クッキングはいかが?

 マリーのバスケットの中身をお弁当と推測したのは単にお昼時だったからなのだけど、考えてみれば貴族の令嬢や新米とはいえ王女が、お昼を料理人に任せず持参するというのは少し違和感のある話だ。

 それなのにどうしてそんなことを私が思いついたのか、辿ってみるとこれもゲームの記憶が関係しているみたいだった。

 マリーナは庶民王女とゲームに冠されるだけあって、ほんの数ヶ月前までの庶民暮らしの癖や習慣が抜けきらないところがある。元々家事も一通りこなしていた彼女は、食事は自分で用意するのが当然であり、庶民としてもそこそこの、王女としてはありえないレベルの料理スキルを有している。


 そもそも王女というのは料理をする必要がない存在なのだ。


 ゲームでは料理好きの彼女は、王家の一員となってから「そんなことは王女のすることじゃない」と厨房に立ち入らせてもらえないことを不満に思っていた。そこで学院での昼食は食堂を利用すると偽って昼食に料理人をつけるのを断り、こっそり厨房の隅を借りて、食堂の余り物を分けてもらってお弁当を作っている。

 そのため彼女は学生の誰よりも早く学院に登校していたりするのだが、まぁそれはそれとして。

 さておき、お弁当である。


「料理、ですか?」


 珍しく、クレアは難しい顔でむむっと唸った。まぁそうなるわよね。前世の家庭科みたいな科目もないし、下級貴族ならともかく私達クラスの令嬢になると将来的にどこかに嫁いだとしても直接厨房に足を運ぶことはしないのが普通だ。まして指示を出したり注文をつけたりではなく料理そのものだ。これは下級貴族の婦人だってやらない。

 となると当然、料理というのは貴族女性の教養から除外されている。味や素材の質には敏感でも、実際それをどのように料理するかは管轄外だ。


「…………まぁ、人並みには、といったところでしょうか」


 苦虫を噛み潰したという表現が似合いの顔でクレアは小さく答えた。それが何であれ、他人に対して「できない」と答えることがよっぽど嫌なようだった。もちろんここで言う人並みは貴族令嬢基準なので、ほとんど出来ないとイコールである。


「私もほとんど経験はないのだけどね」


 半分嘘を交えて料理経験を申告する。エルザベラは間違いなく料理をしたことはないが、前世の私はそれこそ人並みに料理はしていた。家庭科の授業に毛が生えたレベルだが、この世界の令嬢基準ならなかなかの経験値だと言える。……もっとも、それでも日常的に料理をしていたマリーには遠く及ばないだろうけれど。


「それがどうかしまして?」


「ええと……たまには、殿下に手料理なんてどうかなと思ったのだけど」


「は?」


 おおう……なんという冷たい眼差し。心底興味がないというか、むしろ私の発言だというのに殿下にヘイトが向いたんじゃないかというくらいに嫌そう。あれ、クレアって別に殿下のことが嫌いなわけじゃなかったと思うんだけど。


「クレアは殿下のこと、好きじゃないの?」


「嫌いではありませんけど……好きになる必要がございまして?」


 ああ、うん、これはユベルと全く同じパターンね。婚約や婚姻に恋愛を持ち込むという発想がそもそも無い、ってやつ。別に珍しいことじゃないというか、私だって似たようなものだしね。立場ある家に生まれた令嬢は婚約に夢なんて見ないほうが幸せなのだ。

 でも、婚約したことに恋愛が関係なくても、その時点で相手に興味がなくとも、その先の関係を良いものにしていくことは出来るはずだ。


 例えば私なら、ドールスとなら今すぐ結婚したってそこそこ楽しくやれる自信がある。それは私達の間に良い関係が既に出来上がっているからだけど、じゃあドールスに恋してるかって言われたらあり得ないって断言できる。

