観劇
「――っ」
ぎゅっ、と手を握られて思わず隣を振り返ると真剣なクレアの横顔があった。振り返った私に気づいた様子もなく舞台上の展開に釘付けになっている。自分が私の手を握っているのも、どうやら気づいていないみたいだった。
……かわいい。
「わ、ぁ」
いや、うん、ほんとかわいい。
思わず空いている方の手で顔を覆ってしまう。これはいけない、直視できない。
「おい、どうかしたか?」
クレアとは逆から小さく声をかけられる。
「ドールス……たすけて、クレアが」
「ど、どうした?」
「舞台に見入ってるクレアが、可愛すぎるの」
「………………あ、そ」
すっとドールスは舞台に視線を戻してしまった。ちょっと。
舞台の内容は、まぁ正直ありがちといえばありがちなものだった。悲恋ものという触れ込みで、実際舞台上では今まさにカップルの片方が命を落としそうになっていた。
この手の娯楽は、前世の記憶がある私には正直少々物足りない。一つ一つの質は悪くないのだけど、公演の回数も劇団も限られていて脚本にもあまり目新しさがないとあっては、あんなに無数の作品が氾濫していた世界から来た私としてはわざわざ頻繁に足を運ぶようなものではなかった。
とはいえそもそも鑑賞型の娯楽自体がそれほど多くないこの世界で、舞台鑑賞というのはデートの内容としてはポピュラーだろう。前世でいうところの映画館デートみたいなものだ。
私たちは今、四人揃って劇場の貴賓席に座っている。殿下、クレア、私、ドールスの席順なので、隣り合う二人の様子はよく見えた。私やドールスではこういう席に着くことは滅多にないので、そういう意味ではこの席からの観劇に目新しさはあった。
舞台自体も、王国内有数の劇団が大きく宣伝を打っている舞台というだけあって生で見る迫力というか、雰囲気というか、そういうものは私でも軽く鳥肌が立つようなものがある。足繁く通うようなものではないけれど、たまに見る分には面白いのよね。
「っ」
びくっとクレアが身を震わせると同時に、私の手を握るクレアの手にもぎゅっと力がこもる。舞台上の展開に合わせて逐一驚いたり震えたり、リアクションが豊かなのはちょっと予想外だった。
自分を高めるのにいつも全力だったクレアのことだから、こういう娯楽には疎いのだろうか。公爵令嬢ともなれば、ご贔屓の役者の一人や二人いるのは普通だと思うけれど、この様子を見るとそういうことも無さそうだ。まぁ、直接関わりのない人間に入れ込むようなタイプにも見えないけれどね。
「っ、ぅあ」
あ、ちょっと泣きそうになってる。
嗚咽がこぼれそうになったのか、慌てて口元を押さえたクレアがちらりとこちらに視線を向ける。泣きそうな自分を見られてないか、と警戒していたのだろうけど、当たり前のように舞台よりクレアを見ていた私はバッチリ目が合ってしまった。
しかも、私と目が合って呆けたような顔をしたクレアは、私の手を思いっきり握っている自分の手にまで目を向けてしまった。
「〜〜〜〜っ」
「ちょっ、クレア落ち着いて!」
かあああっと一気に赤くなったクレアがぱっと手を離して、声にならない悲鳴をあげるのを慌てて諌める。
「わ、わたっ、私、手を」
「い、いいから! とりあえず座って、ね?」
「うぅ……」
恥ずかしがるクレアをどうにかその場に留まらせる。四人だけの貴賓席で良かった。
殿下とドールスが怪訝そうにこちらを見たけれどニッコォ、と笑顔を向けて誤魔化しておいた。……誤魔化せてないかな?
