閑話:誰がための二人 ②

 もともと危機感はあった。


 我が家は歴史こそ古いが、逆に言えば古いだけだ。伯爵位を賜るようなこともなく、子爵として名を上げるような抜きん出た功績や才覚もなく、十代目に届こうかという私の代になっても領地も財産も、いわゆる貴族としての格や規模も、初代の頃とそう変わらない。あるいは……考えたくもないことだが、衰えているのが現実だろう。


 男爵や子爵といえば、一般には下級貴族だ。庶民たちが思っているほど優雅な暮らしをしている訳でもなければ、上流貴族に見下されている程に無力なわけでもない。だがそれは、爵位に見合った力を持つ場合の話だ。


 例えば同じ子爵位でも、飛ぶ鳥落とす勢いのナエラディオなんかと我が家では比べるべくもない。


 伸びていく貴族にはいくつか条件があるが、その一つは間違いなく後ろ盾だ。ナエラディオにとってのフォルクハイルのように格上の貴族に目をかけてもらえば、それがそのままその家の力になる。

 そういう貴族に対抗する方法は大きく二つ。同じように後ろ盾を得るか、相手の後ろ盾を潰すかだ。


「まだ、ひと押し足りないか」


 教員という職を、望んで選んだわけではない。流れに逆らわぬよう生きてきたら、そうなっていたというだけだ。だが今は幸運だったと思う。フォルクハイルとエルトファンベリア。本来なら俺のような木っ端が手を出せばただじゃ済まされないような連中の醜聞をバッチリ掴めそうなところまで来ている。


 学友同士仲がいいのは結構なことだが、子供とはいえ貴族の付き合いだ。本来、その相手は慎重に選ばなくてはいけないし、その関係は緊張を伴うはずだ。だが実際はどうだ。両家の娘は親しすぎるほどに親しいし、その様子は見るからにスキだらけだ。

 弱みらしい弱みこそまだ見せていないが、王子の婚約者が女にばかり執心というのは間違いなく醜聞。どちらの家にとっても、致命的ではないが望ましくない話なのは確かだ。


 今はまだ学院内、学生同士の噂程度に留まっているが、いずれ公然となれば二つの家は間違いなく権威を損なう。それだけで傾くような家ではないが、つけ入るスキであるのも事実だった。

 だから、もうひと押し。

 決定的な事実、致命的な醜聞。それを最初に押さえてしまえばこちらのものだ。上手くやれば侯爵家筆頭と三公の一角を同時に味方につけられる。


「易い仕事だ。教師として学院にいればいい。あの令嬢たちをちょっと注意して見ていれば、ネタの方から転がってくるんだから」


 このまま燻って終わりはしない。私の代か、その次か、或いはさらに先か。いつになるかはわからないが、栄達への足がかりは間違いなく私が作る。

 問題ない。もしも上手くいかないようなら、こちらからシチュエーションを用意してやればいい。あの二人をどこかへ閉じ込めるとか、そのくらいでいいのだ。本人たちが何を言おうと、客観的に疑わしいと言える状況さえ作ってしまえば、噂は真実になり得る。


「ふ、ふ」


 口の端が笑みで歪む。こんな風にわくわくするのは生まれてこの方初めてかもしれない。これが野心というものだろうか。きっと我が家の誰もが無縁だったものを、私は今抱いている。


「楽しそうだな、良いことでもあったか」


「は――な、なんだエーラ先生。驚かさないでくださいよ」


「それは悪かった、こいつを渡してくれと頼まれていただけなんだが」


「あ、ああ、はい。ありがとうございます、確かに受け取りました」


 同僚のヴィルモント・エーラが差し出した羊皮紙の束を受け取る。

 他の教師連中からは下に見られがちな男だが、私はどうもこの男が苦手だった。なんと言えばいいのか、目つきの鋭さが平民が貴族を見るそれとも、貴族同士が牽制し合うそれともなにか違う。考えの読めない人間とは、あまり関わらない方が賢い。


「それじゃ、私はこれで」


「ああ……いや、そうだ。少し待ってくれ」


「はい?」


 呼び止められて振り返る。


「こんなんでも俺も教師の端くれでね、私塾の頃から生徒の将来ってのが楽しみなんだ」


「……はぁ」


「貴族様の学院ってのは肩が凝るが、まぁ何だ、教え子が多いというのは悪くない。いろんなやつを見ていれば、いろんな未来があるわけだからな」


「ご立派な志ですな」


「そんな大層なものじゃないさ」


 そう言って肩を竦める男に、警戒を強める。何だ、何が言いたい?


