幼馴染と、婚約者と、__と

「くーれーあっ」


「ひゃぁ! え、エルザ、飛び付かないでくださ、ちょっ、貴女どこさわっ」


「ふふふふへへへへ」


「笑いかた!」


「へへへじゅる……おっといけない。改めまして、今日はよろしくね、クレア」


「その完璧な笑顔をどうして最初から出来ませんの……」


 呆れたため息をつくクレアは今日も最高に可愛い。


「おい、いいのかアレ。こっちのこと見えてないぞ」


「いいのではないか? デートというのは楽しむものなのだろう? ああしているのが一番楽しそうだ」


「お前なぁ」


 クレアの後ろでドールスと殿下が何事か話していたけれど、そんなことよりも休日にクレアに会えた感動の方が激しく私を揺さぶっていた。もう、アレよね、正直たまらん。


「エルザ、その辺にしておけ。時間は有限だぞ」


「何よ、いいじゃないドールス。こんなに可愛いクレアを前にして抱きつかない方がどうかしてるわ」


「だそうだが、抱きついておくか、ユベル?」


「ふむ」


「ッ!」ギンッ


「やめておこう」


 両手を広げて一歩進み出た殿下だったが、クレアのひと睨みであえなく撃沈した。ああもうクレアってば、そこを拒絶しちゃ……いや、まぁいいか。キスとかハグとか、そういうのは無理にするものじゃないし、しなくてもいいものね。

 関係を円滑にすることは目標だけれど、無理に相手を好きになる必要はない。それはクレアはもちろん、殿下だって同じことだ。

 結婚は思い通りにならないとしても、気持ちくらいは自由であっていい。私はそう思う。


「俺も遠慮する。アニー以外に抱きつく趣味はない」


 言いながらドールスはちらりと横合いを盗み見る。そこには殿下の外出に付き従う護衛の一団に挨拶するアニーとリムちゃんがいた。

 二人は一応、今日のデートに同伴はするが、殿下の護衛とともに私達からは離れての同道となる。その護衛も五人ほど。王子殿下の外出の割にはかなり少ない。城下の治安がそれほど心配されていないのもあるけれど、恐らくは殿下が無理を通してくれたのだろう。せっかくのデートで厳つい騎士が視界の端にちらつくのは、どうもね。


「では、役者も揃ったことだし、出発としようか」


 殿下の一言で、私達は並んで歩き出す。

 一応はダブルデートという体裁なので、殿下の隣にクレア、私はドールスと並んで歩くことになるのだけど。


「……ねぇ」


「ああ」


「アレさぁ」


「ああ」


「どう思う」


「……ああ」


「聞け」


「いて」


 ぺいっと軽く横っ面をはたくとドールスが大して痛くも無さそうに言う。


「アニーは今日も可愛い」


「よそ見の方向性が気持ち悪い」


「お前にだけは言われたくない」


 失礼な。


「どう思うって言われてもな。仕方ないというか、想像通りというか」


 私とドールスが揃って前を向けば、同じ後ろ姿が見える。殿下とクレア。並んで歩く二人はスッと伸びた背筋から優雅な歩みまでよく似ていて、その後頭部が隣り合って揺れているのはなんだかそうデザインされた人形、前世でいう雛人形のような、隣り合うべくして作られた作品を見ているような、そんな完璧さ。

 なのだけど。


「あの二人、ひとっっっことも会話していないのだけど」


 そう、歩き始めてから私達に見えるのは二人の後頭部だけ。一瞬たりとも横顔が見えないのは、二人が会話はおろか視線すら交わしていないということだ。


「まぁ、二人で喋らすのは無理があったんじゃないか。というか、そのために俺たちがついて来たんだろう?」


「一言も交わさないなんて思わないじゃない! 気まずくなりそうだったら割り込もうと思ってただけなのに、最初から気まずさしかないわよ」


「いや、多分当人たちは何もまずくないんだと思うけど」


「余計問題じゃない、それ一人でいるのと同じでしょ」


「だから、あの二人はそうなんだろうよ」


 ドールスはさして意外にも思っていないようだったけど、正直私はもう少し二人の仲が改善しているものと思っていたのだ。お弁当で二人の仲は縮まったと思っていたし、そうでなくても最近のクレアは表情豊かになったし、結構いろんなことを素直に話してくれるようになったと思っていた。それなら殿下とだって、多少は会話ができる、と期待していたのだけど。


「いやそれってさ」


「なによ?」


「……なんでもない」


「言いかけて引っ込めるのはズルじゃない?」


「確信がないことは言わない主義だ。それに、今言ってどうにかなるものでもない」


「言いなさいよ」


「少なくともそんなクレアラート嬢を、俺は見たこと無いってことだ」


「は、なに急に」


「これ以上は有料です」


「どういうシステムよ! いくら出せばいいわけ?」


「払おうとするな。何でそんなに聞きたがる?」


 何で? そんなの――。


「クレアの事が少しでもわかるなら、悩む必要なんて無いでしょ」


「……こっちも、か」


「何よ」


「これ以上は有料です」


「だーかーらー!」


 ああもう、どうして勿体つけるのかしら。

 これでも私はドールスの目を信用している。この幼馴染が何かに気づいているなら、それはきっと何かの助けになるはずなのに。でも、一度決めたら頑固なのはお互い様でもある。言わないと決めたらドールスは言わない。

