閑話:誰がための二人 ①

 クレアラート様と接するようになって、エルザベラ様は変わった。


 普通の人なら多分、逆の印象を抱くんだろうな、と思う。クレアラート様によってエルザベラ様が、ではなく、エルザベラ様によってクレアラート様が、と考える方が自然だと思う。だって、あのお茶会から目に見えて雰囲気が変わったのは間違いなくクレアラート様の方だもの。


 でも、私にとっては違う。

 私にとって、変わったのはエルザベラ様の方だ。

 クレアラート様のことは、なんて言ったらいいのかな。多分、変わったとか変わらないとか、そんな風に言えるほどよく知らない。もちろん、物腰がどことなく柔らかくなったとか、いろんな表情を見せるようになったとか、そういう変化は感じるけれど、それが本来そうだったものが表に出てきただけなのか、本当に内面まで含めた変化があったのか、それを判断する材料が不足していると思えた。


 ではエルザベラ様はどうか。

 少なからず変わったと思っている人は多いはずだ。でも、クレアラート様の変化に隠れて、そこに注目する人は少ない。だけど私は。


「あら」


 聞こえた声に顔を上げると、まさに脳内に浮かんでいた二人が立っていた。同じ講義室から出る扉の前で、たまたま私とタイミングが重なったらしい。


「なんだか、久しぶりな気がしますわね」


「そう、ですね」


 なんとなく、クレアラート様とは反対側に並んでエルザベラ様に続く。どうせ教室棟へ戻る道は同じなのだから、わざわざ別れて向かうのもおかしな話だ。エルザベラ様の言葉に頷き返しながらチラリとクレアラート様に視線を向けると、こちらには興味無さそうにツンと顎を突き上げて前を向いていた。


「その後、お変わりはありませんか?」


「はい、おかげさまで」


「ふふ、何よりですわ」


 きれいな顔をほころばせるエルザベラ様に見惚れる。でも、それと同時に微かな、けれど確かな違和感がチリチリと心臓の表面を削る。

 違う。きっとこれは、違う。


「エルザベラ様は……少し、変わられましたね」


「え、そう、ですか?」


 本当に思い当たる節がないらしく、エルザベラ様は面食らった様子でこちらを見返す。はて、と首を傾げるけれど、私からしたら変化は明らかだ。

 だって、そんな風に首を傾げたりしなかったもの。

 少し前までのエルザベラ様は、いつだって優雅に美しく洗練されていた。完璧令嬢の名に相応しく、いつだってそう在り、そう在ろうとしていた。不思議そうに首を傾げる様子はどこがとはなしに無邪気で幼く、完璧とはかけ離れたものに見えた。

 完璧じゃないエルザベラ・フォルクハイルは、新鮮だった。


「変わったって、どんなところがですか?」


「そういうところが、でしょうか」


「?」


 そんな風に私に尋ねてくることも、無かった。彼女自身は意識していないことかもしれないけれど、ずっと彼女のことを意識して見ていた私は断言できる。いままで、私は挨拶や社交辞令以外でエルザベラ様に疑問をぶつけられたことはなかった。

 聞くまでもなくわかっている。何の根拠もなくそう思えてしまうような、私の考えのずっと先にいつだっているような。エルザベラ様はそんな風に見えていた。

 それはきっと、正しくもあり、間違いでもあるのだと思う。


「なんて言えばいいのか……エルザベラ様はいつでも、迷ったり、疑問を抱いたり、そういうことをしないんだと思っていました」


「まぁ、なんです、それ。私だって貴女と同じ歳の娘でしかありませんのに」


 そう言っておかしそうにクスクス笑う。所作は美しいけれど、洗練されたものと感じていた硬質な美しさはそこにはない。あるのは、もっとずっと自然な、あるがままという美しさ。

