if : キスの日

※他サイト連載時、たまたま耳にしたキスの日当日に即興で投下した番外編です。本来は『しゃるうぃーくっきんぐ、の後で』の後に挿入されたお話ですが、本編の流れを加味してここに挟みました。

例によって、本編とは何の整合性も考えておりません。悪しからず。



* * *



年上侍女と侯爵令嬢


「お嬢さま、キスの日、というのをご存知ですか?」


「なにそれ?」


 アニーの口から飛び出した似合わない言葉に私は首を傾げた。


「私も由来までは存じ上げないのですが、聞けば本日がそのキスの日だそうです」


「はぁ、キスの日。それで? 結局なにをする日なのよ、キスをするの」


「するのでしょうね、キスの日ですから」


「ふーん……でもそれじゃ、私達には縁のない日ね。あいにく婚約者もいない身だもの。だからって社交界でしゃしゃってくる軽薄な連中みたいに、添い遂げるつもりもない相手にキスする趣味なんてないし」


 アニーも相変わらず男っ気がない。相手がいないんじゃキスの日なんて言われてもどうしようもない。


「そうですね、私達には縁のない日でした」


「けど珍しいわね、アニーがそんなことを気にするなんて。それもよりによってキスの日でしょう? 私達から一番縁遠いんじゃないの?」


「……そうですね」


「アニー?」


「いえ、仰るとおりです。耳慣れない物だったので印象に残っていたようで」


「別に怒ってるわけじゃないわ。アニーにもそういう、なんていうのかしら、女の子らしいところがあったのね、と思って」


「……む、今のは私が怒るところですか?」


 表情は変わらないもののアニーからわずかに怒気が立ち上るのを見て、慌てて両手を振って否定する。


「違う違う! そうじゃなくてその、ほら、アニーはいつも何事にも動じません、って感じだから、噂話とかそういうの、興味ないのかなって」


 まぁ噂というのとも少し違うか。でもそういう、根拠のない風説とか、下らないですね、って一蹴しそうなイメージだった。というか過去にその手のつまらない風説は嫌いだと言っていたような気もする。


「……そうですね、どちらかと言えば嫌いな方かもしれません」


「でしょう? だから珍しいなって――」


「ですが、自分に関係することとなれば、多少は関心も持ちますよ」


「へ?」


 あれ、おかしいな、ついさっきまで私達には無縁な日だって話だったような。


「ハロウィンの風習はご存知ですか?」


「え、ええ。アレでしょう、収穫祭と鎮魂祭を兼ねて、一夜の間だけ外を出歩く際には仮装で人の姿を隠すっていう……」


 前世の記憶とも少し異なる風習だったが大枠では似ている。子どもたちが「トリックオアトリート!」をする風習はないが、大人も子供も問わない一夜限りの仮装パーティみたいなものだ。収穫祭というだけあってどちらかといえば庶民のお祭りという感覚が根強く、貴族はその存在は知っていても参加する者はほとんどいないけど。


「それと、同じようなものだとしたら、今日はキスをしなければいけない日なのではないかと」


「え、いやそれは……だって私達、今までその日を知らなかったし、何なら去年までは知るまでもなく素通りしてきたことでしょう? 今更しなければいけないなんて」


「ですがだからといって相手が誰でも良いというはずがなく」


「あれ、アニー? ちょっと、聞いてる?」


「特に私なぞはともかくお嬢さまの唇をどこの馬の骨とも知れぬ輩に奪わせるのは許しがたく」


「アニー? もしもーし?」


 よくよく見るとアニーの目がどこか虚ろだった。ちょ、これ何かアニーすごく混乱してるっていうかテンパってるっていうか、珍しいことだから思い当たらなかったけれどなんだかとても冷静さを欠いているような。


「という次第ですので、失礼しますね、お嬢さま」


「失礼ってあなたなにを――っん!」


 熱っ、つい。


「――、では失礼します」


 呆ける私からパッと離れて、いつものように美しいお辞儀をしたアニーはそそくさと部屋を出ていった。


「……は、へ」


 取り残された私はその場にへたりこみ、思わず口元を押さえた。

 された? されたの今? 一瞬だったけど、いやでも熱かったし、柔らかかったし、ハッキリ覚えてるし、アニーも真っ赤だったし。


「せめて、事前に言ってよ……」


 時差を伴って火照る頬に触れて、笑っていいやら怒っていいやらで口元がおかしな形に引きつる。


「や、怒るのは、ないかなぁ」


 悪い気はしないから、ね。



* * *



「〜〜〜〜〜〜〜」


「アニエスはどうしたの?」


「放っておきなさい、いつものお嬢さま発作でしょう」


「今日は重症みたいね」


「何かやらかしたんじゃないの?」


「アニエスに限ってまさかでしょ。お嬢さまの前では絶対情けないとこ見せないじゃない」


 好き放題言ってくれちゃって、と思いながらも、私は顔の熱が引くまで誰とも目を合わせられる気がしなくて突っ伏したまま震えるしかない。いま顔を上げて同僚たちの顔を見たら情けなさに泣き出しそうだ。

