反抗
会いたくなかった、とそう思う自分に腹が立った。それではまるで、私がこの女から逃げているみたいじゃないか、とそう思った。
「――ごきげんよう」
だから敢えて挑戦的に笑って口を開く。子供みたいなプライドの守り方だとしても、逃げ出さないために他に方法がわからなかった。
「ごっ、ごきげん、ょぅ……」
マリーナの口から返ってきた反応は、なぜか尻すぼみだった。珍しい、いつもは噛んだりどもったりはしても、決して遠慮しないで口を開くのに。
改めて観察すると、今日の彼女はいつもと少し様子が違う。こちらを窺うような上目遣いの視線は相変わらずだが、その視線がチラチラと私が歩いてきた中庭の方へと動いている。両手は後ろで組んでいるようだが、その手も後ろに回したまま動かない。いつもなら言い訳するように私に答える時、気まずげに手を動かしているのだが今日はそれがなかった。
……何か、隠していますわね。
「どうかなさいましたか? 何か、そわそわしているようにお見受けしますけれど」
「へぁ! あ、いえ、その、なんでも、ございません! ええ、はい、クレアラート様が気になさるような事は、何も」
嘘が下手過ぎて閉口する。誤魔化せていると思っているのだろうか。むしろ余計に怪しまれるような言動は控えるようにした方が貴女のためでしょうに、とは思うものの、そんな忠告をする義理もない。
「そうですか。何事もなければよろしいのですわ。それで、どちらへ向かわれるところでしたの? この先では今、殿下がお休み中ですので、あまり騒がしくして欲しくはないのですが」
「そ、それは、その」
「よろしかったらご一緒に教室棟まで戻りませんこと? 私、マリーナ様とお話したいことがたくさんございますの」
「ぃ、いえ、私は」
「ああ申し訳ございませんわ、何か、ご用事の途中でしたものね、どうぞ、お通りください。殿下のお休みの妨げだけは、ご遠慮くださいましね」
そう告げて道の端に寄ってみせる。どうぞ、の意思表示だがマリーナの顔はにわかに青ざめた。
「どうかなさいまして?」
嗜虐的な笑みが浮かんでしまわないよう気をつけながらも私はその場を動かない。
壁際に立つ私の前を通過するということは、後ろ手に隠している「何か」を私の目に晒すということだ。もちろんマリーナはそれもわかっているのだろう、あの、えっと、と言葉を探しながらどうしようと視線を泳がせている。
「わ、私が道を空けますから、どうぞお先に……」
苦肉の策か、マリーナはスススと私と反対側の壁に背を向けて立つ。廊下に対して縦に対面していた私達が、なぜか今度は横に向き合うことになる。
「あら、お気遣いは無用ですのよ。私は急ぎませんから。マリーナ様はお急ぎの様子ですから、どうぞお先に。お引き止めして申し訳ございませんでしたわ」
暗に、なにかソワソワしているのには気づいていますよ、と言外に込めると、マリーナの目線があからさまに泳ぐ。私はニコニコとほほ笑みを浮かべたまま、じっとその顔から視線を外さない。何事もなく逃してやるつもりはなかった。
「……で、では、失礼いたします」
やがて自分が動くまで私は決して動かないと悟ったのか、マリーナは意を決した様子で頭を下げると、私が歩いてきた中庭方面に向かって歩き出した。必然、後ろ手に握られていたものが私の視界に入ってくる。
「――お待ちなさい!」
自分でも少し驚くくらいの鋭い声が出た。当然マリーナはびっくぅ! と飛び上がらんばかりに肩を跳ねさせてその場に縫い付けられる。
彼女の両手に握られていたのは、いつぞやに見たものと同じ、そして私が抱えているのと似た大きさのバスケットだった。
「中身は何ですの?」
ツカツカと歩み寄り、バスケットを見下ろして問う。マリーナはあわあわと視線を泳がせるが、もちろん助けは来ない。エルザとナエラディオ令息の采配で、今日のこの場所は極端に人通りが少ないのだ。噂話に疎く、なおかつこの先に用事のある人間くらいしか通らない。
「……え、と」
「そのバスケットの中身はなにか、と聞いているのですけれど。平民上がりには私の問いに答えるだけの脳もございませんか? そうでなければ、私の言葉を無視していると受け取りますが……まさか、王女マリーナともあろう方が、そのような事はなさいませんよねぇ?」
