主人公
噂が巡るのは早かったが、それはマリーナ王女の教材が壊されていたという事実のみで、誰がそれを行ったかについてはこれといった根拠ある憶測は出ていなかった。だからその噂を耳にしただけで犯人が誰であるかに確信を持ったのは私だけだろう。
「クレア!」
「あらエルザ。そんなに慌てて、どうかなさいましたの?」
お昼になるのと同時に教室に飛び込んできた私を見てクレアは目を丸くした。
「来て」
「ちょっと、痛っ、エルザ!」
強引にクレアの手を引いて走り出す。今は時間が惜しい。
昨日と同じく人気のない中庭までやって来たところでようやく手を離す。
「ちょっ、はぁ、エルザ、貴女、っは」
「はぁ、はぁ」
二人揃って乱れた息を整えながら向かい合う。全力疾走で息こそ乱れているが、クレアの表情に焦りや動揺はなく落ち着いている。それが何を意味するものか、私には推し量れない。
「……ねぇクレア。どうしてなの?」
「何がですの?」
ようやく息を整えた私たちの言葉は、はじめからすれ違う。
「お願いだから、私には隠さないで。噂になってるあれ、クレアがやったんでしょう?」
「どの噂ですかしら。私ほどになると、真偽を問わず噂には事欠きませんの」
「マリーナ様の噂よ!」
はぐらかすようなことばかり言うクレアに、ハッキリとその名前を告げる。クレアは険しい顔で私を見た。
「……何か、私を疑うだけの証拠がございまして?」
「それは、無いけど、でも」
「では、話はこれまでですわ」
「待って!」
さっさと立ち去ろうとするクレアの手を掴んで引き止める。振り返ったクレアは、ギロリとキツイ目を私に向けた。
「っ」
思わずたじろぐ。こんな目を向けられるのは本当に久しぶりだった。マリーを見るような憎しみの籠もった目でこそなかったけれど、そんなのは何の慰めにもならない。
でも。
「お願い、クレア。話して」
引き下がるわけには、いかない。嫌われるのは仕方がない。クレアの意に沿わないことを、いま私はしているのだから。
それでも私はやらなければいけない。それがどんなに身勝手で傲慢だとしても、クレアを破滅の未来から救わなければいけない。それが出来るのは顛末を知る私だけなのだから、例えクレアに嫌われたとしても、私は。
「では私からも、お願いしますわ」
「え?」
「今はどうか、何も聞かないでくださいまし。全てが解決したら、その時には貴女の質問に全てお答えしますわ」
そう言ってそっと、彼女の手を握っていた私の手が外される。
信頼と拒絶を同時に示されて、私は二の句を失う。
何もないとは言われなかったし、自分じゃないとも言わなかった。明確に言葉にしていなくとも、それはクレアが例の噂の犯人だと認めたということ。その上で彼女は、私がこの一件に関わることを拒否したのだ。
止めないわけにはいかない。それは変わらない。
でも、じゃあ、どうやって?
「お話がそれだけでしたら、これで失礼しますわ――私も、暇ではございませんの」
そう言って立ち去るクレアを、今度こそ引き止めることができなかった。
ねぇクレア。どうして今になって、なの?
* * *
「ちょっといいかしら?」
「え、あ、はい……?」
突然教室に現れた私に面食らったような顔をしながらも、彼女、マリーナ・ツェレッシュはそれほど迷うこと無く頷いた。
放課後を待って、私はマリーナを尋ねていた。クレアがマリーナをいじめるその直接的なきっかけが何だったのか、まずはそれを知りたかったのだ。
二人が相容れないことはわかっているけれど、それは根本的な原因であって、今まではくすぶる程度で済んでいた問題だったはず。にもかかわらずクレアが急に攻勢に出たのなら、この数日の間に原因となる出来事があったはずだ。そう考えれば、その原因にマリーナ本人が関わっていると考えるのは当然だろう。
例によって、私は中庭へとマリーを案内する。ゲームで複数の重要イベントに関わる場所だからか、基本的にこの場所は必要な時にはいつも静かだ。普段から全く人気がない訳ではないはずだから、何らかの力が働いているんじゃないかと疑わしくなるけれど、好都合であることは間違いない。
「あの、エルザベラ様、私にお話って」
「回りくどいことをしている時間はありませんの。ですから単刀直入にお聞きしますけれど、クレアと、何か問題でもございまして?」
「……それ、は」
視線が泳ぐ。明らかに「何かあった」反応だ。
「何かありましたのね?」
「それは、その」
「他言は致しません、どうかお教え頂けませんか」
躊躇わず頭を下げる。私にはマリーに提示できる報酬も交渉材料もなく、それを用意している時間もない。誠意を見せる以外に方法はなかった。
「あ、頭を上げてください!」
「お願いします、どうかクレアとのことをお教えください」
「わ、わかりましたから! 私にわかることはお話します!」
そう言われて私が顔をあげると、マリーは幾分ホッとしたような顔をする。今更だけど、ゲームでの彼女の性格を考えたら、ちょっと卑怯な聞き方だったかしらね。彼女が直球に一番弱いことを、私はよく知っていたわけだし。でも、それでクレアを助ける情報が得られるなら、気づいていても私は躊躇わなかっただろうけど。
「それで、何がありましたの?」
「その、少し前のことなのですけど」
ためらいがちに口を開いたマリーから語られたのは正直言って寝耳に水というか、まるで予想していなかった話だった。
あの殿下へのお弁当作戦の時、二人の間に起きた揉め事。何事もなく上手くいったと微笑んだクレアの口ぶりからは想像できなかったことだ。
「そんなことがありましたのね。クレアの友人として謝罪しますわ」
「いえ、そんな」
「そして、同じくクレアの友人として、貴女の行いに抗議する権利も、私にはありますわね」
「! ……はい」
マリーは少し驚きつつも、神妙な顔で頷いた。本人も、自覚はしていたらしい。
「貴女、よくもそんな恥知らずな真似ができましたわね」
「…………」
「人を好きになるなとは申しませんわ。けれど、貴女はもうただの町娘ではありません。それどころか貴族ですら無い、王族です。私より、クレアより、その立場と責任は重いものです」
「はい」
「以前にクレアが言ったこと、あれは決して大げさではありませんよ。婚約者のいる身である殿下と貴女が必要以上に親しく接することは、殿下にとっても決して良いことではありません。貴女が誰の血を引いているか考えればおわかりでしょう?」
「……はい」
そう、マリーは先々代王の血を引く傍流としてツェレッシュ家に入ったのだ。その風聞も、それがもたらすであろう混乱も、彼女自身が身に沁みて知っているはず。
「にも関わらず何度も殿下に近付こうとする、その愚かさはご理解頂けますね?」
「はい……でも」
「でも、何です?」
「それでも、私の気持ちは変わりません。私は、殿下を傍でお支えしたい。その気持に、嘘はつけません」
真っ直ぐな言葉だった。愛を見据えて、感情に従うことを肯定する。時にそれが愚かでも、間違いでも、信念と豊かさを以て過ちすらも力に変える。
それはまさしく、紛れもなく主人公の言葉だ。
私にはそれを否定することは出来ない。だって前世の私は、そんな夢物語に確かに憧れていたのだから。
主人公の言葉を覆せる悪役令嬢などどこにもいない。私も、クレアも、私たちはどこまで行っても悪役令嬢でしかな――。
「それは、エルザベラ様も同じでしょう?」
「――は?」
予想外の切り返しに、私はポカンと口を開けてしまった。
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