 クレアラート様と関わるようになって、エルザベラ様はすこし、素直になったのだと思う。

 完璧令嬢なんているはずがなかった。だって彼女は、私と同じたった十五歳の人間だ。どんなに美しく、完璧で、大人びて見えていたとしても、それが彼女の全てであるはずがなかった。


 そんな当たり前のことに、私はごく最近まで気づけなかった。そのことが少し、悔しい。


「……貴女」


「は、はい?」


 ふいに、今まで沈黙を貫いていたクレアラート様がこちらを向いた。


「エルザは渡しませんよ」


「ぶっ」


 エルザベラ様が吹き出した。そしてつんのめった。


「な、何を言い出すのクレア!」


「エルザの隣をそう簡単には明け渡せません」


「ちょっと? クレアさんや?」


「ですから、渡しません」


「…………あー、ええと」


 呆気に取られる。こんな形で執着を見せるクレアラート様も、目に見えて狼狽するエルザベラ様も、私の知る限りでは見たことがなかった。


「……もちろん、私には受け取れませんよ」


 悔しい気持ちはある。私だってエルザベラ様を見ていたのに、って。でもこんな二人を見ていると、私では役者不足なのだと思う。きっと私じゃ、クレアラート様のそんな反応を引き出せないし、エルザベラ様を動揺させられない。


「私には、荷が重いですわ」


 悔しいけれど、清々しい。残念だけど、喜ばしい。

 だから私は微笑んで「では」と頭を下げた。その場所に割り込む気はないと、態度で示す。少しだけ歩調を速めて自分の教室に逃げ込んだ。


「……本当に、いいお顔をなさいますのね」


 割り込む気はない、けれど。

 もう少しだけ、見ていたい。それくらいなら許される、よね、きっと。



* * *



 噂話程度、と思っていたことが確認できてしまった。講義で。直接、この目でだ。


「ふむ」


 当人の息子によく似た相槌を打つ男にじっとりとした抗議の視線を向ける。俺ばかりにこういう面倒を押し付けて、こいつは椅子でふんぞり返るのが仕事だなんて、神は不公平だ。


「私としては、別段拘りはないのだよ、ヴィル」


「……何についてだ」


「無論、アレの婚約者についてだ」


 アレという言葉が指す黒髪の少年を脳裏に描いて、恐らく本人も同じように言うだろうと思った。そういう淡白さはよく似ている。それでいて、一度決めたら頑として譲らないところも、入れ込みようが過激なのも同じだ。