「ぁ、の」
「生意気にも私の言葉を無視するというのなら、公爵家がツェレッシュに制裁を与えても構いませんのよ? 幾ら平民上がりでも、自分の家がいかに危うい立場かはご存知ですわよね?」
表面上の立場こそ王家に次ぐツェレッシュだが、実権も財産もほとんど与えられていない。影響力で勝る有力貴族はいくらでもいて、彼らの機嫌を損ねることはツェレッシュ家にとっては自分たちの立場をさらに悪くする悪手にほかならない。
「く、」
「く? なんですか、言いたいことがあるなら仰ってくださいな」
「くっ、クレアラート様には、か、関係ない、ことです、から」
「……なんですって?」
不愉快な言葉に表情が歪むのを自覚する。自覚した上で、それでも私はキツくマリーナを睨みつけた。
「随分生意気な口を叩きますわね」
「っ、な、何度でも言います。クレアラート様には関係ありません!」
「こ、のっ!」
駆け出そうとするマリーナの腕を掴んで逃亡を阻止する。振り払おうと暴れるマリーナと揉み合いになるが、意外というべきかある意味当然というべきか、マリーナは存外力が強い。
城下で暮らし、料理を始めとする家事も当たり前にこなしてきたマリーナと令嬢として常に丁重に扱われてきた私とでは腕力に差があることは否めない。運動といえば社交ダンスくらいのもので、城下町を端から端まで駆け回っていたような相手に力ではとても敵わない。
程なくして掴んだ手が振り払われそうになった私は、ほとんど咄嗟の判断で先に払われてしまった左手を伸ばした。狙ったのは、彼女が私から遠ざけるように守っていたバスケット。マリーナも私の狙いに気づいて身を引くが、私の右手はまだかろうじて彼女の腕を掴んでいた。距離が開くことはなく、私の手はバスケットの握りに届く。
引き合ったのは一瞬。直後。
「――ぁ」
ずるり、とマリーナの手が滑り、突然引き合う力を失った私達はそのまま後ろに倒れ込む。互いに尻もちを付く形で座り込んだ私達の間で、綱引き状態から突然開放されたバスケットは宙を舞って落下する――当然、その中身と一緒に。
がちゃぁ! と派手な音を立てて、バスケットが着地する。明らかに編みカゴ状のバスケットが落下しただけの音ではない。その「中身」が無事では済まなかったのは明らかだった。
「っ!」
ばっ、と常の様子からは想像できない素早さでマリーナはバスケットに飛びつくと、慎重な手付きでひっくり返ったそれを起こし、中を覗き込む。その中身が私の想像していた通りだとしたら。
「……、ぁ、ぅ」
泣きそうな顔で、バスケットを閉じるその姿に、先ほどまでの、私を相手に口論を演じるだけの胆力は見られない。肩を落としたその姿に、思わず私でさえ心配の言葉をかけそうになった。
けれど、その言葉をぐっと飲み込む。これでいい。無様で哀れで、これこそ彼女のような人間に相応しい姿だ。毅然と私に反論する姿の方が、間違っている。
そう、思っているのに。それをそのまま口にできないのは、私が「料理」を知ってしまったからだろうか。
恐らく、いや確実に、彼女のバスケットの中身はお弁当だったのだろう。中身がひっくり返ったことで、私の鼻先にもかすかに料理の匂いが届いている。
教室にいない殿下を探しに来たのだろうことも、想像がつく。当たり前のように私の婚約者と昼食を共にしようとすることに憤りは覚えるものの、自分の作ったものを喜ばれる、その嬉しさを知ってしまった私は即座にその打ちひしがれた背中に罵声を浴びせることを躊躇った。
申し訳ないなんて思わないけれど。
精一杯の気持ちを込めた料理が無駄になることに、哀れみは覚えた。
「……フン、不相応な真似をするから、そんなことになるのですわ。地べたに這い蹲る今の姿の方が、貴女にはお似合いでしてよ」
嘲りが、どこか空虚に反響する。何も応えない俯いたままのマリーナの表情はこちらからは窺えず、ただその肩がかすかに震えているのが見えた。
敗者を必要以上に辱める趣味はありませんわ、と誰にともなく内心で言い訳して踵を返す。これ以上、見ていたい光景ではなかった。
「不愉快ですわ」
重い息を吐いて、私はそれだけを呟いた。
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