嫉妬

 鑑賞のあとは感想会と相場が決まっている、かどうかはわからないけれど。劇場を出たその足で訪れたのはお食事処だった。

 こういうのもレストランでいいのだろうか、と首をかしげる。というのも殿下とドールスに先導される形で訪れたのは、建物こそ広くて大きいが貴族や王族が揃って足を運ぶとは思えない場所だった。

 前世の言葉で言うなら、大きすぎるファミレス、といったところだろうか。あるいはフードコート? 広い店内にひしめき合うテーブル席とボックス席、そして大量の人、人、人。


「……私達はともかく、殿下とクレアはこんな大勢が集まる場所に来てよかったのかしら」


「一応どこからか護衛は増えてるみたいだけどな」


 周囲を軽く見回したドールスの視線の先には確かにいつの間にか増えていた殿下の護衛らしき騎士の姿が店内の客や店外ベンチで一休みしている人たちに紛れてちらほらと目につく。過度な威圧感を与えるようなことはしていないが、腰に下がっている剣を隠す様子もなく、甲冑こそ着ていないが勤務中のため服装は規定の軍服。騎士であることも店内に要人がいることも隠すつもりは無いようだった。


「政情が悪いわけでもなければ、諸外国との関係も良好だ。必要以上に厳重な警備は堅苦しいだけだろう」


 とは殿下の弁だ。ゲームでもそうだったけど、ユベルという人物は王族の権威が周囲を威圧するのが嫌いらしい。堅苦しい、という言葉を使ってはいたけれど、どちらかといえば周囲の人々への気遣いなのだろう。

 こういうところは好感が持てるんだけどなぁ、と思いながら殿下の隣に澄まし顔で座るクレアを見る。

 さっきまで泣いていたのが今になって恥ずかしくなったのか目が合うとちょっと赤くなって目を逸らした。ちょっと、そういうかわいい反応やめてよ我慢できなくなるでしょ。何が我慢できないのかわからないけど!


 殿下のお忍び(忍んでないけど)での外出なので当然といえば当然だが店側には私達の来店は事前に伝わっていたらしく、入店と共に待たされることなく店内でも一際奥まった場所のボックス席に案内された。……まぁ奥まっていると言ってもすぐ近くに三組も他のお客さん座ってるんだけどね。貴族感覚のプライバシーがこんなところで保持されるわけもなかった。


 四人掛けの席の窓側に私とクレアが向き合い、通路側にドールスとユベルが向き合っている形は婦女子を他の客から遠ざけるにはいいんだけど、結果的に一番目立ってはいけない王子殿下が一番目に付きやすい席に陣取る形になってしまっている。防犯意識が甘すぎやしないかしら、と思うのはそれこそ乙女ゲームのやりすぎだろうか。まぁ、確かにエルザベラとして生を受けてから、要人の暗殺なんて未遂も聞いたことがないくらいこの国は平和なはずだけど。


「たまにはこういうのも新鮮で良いな」


「随分騒がしいですわね」


 対象的な反応をする婚約者コンビに、対面に腰を下ろした私達幼馴染コンビは揃って苦笑する。こんなところでも二人は噛み合わないらしい。国王夫妻と考えたらタイプが違う方がバランスも取れていいと思うけれど。ユベルが外政でクレアが内政、みたいな。……つくづく仕事をする上ではベストパートナーなのよねこの二人。有力貴族の娘としてはぜひ仲良くしてもらいたいカップルなのだけど、肝心の二人にいまいちその気がないのが現状なわけで、ままならないものよね。


 店を押さえるのと同時に注文も済ませてあるらしいので私達は舞台の感想合戦に興じながら料理を待っていた、のだが。


「あ、あの……ユベルクル第一王子殿下、ですよね?」


 まぁ、そうなるわよね。

 恐る恐るといった調子ながらも興奮を隠しきれない様に頬を紅潮させて声をかけてきたのは二人組の女の子たちだった。見たところ年の頃は私達と同じか少し上くらい。服装や物腰から貴族や有力商会長の娘、という風でもない。偶然私達に気づいただけのごく普通の町娘のようだ。


「そうだが」


 ユベルは平然と頷いているけど、私とドールスはわずかに表情を硬くした。確かに隠していたわけじゃないとはいえ、堂々と王子であると認めても大丈夫なのだろうか。大きな騒ぎになっては食事やデートどころではなくなる。それだけならまだしも、誰かが怪我を負うような事態にだってなりかねない。統率されない集団というのは、それだけ不安定な存在なのだ。

