しゃるうぃーくっきんぐ、の後で

「な、何でぇーーーー!?」


 我が家の厨房に響くのは私の悲鳴。

 私、エルザベラ・フォルクハイル15歳。ちょっとやそっとじゃ折れない心を持っていると自負しているけれど、これにはさすがに折れそうだよ……。


「私の最も嫌いな言葉に才能というのがございますが、敢えて言いますわ。エルザ、貴女に料理の才能はほんの一匙たりともありません」


「追い打ち! ひどいよクレアぁー!」


 呆れ顔のクレアに縋り付いておいおい泣く。クレアはため息をこぼしながらも軽く頭を撫でてくれた。


「うぅ、ぐすっ、や、役得」


「もう大丈夫そうですわね」


 ぺいっと追い払われた。なんというアメとムチ。


「お、お嬢さま……ぷ、くく、お、おいたわし、や、ふふふ」


「いやアニー、もう隠さなくていいっていうか隠せてないからそれ。完全に笑ってるから」


「い、いえそんな、めっ、そうもな、くふっ、ふ、ふふ」


 両手で顔を覆って肩が震えていた。滅多に笑わないくせに一度こうなるとしばらく使い物にならないのよね、アニーって。


「エルザベラ様でもできないことってあるんですねぇ」


「私も今日知ったわよ……」


 ほえーっと純粋に驚いた様子のリムちゃんに癒やされる。癒やされるけど、それで目の前の現実が――確実に食えたものじゃない色に変わったモザイク必須の肉塊がハンバーグに生まれ変わるわけじゃない。

 どうやらこの世界の私は、料理の神様に徹底的に嫌われているらしかった。


 ハンバーグをチョイスしたのは贈り相手である殿下が男子だし肉は鉄板じゃない? という安易な発想ももちろんあったけれど、加えて前世で何度か作った経験があったからというのも大きな理由だった。

 この世界の料理は基本的に前世とそこまで大きな違いはない。だから作ったことのある料理なら多少はノウハウもあるし、クレアが躓いたら手伝ってあげられる――ハズだったのに。


 ……調理器具の発達って、偉大だわ。


 そう、ハンバーグの作り方自体は殆ど同じはずなのだけど、包丁にせよフライパンにせよ、そもそも女の細腕で握れるように出来ていない。そこまで繊細な加工技術がないのもあって見慣れた調理器具も一回りゴツく重たく、そういう意味ではこの世界での料理はまだまだ男の領域だったりする。女性、というか侍女たちも厨房を出入りはしているけれど、ほとんどは配膳やら何やらの手伝いが多く、調理に直接関わっているのは数えるくらいしかいない。


「大丈夫ですよお嬢さま。お嬢さまのお食事はいつでも私がご用意いたしますから」


 数えるくらい、の一人であるアニーがようやく笑いから復帰してぽんぽんと肩を叩いてくる。その申し出は嬉しいけど煽られてるみたいで悲しくなるのでやめて欲しい。アニーも決してごつい腕をしてるわけじゃないのだけど、格闘術も嗜むくらいなので調理器具の重さをものともしないのだ。


「道具を扱い慣れないのは私も同じですけどね」


「うぐっ」


 やや不格好ではあるものどこからどう見てもハンバーグなものをキチンと完成させたクレアにそう言われると心に刺さる。クレアは本当に今日が初めての料理だし、前世の経験があるはずの私の敗北感は底知れないものがある。

 いや違うの、これでも焼く前までは頑張ったの! でもコンロの偉大さを思い知らされたのよ!

 焼く前の成形まではクレアよりもさらにちょっと不格好な程度だったのだ。いろいろトラブルはあったにせよ、結果だけ見ればクレアとほとんど違わないものが出来ていた。ただ最後、焼き上げる段階になって、私はもう一度この世界での料理の難しさに直面する。


 火力の調節、難しすぎるのよ!