 まぁ私も、聞き出すと決めたら、聞き出すまでやるけどね。



* * *



 盛り上がっている気配がした。後ろを振り向きたい衝動に駆られるけれど、どうにか意思の力で抑え込む。


「難しいものだな」


「はい?」


 ふいに、先ほどまで口を引き結んだままだった殿下が口を開いた。


「あのように盛り上がるのが、デートというものなのだとしたら……我々には、随分と難しい」


 同じく背後の二人を気にしていたらしいことに何やらむず痒いものを感じる。不快ではない。むしろ、初めて並んで歩くこの青年に共感を覚えたような気がする。同じことが気になるということは、同じような感性がどこかにはあるのだろう。否応なく関わり続けなくてはいけない相手との間に共通項があるのは、悪いことではない。


「そうですわね。もっとも、あの二人は既知という言葉では足りないほどの付き合いのようですから」


「それもそうだがな。……だが、やはり不思議なものだ。我々だって、婚約者となって十年来の付き合いだというのにな」


「……そう、ですわね」


 互いに、察してはいたのだと思う。

 このままの関係が続いていった先に、輝かしいものも、温かいものも無いことに。ただ、それを求めてはいなかったというだけで、関係が停滞し、行き詰まっていることを理解していた。


 変化に必要性を感じていなかったのは、半分は本当で、きっと半分が嘘だ。

 いらない、と気持ちは言っていた。いけない、と理性は言っていた。それは多分、殿下も同じだったのだろう。個である私達は互いを嫌っていないけれど決して好いてもいなくて、必要以上に関わりを持つことを望んでいなかった。けれど立場ある私達は今以上の関わりを要していると知っていた。個と公の私が争って、決着はつかないままに停滞していた。


 そこに飛び込んできたのが、あの子で。


「不思議な人間だ」


「はい?」


「エルザベラ・フォルクハイル」


「……ああ」


 名前だけで、何が言いたいのか、大体のところを察する。私と殿下に共感をもたらすものは、いつだってエルザというわけだ。


「クレアは、自分が変わったと思うか?」


「さぁ、どうでしょう」


「俺には、お前が変わったように思える」


「そうですか」


 ああ、ともう一度頷いてから、殿下は顎に手を当ててなにか考え込むような姿勢になる。その横顔をちらりと見上げてから、私も改めて考えてみる。


 私はエルザと出会って、変わったのだろうか。


 おそらく、きっと、変わった、変わっている、と思う。私の思考は躊躇いながらもそう結論付ける。

 形容しがたいいくつかの感情を知り、気づかなかったことに気付き、触れたことのなかったものに触れた。ただ、そのいずれもが、どこか薄ぼんやりとして、未だ明確な像を結んでいないのが、ハッキリと変わったと断言することを躊躇わせる。

 ただ、エルザを見て、エルザのことを考える時、言い知れないざわつきを覚えるのが、多分、一番大きな変化だろうと、そう思ってはいる。

 それらの感情が何であれ、結局全ての中心にいるのがエルザなのは、疑いようがなかった。


「お前は、感情が顔に出るようになった」


「は?」


 思わず素の声が出てしまうと、そういうところだ、と殿下は笑った。殿下が無理に作った以外の笑顔を浮かべるのを、初めて見た。これも、エルザによってもたらされた変化なのかしら、と思った。


「それは、王妃としてはあまり好ましくないのでは?」


「そうかもしれないな。以前の俺なら、良くない変化と受け止めたかもしれない」


 だが、と殿下は否定の言葉をつないだ。


「今の俺は、それを良い変化だと思っている……気がする」


「珍しく、自信のない言葉を口にされるのですね」


「これは王子としてではなく、俺の言葉だからな。不安にもなる」


「意外ですわ」


 そう言って私達は苦笑いを交わし合う。

 なるほど、と少しだけ納得した。

 こういうこと、なのかもしれない。

 エルザが望み、必要としたこと。私と殿下の間に、必要だったもの。

 私達の距離はきっと変わらない。私は未だ殿下と関わることに積極的にはなれないし、殿下も同じだろう。望まない、という点では何も変わっていない。


 ただほんの少し、関係の間にあった摩擦が減って。

 ほんの少し、隣りにいることが自然になる。

 ぶつかり合うこともなく、それどころか触れることすらほとんど無かった私たちはようやく、互いに目を向けたのだ。もちろん、エルザのお陰で。



* * *



「クレアー!」


「大声を出さないでくださいな、聞こえていますわよ」


「あれ、あそこのお店! 寄っていい?」


「貧相な店構えですわね、あんな店の何がいいんですの」


「え、可愛くない……?」


「……、ま、まぁそういう見え方も、ありますわね?」


「よかった! 行こ」


「お、お待ちなさい。そんなに急がなくても、ちょっと、引っ張らないで!」


 おーおー、一声かけたと思ったらコレだ。


「二人の世界ってやつ?」


「賑やかなのも悪くないではないか」


「いや、俺ら蚊帳の外なんだけど」


「それでも、退屈や緊張よりはずっといいだろう」


「まぁ、な」


 単に仲良しの女友達、というなら何の憂いもないんだがな。


「クレアにはこれなんて似合うんじゃない? プレゼントしてあげるわ」


「もらってばかりでは私も名が廃りますわね、では私はこちらを貴女に」


「……わー、いいしゅみー」


「言いたいことがあるならハッキリおっしゃい!」


 笑ったり怒ったり、すぐ赤くなったり目を逸らして震えたり。


「どう見ても、なぁ」


 自覚は無さそうだけど、さて。


「……俺は、誰をどうサポートすればいいんだ」


 酷い難問を突きつけられた気がした。

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