安堵と焦燥

 お昼前に集まった私たちだったが、主にユベルとドールスに歓声を上げていた女の子たちの行列は最終的に店外にまで及び、それを捌ききる頃には日はだいぶ西に傾いていた。空の色が変わるまでにはならなかったが、昼食をとった、という一言で済ませるには長い時間が経過していた。


「ずいぶん遅くなってしまったな」


 さすがのユベルも申し訳なさそうに眉尻を下げながら言う。まぁ、ね。普通ならデート中に他の女の子にきゃーきゃー言われてエスコートするべき女の子を放っておくのは褒められたことじゃない。とはいえ私とクレアの共通見解としてもユベルが王子である以上民衆の人気は蔑ろにすべきではないというところだったわけで、私たちはそれぞれ気にしていないと頷いた。


 というか。

 ちらりとクレアを見ると、逃げるようにふいっとクレアが私から目を逸らした。目が合った、というか目が合いかけただけなのに耳まで赤い。私も顔が熱い。

 もう、正直それどころじゃなかったわよ。気にはなるし視線は向けちゃうけど、私も多分いまクレアがまたこっちを見たら直視できないと思う。

 ああもう、なんなのかしらこれ!


「……ごちそうさん」


「ああ、それは気にしないでくれ」


「お前じゃなくて……いや、そうだな。ありがとうよ」


 なぜかドールスが疲れ半分呆れ半分な顔でユベルと何か話していたが、ほとんど耳には入らなかった。女の子たちの相手に気疲れでもしたんでしょう。


「あの、クレア」


「な、なんですの」


「やー、その……なんでもない」


 ああああもう! 違うじゃない、そうじゃなくて。今日は楽しかったわねとか、殿下とは仲良くなれた? とか、掛ける言葉はいくらでもあるでしょ私!

 と思ってはみても、実際には金魚みたいに口をぱくぱくさせるだけで、何も言えずに俯いてしまった。こういうの、私のキャラじゃないと思うんだけど。


「二人はどうかしたのか?」


「放っといてやってくれ、外野が何か言うことじゃない」


「そうなのか?」


「……まぁ、お前も気づくのが一番良いんだが」


「?」


 うう、あちらはあちらで二人で話してるし。ダブルデートってこういうのじゃなくない? もうクレアとユベルなんてお互いのこと全然見てないじゃないの。

 オーケー、エルザ。クールになりましょう。冷静に、落ち着いて。


「く、クレア」


「は、はい!」


「あ、の……今日はありがとう!」


「いえ、その、私の方こそ、ご一緒して頂けて助かりましたわ」


 違う! いや違わないけど、そうじゃなくて。


「その、どうだったかしら。殿下と、少しは仲良くなれた?」


「……そうですわね。少しですが、貴女の言っていたことが理解出来たように思いますわ」


 クレアは少し考え込むようにしながらもそう言った。食事の席でもあまりそういう素振りはなかったけれど、何かしら思うところはあったらしい。それは何より、というかそれこそが目的だったはずなのだけど……なんだろう、少しもやもやする。


「じゃあ、私とはどう、かな」


「はい?」


「私はクレアと、仲良くなれてるかな、って……」


 何聞いてんの、私!


「……ふふ」


 笑われたし!


「わ、笑うことないじゃない! その、変なこと聞いてるとは思うけど、気になってしまったんだもの」


「ああごめんなさい、バカにしたつもりはありませんの」


「うう……」


「ただ、貴女でもそんな事を心配するのというのが、なんだか意外で」


「私だって、クレアのことが大事なんだもの」


「そういうことを億面もなく言うところには苛立ちますわね」


「うぇっ!」


「冗談です」


「クレア!」


「ふふ、いつもからかわれているお返しですわ」


「か、からかってなんて」


「私にとって、貴女はとっくに特別でしてよ。その質問はするだけ無駄ですわ」


「……クレア!」ぎゅっ


「ひゃっ! もう、そういうところが――ふふ」


 あ、手……。

 思わず抱きついた私に、クレアは振り払うでも抵抗するでもなく苦笑しながら頭を撫でてくれた。私が何度かしたように、ちょっとだけぎこちない手つきで、でも、すごく優しく触れるように。

 あ、これすごく、安心する。

 私がクレアを撫でる時にもこんな気持になってもらえていたら、なんて調子に乗りすぎかしら。


「……あいつら、俺達のこと見えてないんじゃないか」


「睦まじいのは良いことだろう」


「……何もしてないのに疲れた気分だよ」


 そんな会話が聞こえた気もしたけれど、クレアの手を堪能していた私は右から左へ聞き流していた。



* * *



 エルザベラという人間が私にとってどういう人間かを、私自身まだ具体的に言葉にできない。それを、言葉にしなくてはいけないという思いが、時折どこからかやって来ては私の心をくすぐっていく。

 友人という言葉では、恐らく足りない。間違いではないけれど、それだけでは何かが足りていない。不足というのは、私の嫌いなものの一つだ。あるべきものはあるべき場所にあって、欠けていないことが至上である。それは当たり前のことだと思う。