 前世のようにダイヤルを捻って火力調節なんて出来るわけがなかった。それはわかっていたつもりだったのだけど、それでも甘く見ていたと言わざるを得ない。

 火力の調整が難しいというのは何も手間だけが問題ではない。強めるにも弱めるにも時間がかかるので、どのタイミングで火を強める準備をし、どのタイミングで弱める準備をするか、その先読みが出来ないと話にならない。

 その点を私はついつい前世の感覚で、そろそろ弱火に、なんてやってたものだから。


「あんなにのんびり扱っていたら、黒焦げにもなりますわよ」


「おっしゃる通りで……」


 そう、火力調節に手間取っている間に、見事私のハンバーグは炭へと転生したのであった。


「ま、まぁホラ、今日のメインはクレアだから! クレアのハンバーグ美味しそうに出来てるし、これなら本番も大丈夫そうね!」


 そう、私の料理が失敗しようとも結果的にクレアが成功すればいいのである。今日の趣旨はあくまでそこ、私の失敗も今日この日の失敗ではない、はず。ぐすん。


「まぁ、手順通りにやるだけならなんとかなりますわね」


「手順通りにできなくてごめんね……」


 前世の経験が邪魔になる日が来るなんて私も想像してなかったのよ。


「でも、さすがはクレアね。厨房に入るのも初めてなんでしょう?」


「我が家は使用人たちが働く場所と私達の生活する空間がキッチリ別れていますから。厨房がどこにあるのかもよく知りませんわね」


「それなのにこれだけできるなんて、やっぱりクレアはすごいわ」


「別にこのくらい何でも――っ!?」


「? どうかし、た……あ、ごめんなさい、つい!」


 気づいた時には手が勝手にクレアの頭を撫でていた。いや、だって今日のクレアってばすごく頑張ってたんだもの。それなのに何でもないなんて言うものだから、ちゃんと褒めてあげなきゃいけないと思って。


「〜〜〜〜っ」


 ダメですよね、そうですよね! うわ怒ってる? 真っ赤だし震えてるしこれ怒ってるよねそうだよね急に髪触られるとか絶対ダメだよね女の子だし!

 慌てて手を引っ込め、ようとしたらクレアの手が私の服を掴んだ。いや、つまんだ? 指先でちょっとだけ。突然のことに引っ込めようとした私の手が中途半端に浮いたまま静止する。


「え、っと、クレア?」


「……だけ」


「え?」


「……も、もう少しだけ、撫でても構いませんのよ?」


 …………………………ほぁ?


「怒って、ない?」


 ふるふる。

 首を横に振る。ボリュームのある髪がふぁっさふぁっさと揺れた。かわいい。


「えっと、じゃあ」


 恐る恐る外しかけた手を戻す。触れた瞬間クレアの身体がぴくりと跳ねる。思わずまた手を引きそうになるのをこらえて、そっと髪を乱さないように撫でる。

 プラチナに輝く髪の上を滑らせる手の感触が滑らかで、あのクレアに子供みたいに甘えられているという喜びに実感を与える。撫でているうちに力の入っていたクレアの身体が弛緩していくのが手のひらから伝わってきて、私の表情筋まで緩んでいく。


「…………」なでりなでり


「…………っんぁ」


 待ってなにいまの声。


「っ、も、もう結構ですわ!」


 声を漏らしてしまったことで正気に戻ったのか、クレアがほとんど飛び退くように後ずさった。ああ待って、もう一回聞かせて、今度はちゃんと心して聞くから!