 やってしまった。

 いくら相手が寛容なお嬢さまとはいえ、とはいえ……お嬢さまだからこそ、か。

 許されてしまうだろう、多分、きっと、いや絶対。お嬢さまはそういう方なのだ。誰よりも傍で見てきた私が一番よく知っている。

 だからこそ、我慢すべきだったのに。


「甘えちゃうよ……」


 誰にも聞こえないように小さく呟く。お嬢さまの優しさに甘えそうになる気持ちに必死にブレーキをかける。


「アニエスいる?」


「いるけど、今は使い物にならないわよ」


「なにまた発作? 午後の外出のことでお嬢さまが確認したいって――」


「すぐ行きます」


「あ、復活した」


 当たり前だ。お嬢さまが私を必要としている時に恥ずかしい顔を合わせられないなんて言っていられない。られない。られな。


「アニエス、そこ壁よ」


「……誰ですかこんなところに壁を作ったのは」


「斬新なすっとぼけ方ね」


 いけない、扉の位置も見えないくらい意識がすっ飛んでいた。

 私は一度深呼吸して気を落ち着ける。すぅー、っはぁー……よし。


「では、行ってきますね」


「はいはい、行ってらっしゃい」


 同僚たちに見送られて部屋を出る頃には、顔の熱が引いていつもの自分が戻ってきていた。これなら、問題ない。


「お嬢さまをお待たせするわけにはいきませんね」


 主のことがどうにも好きすぎる年上侍女は、付け焼き刃の年上の威厳を被り直して、最愛の令嬢の元へ戻るのだった。

 ……それでさっきはどうしたの? とその主に蒸し返されて盛大に赤面するまで、あと何分?



* * *



取り巻き令嬢と公爵令嬢



「キスの日ですわ!」


「何ですのその妙な呼び名は」


 そんな祭日が制定されたなどという話はついぞ耳にしたことがない。


「城下の民たちの間では本日をそのように呼ぶらしいのです」


「はぁ、下らないですわね。仮にも王都に住む者がそのような下劣な言葉を用いて一日を穢すなど、品性を疑いますわ」


「う……」


 思うままを述べると、さきほどまでなぜか嬉々として目を輝かせていたミリーが涙目になっていた。


「……貴女、まさか」


「わ、私だってお姉さまとキスしてみたいです!」


「正直すぎませんこと? というか、私達は貴族の娘ですよ、女同士とはいえ婚前にそのようなふしだらな真似を」


「だ、だって婚約したらそれこそこんなこと絶対できませんし!」


「ミリー、私には婚約者がいるのですけれど。それも不義など決してしてはならないお方が」


「ぐはっ」


 なぜか大ダメージを受けたらしいミリーが胸を押さえて蹲る。


「うぅ、お姉さまとキス……一生に一度の思い出がぁ……えぐっ」


「そんな事で泣かないでくださいなみっともない」


「ぐすっ、うぇぇぇええぇ……」


 ちょっと本泣きじゃないのこれ。思わずその顔をまじまじと見つめてしまうが、ミリーは私の視線に気づいた様子もなく本当に打ちひしがれた様子でえぐっえぐっとしゃくり上げている。

 そ、そんなに? そんなになのこれは。そんなに大事なの?


「うぅ、この機会を逃したら、もう、絶対してもらえないのにぃ……」


「何もそんなに落ち込まなくても」


「お姉さまの唇に最初に触れた女になりたかったですのにぃ……」


「ごめんなさい、今シンプルに引いていますわ」


「うわぁぁぁぁん」


 とうとう子供みたいな声を上げて泣き出してしまった。思わずやれやれと肩をすくめると同時に、少しだけ懐かしい気持ちになった。


 ――初めて会った時も、こんな風に大泣きしてましたわね。


 あれからもう十年近くが経ち、私達も随分と変わったように思っていたけれど。いつも私の後ろをついてきたこの子は、変わらず傍にいた。そんな当たり前のことに、最近になってようやく少しだけ出来た心の余裕が気づかせてくれる。