 きゃーきゃーと嬉しそうに騒ぐ女の子たちに悪意は無さそうだが、既に近くの席の客たちは何事かとこちらを気にし始めていた。うーん、厄介ごとの気配。

 というか、こちらには平民との接触を嫌うだろうクレアがいるのだ。この調子じゃいつ爆発するか……と、恐る恐る向かいのクレアの顔色を窺う、と。


「…………」


 すごく……平常心です。

 全く気にしていない様子で窓の外なぞ眺めておられる。意外だ。女の子たちにひどい罵声を浴びせた末に泣かせて追い返すくらいのことは想像してたのに。


 ユベルの方に視線を戻すと、表情こそいつものように淡白だが感激した女の子たちと気軽な調子で握手を交わして軽く感謝を伝えたりなんかしている。アイドルかよ、と思ったが実際に似たようなものなのかもしれない。建国祭のパレードや演説などで民衆の前にも姿を見せる機会の多いユベルはスターみたいなものだ。こんなんでもイケメンだしね。

 女の子たちが去って一段落、かと思いきや。


「ユベルクル殿下ですよね!」


「ナエラディオ様もご一緒だなんて!」


「今日はどうしてこちらへ?」


 おうおう後から後から来るわ来るわの大行列である。ある程度予想していたとはいえ、まさにアイドルの握手会か人気漫画家のサイン会かといった風情の長蛇の列を目の前にすると圧倒される。

 民衆からも貴族からも概ね評判がいいし、たまたま居合わせただけの人たちからもこの人気ぶり。ほんと、ユベルは王子としては完璧だわ。あとドールス、なんでしれっと貴方も握手求められてるの。アニーが見てるわよ。


「……なんか、デートって感じじゃなくなっちゃったわね」


「別に構いませんわ、民衆の期待に応えるのも王族の努めですもの」


 置いてけぼりにされた女子二人はといえば、そんな会話をするくらいには手持ち無沙汰になっていた。この混雑じゃ料理が運ばれてくるのにも時間がかかりそうだし、どうやって時間を潰そうかしら。

 カリスマ王子と庶民派令息に黄色い歓声が飛び交う中、一応そのパートナーとして同席している私達は何か言うべきなのかも知れないけれど、正直私もクレアもパートナーに対してエスコート役という以上の気持ちはないものね。嫉妬なんてしようもないし、クレアが言うように民衆受けがいいのは悪いことじゃない。邪魔するのもなんだかなぁ、と思ってしまう。

 こういうところはエルザベラよりも前世の私らしい感覚だった。エルザとして行動していると忘れそうになるけど、私を構成する根っこには少なからず前世の、しがないヲタ高生としての私がいるのだ。

 などと自分のぼんやり自分のルーツに思いを馳せていたら。


「エルザベラ・フォルクハイルさまですよ、ね?」


「へ? あ、コホン。はい、そうですが」


 ドールスに握手を求めていた少女が、そのドールスの肩越しに私に話しかけてくる。まさかこちらに声がかかるとは思わなくて完全に油断していた私は、一瞬出てしまった素の声を誤魔化すように完璧令嬢の笑顔で応えた。


「やっぱり! あの私、お話に聞いていたフォルクハイル様に憧れていたんです! ひと目でいいからこの目でお姿を拝見したいと思ってました!」


「そうなの、ありがとう」


 話? 噂話かしら。庶民の間で話題に上るようなことを何かしたかな、と脳内には疑問符を浮かべつつも笑顔は崩さない。


「で、でもその、話に聞く以上にお綺麗で、今もお声がけするか迷ったんですけど、あ、その、話しかけにくいとかじゃないんです、ただなんていうか、ま、眩しくて……やだもう、私何言ってるんでしょう」


 恥ずかしそうに赤くなった頬を押さえながら慌てる女の子の反応は初々しくて実に可愛らしい。こういう子に素直に慕われるっていうのは悪い気はしないものよね。侯爵令嬢とはいえ庶民と仲良くしておいて損はない、と思うのは民主主義の国で育った前世の記憶がそう思わせるのかしら。