「そんな目をしてもダメですわ!」


 よっぽど私が物欲しそうな目をしていたのか、クレアに再度釘を刺された。仕方ない、次の機会に期待しましょう。


「お嬢さま、こちらはどうしましょうか」


「あー……」


 こちらが一段落ついたと見たアニーが私の黒焦げ物体Xとクレアの手作りハンバーグを指し示す。そういえば今日は試作することが目的だったから、作ったものをどうするかは決まってなかったわね。


「お昼時ではあるけれど……私のは食べられたものじゃないし。勿体無いけど処分してちょうだい。クレアは自分で作ったの、食べる?」


「いえ、私も――」


 いりませんわ、と続きそうだった言葉がテーブルの上に並んだ皿の上で止まる。やっぱり食べたくなったのかしら。でも、なんだか私の皿を見ているような……。


「捨てるのは勿体無いですわね。エルザ、貴女の皿を渡しなさい」


「え、コレを?」


「他にありませんでしょう?」


「そうだけど」


 物体Xとクレアの顔を交互に見比べる。クレアは至って平然としている。さっきの動揺が残って自分の言葉の意味がわかってない、という訳でもないらしい。

 私が何も言えないのでアニーも動けない。そうしている間にも「さぁ早くなさい」とクレアが要求の手を差し出してくる。


「美味しくないし、やめておいた方が」


「食べてみなくてはわからないでしょう」


「いや見るからに」


「見た目で味は決まりませんわ」


「……どうしても?」


「くどいですわね。私に二度同じことを言わせるつもりですの?」


 譲る気はないらしい。私が諦めて目配せすると、アニーが頷いてナイフを手に取り、黒焦げのソイツを一切れ、小皿に切り分けた。


「どうぞ」


「ありがとうございますわ」


 アニーの手から小皿とフォークを受け取ったクレアは、そのままノータイムで、令嬢らしからぬ立ち食いという格好で、ぱくんと私の問題作を口に放り込んだ。


「……………………んごっ」


「言わんこっちゃない! ほらクレア、無理しなくていいから、ぺっしてぺっ!」


「〜〜〜〜〜」ふるふる


「意地はらなくていいから! ほら、もう涙目じゃない!」


「っ――、〜〜〜!」ごくん


 あ。飲んだ。


「…………」


「く、クレア?」


 一瞬でげっそりとやつれた気がするクレアにおそるおそる声を掛ける。ゆらりと顔を上げたクレアは、一言。


「悪く、ありませんでしたわ」


 引きつった笑顔で、そう言った。


「本当でしたわね」


「な、何が」


「手料理というのは、味だけでは計れない何かがあるようですわ」


「え、と、舌が麻痺するくらいエグかったと……?」


「ふふ、違いますわ。正直に言って美味しくはありませんでしたけれど、でも、そうですわね」


 少しだけ考え込むような間を置いた後、クレアは適切な言葉が浮かんだとスッキリした顔で。


「これが、エルザの味なんですのね」


「…………っ、ぁ」


 なに、それ。

 うぁぁあああ熱っつい! 顔が、火が出て、熱くて、多分真っ赤で! 見えないけど、自分の顔! でも熱い。それでわかる。なんだそれ、なんだそれ私の味って、そんなの、もう、もう!


「く、クレアの!」


「はい?」


「クレアのハンバーグは、私のだから!」


 よくわからない勢いのまま所有権を主張する。


「ええ、そのつもりでしたわ」


「うぁ」


 笑顔! すっごい笑顔!


「アニー!」


「どうぞ」


 呼んだときには既に用意できていた小皿が差し出される。少し不格好だったハンバーグも一切れ切り分けてしまえば形は気にならない。完璧なハンバーグだ。


「ぁむっ」


 ……美味しい。なんか、すっごい、美味しい。


「美味しいよぉ……」


「当然ですわね。貴女の言った通り、食べてくれる人を想って作りましたから」


 なんで平然とそんなこと言えるの! ああもう、これが無自覚! 無自覚の破壊力なのね! ちくしょう美味しい!


「エルザベラ様、なんだか悔しそうです」


「炭と愛情料理では敗北感もひとしおですから」


 リムちゃん相手にも容赦なく私をディスるアニーに少し泣きそうになりながら、結局私はクレア作のハンバーグを美味しく完食した。

 ……何はともあれ、クレアの料理スキルの基礎づくりは、十分すぎるくらいに達成されたわね。料理教室は大成功――ということにしておく。私の名誉にかけて。

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