「エルトファンベリアでなくとも、という意味か?」


「そうではない。私とて公爵からの申し入れを一度は受けたのだ、軽々に翻して良いとは思わんさ」


 だが、と言葉は続く。


「必ずエルトファンベリアでなくてはならん、と思ってはいない。そういうことだ」


「相手がツェレッシュでもか?」


「次代の王家が進む方向を決めるのは私ではなくアレの役目。ツェレッシュとの関係を改善したいと言うのならそれも良かろう」


「まったく、無責任な。お前は放任が過ぎる」


「かっかっか」


 かんらかんらと笑ってみせる腐れ縁の友人を前に、こちらは頭痛がし始めた額を軽く揉んだ。


「婚約についてはアレが決めるであろう。自ら私に話しを持ち込まない限り、こちらから手は出さんよ」


「それが後の火種になってもか?」


「本当にマズそうなら、お前が止めてくれるのだろう?」


 イタズラっ子のような色を瞳に宿して、ぱちりとウインクが飛んでくる。頭痛が悪化した。


「お前はいつもそれだ。こればかりは、当人同士でなければどうにもならんだろう。強引に介入することは出来るだろうが、根本的な解決にはならん」


「そうだなぁ。だから私も、余計な口は出せん」


「国王ともあろう者が、なんとも情けないではないか」


「国王である前に気難しい息子の父親なのでな」


 それよりも、と話題が転換される。


「公爵の娘の方も、何やら随分と印象が変わったそうではないか」


「クレアラート嬢か……」


「フォルクハイル侯爵の娘が一役買ったと聞いているが?」


 わくわくと好奇心を隠そうともしない友人に辟易する。ご立派な肩書のくせに、どうにも会話の矛先が下世話な男だった。


「エルザベラ・フォルクハイルか、変な娘だ」


「お前にそう言わせるとはなかなかの傑物と見える」


 愉快そうに肩を揺するのにイラっとしたので軽く小突いてやる。おうっと鳴いて大人しくなった。

 エルザベラ・フォルクハイルとクレアラート・エルトファンベリア。入学式の日には名前程度しか知らなかったが、それでも名前くらいは知っていた。それだけ話題に登りやすい人物だということだろう。


 そんな二人が、最近になって妙に接近している。

 同僚や学生たちの会話から漏れ聞こえてくる情報によれば、つい最近まで両者の関係はなかなかに険悪だったらしい。だが俺に言わせれば初対面から一緒に行動していたし、講義だって大概並んで聞いている。昔からの友人だと言われても驚かない距離感だ。


 俺個人としては、学生同士がどんな交友を結ぼうと知ったことではないし、好きにすればいいと思う。だが、そうもいかないのが貴族というものだ。爵位のない俺でさえ、貴族連中の群れで生きるようになってその手のしがらみと無縁ではいられなくなった。そういう観点で見るなら。


「浅はかなことだ」


「辛辣だな」


「ガキのやることだ、浅はかでなくては困るがな」


 そう、浅はかだ。浅慮で、愚かしい。


「エルトファンベリアもフォルクハイルも、簡単には動かせん家だ。それが接近することで起き得る問題を、あの娘たちが理解しているとは思えん」


 実際、大事になっていないとは言え、不穏な気配は感じていた。同僚たちの中でも、特に階級意識の強い連中はこの接近を快く思っていないというのは、教職員室に入れば耳に入る。

 公爵と侯爵というのは、付かず離れつの距離を保つことが望ましいとされている。大きな力を持つ公爵と、周囲を巻き込めばそれに対抗できる程度の侯爵。それは王と臣下のような関係だ。仕えているわけでこそ無いが、力を持ち、それを最大限に振るうものと、それを諌める役目を負う者。それが接近したとあっては、権力の傾きを懸念する声が上がるのも頷ける話だ。


「お前から見て、それは危険か?」


「エルトファンベリアが、フォルクハイルほどの家を味方につけたとあれば、それはもう間違いなく王家に次ぐ地盤と言えるだろうな。相対的に他家の力が削がれるという意味では、望ましくはない」


「ふむ、一般論としては、そうだな」


 それでお前は? と再度問われる。


「あれらは、そんな関係ではあるまい」


「ほう?」


「純粋な友情か、あるいはもっと別の親愛か。中身まではわからんが、打算で繋がっている者たちがする顔ではないさ、あれはな」


 講義中だというのに、こそこそ囁き合っているかと思えば赤くなったり青くなったり、机の下で手を握ったり勢い余って抱きついたり。

 拗ねたように顔をそらしたり、切なげに顔を伏せたり。

 幸せそうに、笑ったり。


「では、私は何の心配もしなくてよいわけだな」


「少しは気にかけろ。当人たちがどうあれ、家が家だぞ」


「問題ない。最後に全ての結末を導くのは大人や家ではなく、当人だ」


「……前王の反対を無視して俺を引き上げた男が言うと、笑い事ではないな」


「笑ってくれて構わんとも。何も難しい話ではないのだ、笑い話だよこれは」


 そう言って歯を見せて笑う。

 こいつがこんな風に笑うなら、仕方ない。今しばらく、俺は連中を見守ることにしよう。いや、そうせざるを得んのだろう。こいつとは考え方はまるっきり異なるのに、いつだって最後に向いている方向は同じだ。


 結局俺も、こいつも。

 根っこは下世話な野次馬なのだ。

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