 だから別に、クレアがユベルに恋をする必要はない。ただ二人の関係を今よりも良いものに変えていくことは、きっとクレアのためになるはずだ。



* * *



「ということで、殿下にお弁当を作ります!」


「何がということでなのか、全くわからないのですけれど」


 食堂で向かい合って座りながら私が高らかに宣言すると、クレアが渋い顔で額を押さえた。


「クレアは殿下との関係が今のままで良いと思っているわけ?」


「別段、不都合はありませんわ。私も殿下も、それぞれの役割をこなす力は十分に持っていると思いますし」


「いや、そういう資質の問題ではなくてですね」


「王と王妃に、その役職に見合った能力以上の何を欲すると?」


「違うわクレア。私、王妃さまの話はしてない。クレアの話をしているの」


「ですから、私は」


「王妃でなければクレアじゃないの?」


「それ、は」


「王妃じゃなくても、エルトファンベリアじゃなくても、令嬢じゃなくても、クレアはクレアよ。違う?」


「…………」


「だから私は王妃としてじゃなく、クレアがクレアとして幸せになるために、殿下との関係を改善して欲しいと思うの」


「別に、私と殿下は」


「親しい、と言える間柄じゃないでしょう? 私の方がクレアと親しいじゃない」


「……それはそのままで構わないのですけど」


「え、なに?」


「なんでもありませんわ。それで、何がどうなって「お弁当」なのです?」


 さっきの呟きは聞き取れなかったけど、どうにか話を聞く気にはなってくれたみたいでひと安心ね。


「古来から、男心を掴むにはまず胃袋を掴めと言います!」


「はぁ」


 気のない返事だった。ぐっと握った拳の収めどころに困る。


「えっと、興味ない、かな?」


「貴女のそのおかしな動きには興味がありますわね」


「全然興味ないじゃん!」


「ほんの冗談ですわ。これでも私、友人の言葉にはキチンと耳を貸すようにしていますのよ」


 その割に殿下とのことは食い下がってたけど、と指摘するのはやめておいた。その気になってくれてるところに茶々を入れるものじゃないわよね。


「しかし料理、ですか。あまりこういう言い方は好きではありませんが、料理は調理人の領分でしてよ。まして殿下ほどのお立場であれば普段から相応のものを口にされていますし、私や貴女が作れる程度のもので満足頂けるとは思えませんが」


「味ではそうかもね。けど、手料理というのは味だけが全てじゃないもの」


「どういう意味ですの?」


「相手を思って料理をする、自分のために作ってくれた料理を食べる。それは単に料理が美味しいとかそういう喜びとは違うものよ」


「……そういうものですの?」


 いまいち理解できないという顔でクレアが首を捻る。

 うーん、どう言ったら理解してもらえるのかしら。


「例えばそうね、私がクレアに料理を作ったとするわ」


「っ」


 ぴくっとクレアが反応する。


「その味は多分、クレアが普段食べているものには到底及ばないでしょうね。でも、だからといってクレアにとってその料理はただいつもより美味しくないだけかしら?」


「エルザの、料理」


「そう、私のよ。たとえ味が劣っていても、誰かが自分のために作ってくれる、それだけで嬉しいものではないかしら?」


「……まぁ、そんなこともあるかもしれませんわね」


「それじゃ次ね。クレアが料理を作ったとするわ」


「作りませんけど」


「作ったとするわ!」


「はぁ……ええ、作ったとしますわね」


「それを私が食べて、とても喜びました。美味しいではなく、嬉しいと」


「嬉しい?」


「クレアが作ったものが食べられて嬉しいと私は大喜び。クレアに抱きついて大興奮よ」


「ほとんどいつも通りではありませんこと?」


「え、いやそんなこと、無いことはないかもしれないけど……」


 この例えは無理があったか、と思った直後。


「…………まぁ、悪い気分ではありませんわね」


「クレアぁ!」がばっ


「だからいつも通りじゃありませんの!」


 今日もクレアはいい匂いがした……じゃなくて。


「コホン、とにかくそういうことよ。手料理っていうのは、味だけが価値を決めるものじゃないわ。作った方も食べた方も、美味しく楽しく仲を深められる、良い手段だと思わない?」


「眉唾ですけれど……いいですわ。ここは貴女の顔を立てて差し上げます。当然、貴女も手伝ってくださるのでしょう?」


「ええ、もちろんよ」


「ならいいですわ。手配は任せますわよ」


「ええ、任せて」


 頷いてサムズアップする私に、クレアが苦笑いする。

 ……うん、いいじゃないこの感じ。ふざけて笑い合うなんて、なんだか前世の友人関係を思い出す。この世界ではちょっとおかしな付き合いかもしれないけれど、一人の時でさえ気を張っているクレアだからこそ、こんな悪友めいた関係は安らぎになると思いたい。


「ふふ、なんだか貴女を見ていたら私まで楽しみになってきましたわ」


「うん! 期待してて」


 折角だしまずはこのイベント、楽しまないと損よね。

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