞いて欲しがっているのだと確信しているから。

 その確信は正しい。私はきっと、誰かに、信頼できる誰かに、洗いざらい話してしまいたいと思っている。


「アニーは、さ」


「はい」


「恋を諦めたことって、ある?」


「……ありますよ」


「そっか」


 あるんだ、と反芻して、そりゃあるか、と思い至る。そもそも、私とアニーの出会いはそんな問題に起因している部分も大きい。そのアニーが今も私の隣りにいてくれるというのは、アニーはいつか語った恋を諦めたということなのだろう。


「諦め方、私にも教えてくれない?」


「お望みとあらば」


 一切の迷いなく、アニーは頷く。え、と声を上げる間もなく身体を転がされ、隣に座っていたはずのアニーが私を見下ろしていた。

 アニーが、私に、馬乗りになっている。


「……アニー?」


「エルザ様が望むのなら、いくらでも忘れさせて差しあげます」


 いつもの無表情のままのアニーが淡々と告げる言葉に、ジクジクと胸の奥がうずく。


「諦めるまでもなく、無かったことにしてしまえますよ」


「あ、に」


「――私なら」


 ぐっと、キツく肩を握られる。


「私なら、貴女にそんな顔はさせません」


 誓えますよ、とまっすぐな視線が私を射抜く。痛みを伴う視線から、私は逃げられない。目を逸らすことさえ許されない。アニーの強い視線が、私の視線を縛って身動きを封じるような、そんな錯覚を覚えた。


「……エルザ、さま」


 身動きを封じられた私に、アニーがゆっくりと上体を倒して身を寄せてくる。人形のように整った顔が目の前に迫って、ごくりと生唾を飲んだ。綺麗な銀色の髪が一房、私の顔を撫でる。


「忘れさせますよ、きっと。思い出したって、何度でも。貴女がそれを望むなら」


 前髪が顔を撫で、かすかに乱れた吐息が交差する距離まで近づいて、それでも接近は止まらない。わけもわからず、反射的に目をつぶった。


「――忘れさせ、たいのに」


 私の耳に、震える吐息が届いた。

 ぽつり、と何かが閉じた瞼に落ちて、私は目を開ける。


「……なんで、貴女が泣くの? アニー」


「泣いて、ません」


「嘘」


「嘘じゃ、ありませ、ん」


「私に嘘がつけると思うの?」


「つけます。ついて、きました。隠して、きたのに」


 震える息を吐いて、肩を揺らして、私を組み伏せるような姿勢のまま、アニーの頬を伝う涙は止まらない。


「どうして、エルザ様にそんな顔を、させてしまうのでしょうか」


「え」


「貴女を困らせたく、なかったから、だから、言わずに、お仕えするだけで、幸せになってもらえる、だけで、いいって」


 小刻みな言葉は嗚咽を隠しきれず、いつもの無表情は影も形もない。

 私より十も年上なのに、ともすれば私よりずっと幼い顔で泣くアニーを、初めて見た。


「それなのに、どうして、そんな顔を、するのですか。どうして、こんなこと、させたんですかっ!」


 ぱたたっ、と音を立ててアニーの涙が降り注いだ。


「ごめんね、アニー」


「…………いえ、私こそ」


「ありがと」


「いえ、私はお嬢さまのものですから」


「……うん。アニーは私のだから。アニーがそう思ってくれる限り、ずっと」


 卑怯、だろうか。私はずるいのだろうか。

 こんなに真っ直ぐにぶつけられた気持ちに応えられないくせに、彼女にそばに居て欲しいと思っている。身勝手が許される環境が、ひどく私を甘やかす。

 でも、嘘で応えるのは違うよね、と思う。だってアニーが、こんな風にしてまで私に言いたかったことは。


「諦めなくても、いいのよね?」


「……はい」


「そっか……そっ、かぁ」


 アニーはずっと、そのままでいてくれた。そのままで、私の幸せを願ってくれた。そうして、そばに居てくれた。


 彼女は、生き証人だ。

 私はクレアを好きなまま、クレアの幸せを願って、一緒にいられる。

 多分。きっと。絶対に。

 自分の気持ちを、否定しなくていい。それだけで気持ちが軽くなった。


「私は、幸せ者ね」


「お嬢さ、」


「エルザ」


「は?」


「いまだけ、エルザでいいわ」


「……エルザ、さま?」


「違う、エルザだけでいいのよ」


「……………………エルザ」


「うん」


 ぐっと、私に覆いかぶさるアニーの身体を抱き寄せる。抵抗は弱く、簡単に私の胸に抱き込めた。


「ありがと。ありがとう、アニー」


「エルザのためなら、いつだって。何だって」


 頷く代わりに、震える身体を抱きしめる手に力を込めた。


「……諦めないで、ください。幸せ、を」


「頑張ってみる、よ」


 素直に頷けないのは、私が子供だからだろうか。

 クレアへの気持ちに蓋をするべきだという、その考えは変わらない。でも捨てるのと隠すのは違う。

 恋は諦める。でも、諦めるのはそれだけだ。


 この胸にある『好き』は諦めない。

 私はずっと、好きなものを好きでいる。


「……ぐずっ」


 私のために、隠していたそれを明かしてくれた彼女に、せめて恥ずかしくないように。

 鼻をすする彼女の柔らかい銀糸の髪を梳かしながら、重苦しい息を吐き出す。

 次に吸い込んだ息は、すっきりと軽かった。

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