少しだけ、今だけ

 クレアの様子がおかしい。


 それに気づくこと自体は私には簡単なことだ。けれど重要で難解な問題はその後。どう接するか、の方に集約される。

 そうは言っても最近はクレアの方から積極的に私と関わってくれることも増えてきているし、彼女が話したいと思ったタイミングで話したいことを言ってくれるのが一番いい、と思ってひとまず待ちに徹していたのだけど。


(…………来ない)


 おかしい。いや、おかしくはないのかも知れないけれど、まずいんじゃないの、これは。

 クレアとの間に壁を感じる。

 雑談、というほどワイワイした感じではないけれど、最近では昼食や講義の合間には益体のない話にも付き合ってくれるようになったし、時にはクレアの方から話題を振ってくることもあるくらい打ち解けてきている。


 マリーとも食堂の一件以来ぶつかっている様子はなかったし、殿下との関係も順当に平行線。このままなら問題なく断罪を回避できるんじゃない、なんて楽観視し始めていたのに。

 あのダブルデート以来、クレアの様子がおかしいのだ。

 照れているとかそういう類の反応なら、私だって「かわいい!」と能天気でいられたのかもしれないが、実際には落ち込んでいるというかふさぎ込んでいるというか。どことなく消沈したような、けれど何か見据えているものがあるような……正直、複雑過ぎて一体どれが根幹にある感情なのかさえハッキリと読み取れない。


 というか、正直な所感で言うなら読み取れないというより、読み取らせてもらえない、が正しい。どことなく気を張っているというか、私に対しても何かを隠しているような、そんな空気を感じるのだ。


 声をかければ返事をしてくれるし、いつものように隣に並んで講義を受けてもいる。物理的な距離は別に離れているわけではないし、何気ない会話がないわけでもない。

 ただ、殿下のことを話題に出そうとするとふっと別の話題に移って話を逸らしたり、クレアの方から話題を振ってくれる時はともかく、私から話しかけようとすると視線を泳がせたりする。

 直接的に避けられている訳ではないし、嫌われている訳でもないと思う。クレアの方から話しかけに来てくれる時点で、私が記憶を取り戻した時点よりも友好的なはず。


 だからやっぱり、聞かれたくないこと、私に隠したいことがあって多分それは殿下に関係している。そこまではわかるんだけど、肝心のその中身については全く心当たりがない。

 殿下のことと言っても、最近のクレアは殿下との間に丁度よい距離感を見つけつつあったはずなのだ。ダブルデートの最中だって険悪になるようなこともなく、それなりに会話をしていた様子ではあった。


 それが急に、となるとまるで原因に想像がつかない。

 それでも放置できるはずもなく、私はここ数日の違和感の謎を解こうとお昼を待って例の中庭にクレアを誘っていた。


「気分転換に、ってわざわざここまで来なくても良かったんじゃありませんの?」


 ここに来るまでに素通りしたいくつかの休憩所や中庭の方へ振り返りながらクレアが言う。まぁ、うん。本当にただの気分転換ならもちろんその必要はなかった。けど今はクレアの本音を聞き出したいのだ。


「うん、まぁちょっと……」


「……エルザ」


「あ、ははは」


 ああこれは、見抜かれてるなと思う。クレアはジトっとした目でこちらを見据えてから、呆れたようなため息を一つ。


「お気遣いは有り難いですが、お話することはございませんわ」


「でもクレア、何か困っているんじゃないの? 私にできることがあるなら」


「申し訳ありませんけど、貴女の力を借りる訳にはいきませんの」


「……大丈夫、なのよね?」


 クレアの落ち着いた受け答えにもどこか不安を感じながら、確認する。


「ええ、もちろんですわ」


 けれど、クレアは問題ないと微笑む。

 そう言われれば、これ以上踏み込むのは野暮かもしれない。

 何かを隠しているとクレアは認めた。認めた上で、私では力になれないのだと言った。私たちは互いに貴族の娘で、友人だからという理由で手を出してもいいことと、口を出すことすら許されないことの両方には明確な違いがある。


 だからクレアが「話せない」と言うなら、私に出来ることは本当にないのかもしれない。


「ああ、そうですわ。一つだけ、お願いしてもよろしいでしょうか」


「な、なに! なんでも言っていいのよ!」


 前のめりにお願いを推奨すると、クレアは「ありがとうございます」と笑う。

 そして並んで座る私に、ぐっと身を寄せてくる。え、あ、ちょっと待って、心の準備とかそういうのがっていうか近い! 近いよクレアいい匂いだよ今日も素敵!


「少しだけ、今だけ、ですから。今だけ」


 ぎゅうっと、私の肩にクレアが額を押し付ける。抱きつくような格好で、けれど抱きつくというほど全身の密着はしないまま、クレアはきつく、少し痛いくらいに強くぐりぐりと私の肩に顔を沈める。微かに、震えていた。


「……ん、がんばれ、クレア」


 優しく、その背中を撫でる。抱き寄せるような格好で、でもやっぱり、強くその身を引けないまま。


 ――この時、無理にでも話を聞いておくべきだったのだと思う。


 翌日、私は愕然とすることになる。

 マリーナ・ツェレッシュに対するいじめが、始まっていた。

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