「貴女みたいな子にそんな風に言ってもらえるなんて、光栄だわ。私はあまりこちらの街には来られないけれど……またどこかで見かけたら遠慮なく声をかけてちょうだいね」


「いっ、いいんですか!」


「もちろん」


 前のめりに喜ぶ女の子に微笑んで応える。うん、誰かに似てると思ったらリムちゃんをそのまま成長させたみたいな子なんだわ。容姿ではなく、一生懸命で素直な雰囲気がよく似ていた。


「ありがとうございます! ……あ、あの、よかったらその、あ、握手を――」


「喜んで」


 震えながら差し出された手をぎゅっと握り返すと、女の子は感極まった様子でひぐっと喉を鳴らした。なんだか私まで照れくさくなって頬が熱くなる。

 何度も頭を下げて去っていく女の子を笑顔で見送って、ふと正面に視線を戻すと。


「……………………」むっすー


「く、クレア?」


「…………」ぷいっ


 なぜかクレアがすごく不機嫌になっていた。あ、あれ? さっきまで何も気にしてないって態度だったのに、私が女の子と話してる間に何があったんだろう。

 ユベルとドールスに変わった様子はない。先ほどまでと同じ様に一人ひとり丁寧にそれでいて手早く、場馴れした有名人らしい的確さで行列を捌いているだけだ。


「クレア、どうしたの?」


「……別に、なんでもありませんわ」


「何でもないって顔してないわ」


「……エルザが」


 私? あれ、クレアが不機嫌な原因って私なの?


「貴女が、誰にでも優しく接するのは、知っていましたし」


「優しい……?」


 さっきの女の子への対応についてだろうか。でもそんなの、ユベルもドールスも同じようなものだし……クレアだけ声がかからないのを気にしてるのかしら。でもクレアは庶民から声をかけられるのとか絶対に嫌がると思うのだけど。

 それに公的な場に何度も王子として立っているユベルや同じ下級貴族の仲間内でたびたび城下に繰り出しているドールスと違って私やクレアは滅多に民衆の前に姿を見せる機会は無いのだ。さっきの子だって私の顔は知らなくて噂で聞いていた程度だったみたいだし、クレアに声がかからないのは別にマイナスなことじゃない。


「別に、いいんですの。何でもありませんわ」


「でも」


「……私だけの、貴女ではありませんものね」


 ――――は。


 ちょちょ、ちょっと待った。待って落ち着け冷静になれ私。クレアだけの? 私が、クレアだけの私じゃないのが、不満ってこと? それって、それってつまり、つまりどういうこと?


「……ダメよ、クレア。あんまりそういうこと言っちゃ」


「っ、別に、貴女に指図されることじゃ」


「だって――」


 がたっ、と。衝動に任せて立ち上がり、対面に座るクレアに身を寄せる。びくっと驚いたクレアが反射的に身を引くが、背もたれに阻まれてそれほど後退はできない。私はテーブルに片手をついて限界まで身を乗り出す。

 右手が、クレアの頬に届く。


「そんなこと言われたら、クレアのこと離したくなくなっちゃうじゃない」


「なっ! そ、な、えるっ、わた、わた」


 ぼんっと煙を吹いて震えるクレアの顔が熱い。触れているクレアの頬が熱いのか、それとも私の体温が上がっているのか。多分両方、よね。

 本日一番真っ赤になったクレアが耐えられないとばかりに目を伏せてしまった。私はそんなクレアの頭を親愛を込めて軽く撫でてから自分の席に座り直す。


 ……はー、あっぶない。よく我慢した私。いやこんなに人の多い場所で頬っぺ触って頭撫でただけでもだいぶやらかしてるけど、正直テーブルを挟んで物理的に阻まれてなかったら全力で抱きしめたい気持ちを我慢できた気がしない。あれ、それって我慢できてるのかしら?


 未だ赤みの引かない顔を伏せたままのクレアを前に、急上昇した私の体温も一向に下がる気配がない。

 っていうか、なに、この感じ。今までだってクレアと手を繋いだことも、頭を撫でたこともあったはずなのに。その時に感じた安らぎとは正反対に胸がざわついて、ちっとも落ち着かない。そわそわするのにどこか心地よくて、むず痒い気持ちが胸に満ちるとなぜか温かくて。


「っ」


 顔の熱だけでも冷まそうと置いてあった水を喉に流し込む。冷えた水は喉に心地よかった、けれど。

 私とクレアの赤みは、まるで引く気配がなかった。

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