 彼女の隣にいる時の私は、自分の外側と内側にあるものがひどくちぐはぐに思えることが多い。始めは私という人間と、エルトファンベリア家のクレアラートとのズレなのだと思っていた。けれど最近になって、そうではないという思いが強まってもいた。

 なんだろう、と結局疑問はそこに至る。シンプルで、故に難解だ。

 だから、確かめてみたくなった。


「……あの、リム」


「はい? どうかしましたか、お嬢さま」


 ダブルデート、とやらを終え、エルザや殿下と別れて屋敷へ戻る途中、私は馬車に同乗したリムを、決意を込めて呼んだ。


「ちょっと、戻ってもらえるかしら」


「いいですけど、なんでです?」


「見たいものがありますの」


「はぁ……」


 御者にも伝えて通ってきた道を引き返してもらう。エルザと、あのナエラディオ子息は屋敷までそう遠くもないからと徒歩で帰っていった。馬車で追いかければ今からでも十分追いつけるはずだ。

 明日の学院までお預けだと思っていた友人の顔をもう一度見られるということに、柄にもなく頬が緩む。それもまた、私がエルザだけに抱く不思議な感情の証明のような気がした。


「――あれ」


 ふいに、馬車から通りを覗いていたリムが声を上げた。つられて私も外に目をやる。馬車はちょうど大通りを通過中で、雑踏の中でやや立ち往生気味だった。広い通りだがそれだけ行き交う人間も多い。馬車も、私たちのような貴族の家が私用で出しているであろうもの以外にも、乗り合い馬車や商人が荷運びに使っているものまでが二列で行き来しており、思うように進まなかった。

 エルザに追いつけないかもしれない、と思いながらリムの視線を追って雑踏の中に目を走らせる。


「あれは……!」


 見覚えのある二人組を見つけた気がして慌てて窓に飛びつく。一人はわからなくもない。少し意外ではあるが、この場所にいることもあるだろうと思える。いや、もう一人だって単にこの辺りで見かけるというだけなら驚くには値しないのかもしれない。


 けれど二人一緒に、というのは。


 当たり前のことだけれど、馬車の窓から様子を窺うだけでは会話の内容まで知ることは不可能だ。読唇術の心得でもあれば別だが、もちろんそんなものは令嬢の嗜みに含まれない。

 けれど表情や距離感は遠目からもよく見える。なによりその二人は雑踏の中でもよく目立っていた。当たり前だろう、だってそれはこの国の王子と王女なのだから。

 そんな二人が仲良く談笑して歩いている。


 殿下はわかる。護衛を連れて、もう少し視察してから戻ると言っていた。街に残っていたとしても驚かない。

 マリーナも、元々はこの辺りの城下町の育ちだ。お忍びか、何か理由があっての外出かは知らないが足を運ぶこともあるだろう。

 けれど二人が、一緒に。たまたま出くわして立ち話をする風でもなく、途切れること無く会話を交わしながら並んで歩いていく。そんなことが今日この日のこの場所で偶然に起こるものだろうか。


「殿下……」


 気づけば窓枠をキツく握り込んでいた。

 エルザのことを考えていつもより高鳴っていた胸が、正反対の薄暗い感情によって重く脈打つのを感じる。

 上手くやれていると、思っていたのかもしれない。必要なものを過不足なく持っていることがそのまま相応しい「格」であり、それさえあれば何も間違いはないと思っていた。


 実際、令嬢としての私を取り巻く環境はいつもそうであった。私自身に限ったことではなく、両親も親類も、我が家と関わる人の中には少なからずそういったタイプの人達がいた。すなわち、友人や婚約者を「格」で選び、自らの価値もまた「格」で測る。そこに、それ以外のものさしが割り込む余地など無かったはずだった。

 最近では多少気安い言葉も交わせるようになり、以前からなんとなしに感じていた隔たりも薄まったと思っていた。エルザの意を汲むという形ではあったけれど、変化していく距離感に手応えも感じていた。


 けれど遠目にもわかるほどに親密な二人を見て、当たり前に在ると信じていたものに亀裂が入った。

 敵わない。本能的に私は敗北を悟った。

 格ではない、私の知らないものさしで、あの関係は成立している。だから私には、自分の立場を守るすべが分からない。

 奪われる。私の「格」が。私が築いてきたものが、根底からひっくり返される。そうしたら、私に何が残る?


「マリーナ、ツェレッシュ……」


 改めよう、認識を。

 目障りだと思っていた。鬱陶しいと思っていた。けれどそれは羽虫に対するようなもので、苛立ちを覚えることはあっても私の歩みを邪魔するものではなかった。

 そうではないのだ、と自分に言い聞かせる。

 そうではない。あれはもう、私にとって明確な脅威だ。踏み越えねばならない障害であり、叩き伏せなくてはならない敵だ。そのことを正しく認識する。


「失くす訳には、いきませんの」


 私が私であるために。エルトファンベリアの娘であるために。クレアラートであるために。どうあっても、その場所を、その地位を譲ることは出来ない。


「エルザ……」


 会いたいと思った。私を私として迎えてくれる味方は、彼女だけだ。

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