 仕方ないわね。これくらいなら、まぁいいでしょう。

 これくらい、ほんの少しの特別の証くらい、彼女に渡したって。


「ミリー」


「ぐすっ、えぐっ……は、はい」


「顔を上げなさい」


 私がそう言うと、涙でぐしゃぐしゃの顔がこちらを向く。座り込んでいるので、ちょうどその場所も見えやすい。

 私は目線を下げるようにすっと前屈みになり、ミリーの頬に手を添えて。


「ん」


「――――ぁ、へ?」


 ミリーの額に、口付けた。


「これも立派なキス、でしょう?」


「…………あふっ」


 ぼんっ、と音を立てて真っ赤になったミリーがそのまま後ろに倒れた。元々座っていたから、頭を打つ心配はしなくていいだろうと放っておく。


「キスの日、ですか」


 ミリーの額の予熱を残した唇に触れる。

 彼女は今日のことを知っているだろうか、と午後に約束している友人の顔が浮かんだ。



* * *



悪役令嬢とライバル令嬢



「キスの日らしいわね」


 エルザが不意に繰り出した話題に、クレアは紅茶を吹き出しそうになった。

 知っているだろうか、と思いはしたもののまさか知るはずはないとすぐに打ち消した考えだった。それをなんと、相手の方から切り出してくるとは。


「え、ええ。ミリーからそんな話も聞きましたわね」


「ああ、あの子はこういう話、好きそうだものね」


「それで? その日がどうかしましたの?」


「いえ、大したことではないのだけど。キスの日だから、ってアニーにキスされてしまったの」


 クレアはカップを取り落としそうになった。中身が少なくなっていなければ盛大にこぼしていたかもしれない。


「まぁ一瞬だったし、女同士だし、別に気にするほどのことじゃないのだけど」


「そ、そうですわね!」


「クレア? どうかしたの?」


「べ、別にどうも致しませんわ!」


 そんな話をアニーが真に受けるなんてちょっと意外で、となんてことないように話すエルザをクレアはじとっとした目で見つめる。そしてその背後にすまし顔で控える侍女の様子も窺ってみるが、その表情はエルザが自分とのキスを話題にしているのにぴくりとも動かず、何も読み取れなかった。


「そういえば、クレアはミリーに聞いたのよね?」


「ええ、そうですが」


「ミリーとしたの?」


「こぷっ」


 吹いた。


「うわっ、ちょっとクレア、大丈夫!?」


「お嬢さま!」


 慌てて手ぬぐいを差し出してくるエルザを制して、一瞬遅れてやってきたリムから受け取った布で口元を拭う。幸いドレスにはこぼれていなかったので、テーブルクロスを変えるようにリムに言いつけるだけで済んだ。


「けほっ、こほっ……、まったく、何を言うかと思えば妙なことを」


「え、そう? だってミリーはクレアのこと大好きでしょう? あの子がそんな話を持ってきたのなら、おねだりくらいしたのかと思ったのだけど」


 なぜこういう時に妙な鋭さを発揮するのか、と友人の勘の良さに辟易するクレアである。

 それと同時に、沸々と怒りに似た何かが沸いてくるのを感じた。

 自分は大事なものだからと一線を守ったのに、目の前の彼女は軽々しくそれを他人に差し出してしまったのだという。しかも彼女の唇を奪った侍女はしらっとした顔ですぐそこに控えている。

 熱くなった唇をなぞって、目の前の少女を脳裏に描いた自分が、なんだか馬鹿みたいではないか。

 ぷつり、と。怒りに似た何かにクレアの理性がキレた。


「クレア? ちょっと、本当に大丈夫?」


「……エルザ」


「うん」


「私はもうダメかもしれませんわ」


「へ?」


「せめて一つだけ、お伝えしなければなりませんの。少し、こちらへ」


 軽く身を乗り出しながら呼ぶと、エルザは何の躊躇いもなくぐっとこちらへ顔を寄せてくる。そのままなら耳を寄せようと横を向くであろうその首の後ろに手を回し、ぐっと引き寄せた。


「クレぁむっ!」


「んっ」


 ぐっと、乱暴に、唇を、押し付け――。


「「〜〜〜〜〜〜!!」」


 揃って椅子から転げ落ちる勢いで離れた二人が声にならない悲鳴をあげるのを見て、年上侍女は一言。


「シた直後に冷静になる。ええ、誰もが通る道です」


 自分のことを棚に上げて、訳知り顔で頷いた。ちなみに事態を予め予想していたアニーに目を塞がれたリムは、何が起きたのか理解できず「はなしてくださいー!」とじたばたしていた。



* * *



 柔らかかった柔らかかった柔らかかった――。

 自分がしでかしたことがどういう意味を持つのか飲み込めないまま唇に触れたいようなそのままにしたいような感覚で口元を覆ったまま震えるクレア。



 いい匂いがしたいい匂いがしたあと甘かった――。

 未知の感覚に味覚まで刺激されて思わず昂ぶってしまう自分の感情を処理できず飛び退いた姿勢と表情のまま固まるエルザ。



 悪役令嬢とライバル令嬢には、どうやら少々過ぎた刺激だったようだ。

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