「ほらクレア、ちゃんと観てなくていいの? 話、進んじゃうよ」
「で、ですけど」
「いいから」
離れてしまった手を、今度は私の方からぎゅっと握る。
「この方がいいなら、こうしててあげるから」
「っ、ん」
ためらいがちに、コクリと頷く。握っていて、ということらしい。別に怖い話とかじゃないんだけど……まぁ、どうやらクレアはこういうのに気持ちが入りやすいタイプみたいだし、落ち着きたいのかもしれない。ちょっと意外だけど。
「……お、お願いします、わ」
「うん」
最後にもう一度何か言おうとするように繋いだ手に視線を向けたクレアだったけど、結局それを飲み込んで舞台に視線を戻した。その横顔、まだ少し朱の残った頬と耳をしばし眺めてから、私も壇上に視線を戻した。
「あ」
さっき死にかけていた主人公の恋人が、ちょうど殺されていた。
* * *
「ん――――っと。たまに見に来るのはいいが、やっぱ座りっぱなしは肩が凝るな」
劇場を出るなりぐっと伸びをしたドールスがぼやくのを聞いて私たちは苦笑する。声に出すまでもなく、全員が肩どころか全身の凝りを感じていた。まぁ、それが苦痛かどうかは、舞台の感想次第でそれぞれ違うだろう。
「まぁまぁな内容だったな」
ドールスは退屈しない程度にさっぱり楽しめたようだった。良くも悪くも、それほど印象に残った様子はない。
「なかなか興味深かった。演出家と話してみたいと思ったのだが、難しいだろうか」
「俺に聞かれてもな。王子サマなんだし、お城に呼びつけりゃいいんじゃないか」
「それは失礼だろう、こちらから出向いて」
「やめとけ、その方が迷惑だ」
「む? そうか?」
殿下は殿下で、内容よりは演技や演出を楽しんでいたらしい。それも楽しみ方の一つだとは思うけれど、あんなに気持ちの入った観劇をしていたクレアの隣で口にするにはちょっと風情と気遣いに欠けていた。
「……ずずっ」
クレアが鼻をすすった。うん、最後号泣だったもんね。
赤くなった目元と鼻をこするクレアを、なんとなくよしよしと撫でる。料理のときのように慌てた反応をすることはなく、大人しくされるがままになっていた。
「クレアは楽しめたみたいね」
「ぐすっ」こくん
……かわいい。
「え、エルザは?」
「私? 私は――」
まだ少し涙声のクレアに何と答えるか少し迷う。面白かった、というのは簡単だが正直私の感想もドールスと同じようなものだ。格別に印象深いということもなく、さりとて退屈だった訳でもなく。でも、こんなに素直に感動しているクレアにそれをそのまま伝えるのも、少し、違うし。
「クレアと一緒に来られて、良かったなぁって思うわ」
だから、内容ではなく舞台を見た感想を口にした。
「っ、もう、また、貴女はそういうことばかり」
「あら、クレアは私たちと一緒に観るのじゃ不満だった?」
「……ったに、決まってますわ」
「ん、私もよかった」
聞こえなかった部分は聞き返さず、私が口にして伝わっていることの証明とする。
「また来れたらいいわね。今度は二人で、とか?」
ちらりと殿下を見ながら少しのからかいを込めて言う。それはまだ、ハードル高いかなぁ、などと思っていると、そっ、とクレアの手が私の手に触れた。握るでもなく、添えるように手の甲に触れるだけ。それなのに、なんだか触れられた場所が熱く感じた。
「エルザとなら、二人でもいいですわ」
「っ、あー……」
そっちかー、などと思いながらスッとクレアから顔を逸らす。一気に沸騰した顔を見られたくなかった。ああもう、時々不意打ちでこういうこと言うんだから。
「そう、ね。また一緒に来たいわ」
「そうでしょう?」
当然ですわね、と嬉しそうにするクレアを見て、次はいつにしようか、なんて気の早いことを考えている私がいた。
* * *
「……やれやれ、あれで無自覚っていうんだから、やってられないよなぁ」
「どうかしたのか?」
「いや別に。なんでも」
幼馴染の憂鬱は続く。
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