「ただ、くだらない野心のために教え子の将来に影が落ちるのは見たくないなと、そういう話だよ」


「は」


 こいつ、まさか気づいて――。

 ポン、と気安い様子で肩を叩かれる。その手がぐっとキツく私の肩を押し込んだ。


「ガキの粗探しなんて、するものじゃないよな。野望は自分の手で叶えてこそだ。そう思わないか」


「……そ、そうですね。さすが、庶民からここの教師まで成り上がった方は言うことが違う」


「……ふ」


 ニヤリと笑うと、ヴィルモントはもう一度軽く私の肩を叩いて立ち去った。


「なんなんだ、あの男」


 その背中を見送りながら歯噛みする。

 だがもう手遅れだ。相手が誰であれ気づかれた時点で手詰まりだ。私が仕組んだと疑われれば、どんな風聞も逆風にしかならない。


「……くそ」


 私の器は、結局この程度だったということだろうか。

 失意と、そして安堵を覚える自分が何よりも情けなかった。



* * *



 親友とまで自惚れていたつもりはない。けれど一番近いところにいるのだと、その自負はあった。プライドと言い換えても良い。友人としてのプライド。一番としてのプライド。それは間違いなく、私という人間を形成する大きな要素だった。


「そのはず、ですのに」


 最近の私は、お姉さまを避けている。

 避けている、というのも少し違うか。もちろん学院ではなるべくお姉さまに付き従うようにしているし、様子がおかしいと思ったらお声がけもする。けど、それだけだ。


 あの女、エルザベラ・フォルクハイルのようには、なれない。


 食堂での一件以来、私はお姉さまの友人としての自分を見失っていた。それを見失って気づいたことは、私にはそれしか無いということ。

 幼い頃、私は両親と髪色が違うことで周囲から奇異の目で見られることが多かった。両親こそ私を冷遇しなかったが、使用人たちは私を見て陰口を囁き合い、同世代の子どもたちは私を詰ることに何の躊躇いもなかった。泣いてばかりの幼い私に、ある日出会ったお姉さまは言ったのだ。


『貴女、ずっとそのままでいるつもりですの?』


 泣いている私を心底馬鹿にした声だった。でもそれは、私の態度、言われるがまま泣いてばかりいる私を罵ったもので、私の髪の色を理由に見下してきた他の人達とは違っていた。


『泣くなとは言いませんけれど、私なら泣いている暇があったら努力しますわね。だって泣くだけなんて、悔しいじゃありませんの』


 負けず嫌いも努力家も、あの頃からずっと変わらない。お姉さまはずっと、私が憧れたお姉さまのままだ。そう、思っていたのに。


『申し訳ないけれど、今は一人にしてくださらない?』


 学食での殿下との一件。あの時のお姉さまは私の知るどんな彼女とも違って、むしろいつかの私を思わせるような弱々しさで。私には頷く以外、他に出来ることがなかった。


 そんな私の限界を、エルザベラという人物はいとも容易く乗り越える。


 迷いなくお姉さまを追いかけられるその背中を羨ましいと思った。お姉さまと睦まじく過ごす彼女に嫉妬した。お姉さま以外の誰かに憧れる日が来るなんて思いもしなかった。

 私はわからなくなっているのだ。お姉さまのようになりたいのか、それともエルザベラ嬢のようになって、お姉さまの隣にいたいのか。

 どちらも私の望みのような、どちらもズレているような、正体不明のざわつきを胸に感じながら、私はお二人を一歩引いて見つめている。学院入学からこっち、そんな毎日だった。


「……はぁ」


 気づけばいつかの中庭に差し掛かっていた。あの日、二人はここで何か話し合いをしたらしかった。どんなやり取りが交わされたのか益体のない想像をしたりもしたけれど、結局答え合わせは出来ないままだ。


「……、――っ!」


「――」


「…………、――……!」


 廊下から中庭を眺めていると、ふとどこからか声が聞こえてきた。


「何でしょう?」


 何か言い争いをするような、険の籠もったキツイ声と、それに簡潔に応じる淡々とした声。盗み聞きがいい趣味とは思わないが、興味ないわとこの場を立ち去れるほど私の好奇心も大人しくはない。

 声のする方へ向かい、植え込みの影からそっと様子を窺う。そこにいたのは、ユベルクル殿下と――。


(……えっ)


「貴方なんかに、クレアは絶対に渡さないから!」


 激しい怒りに頬を紅潮させ、殿下に掴みかかからんばかりに詰め寄る、エルザベラ・フォルクハイルだった。

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