導きと誓い

 ――マリーナ・ツェレッシュを消してほしいの。


 あまりに物騒な言葉に思わず固まる。クレアの表情は穏やかなままだ。それが私の背筋に冷ややかなものを感じさせる。


「え、と」


「ああ、別に殺せとか投獄しろだとか、そんなことを言っているわけではありませんの。ただ、私の視界から消えていただければそれで十分ですわ」


「あの、それは」


「もちろんできますわよね。私たち、お友だちですもの」


「…………」


 わからない。何と答えるのが正解なのか。

 実際にマリーを害することなんてもちろん私に出来るはずもない。視界に入らないように、というのはつまりユベルに近づくのをやめさせ、可能であれば学院を追い出すくらいはさせようということだろうが、もちろん私には指先一つでそんなことができる力はないし、出来たとしてもそれでは意味がない。

 確かにマリーがいなければ断罪イベントも発生しないかもしれないが、それでは先がないのだ。正しくクレアに幸福な人生を送って欲しいと思うなら、こんな悪戯に敵を作るようなやり方を私が受け入れることは出来ない。


 けれど今、それを正面から否定してもいいのだろうか。せっかくクレアが開いてくれた心をまた閉じられてしまっては意味がない。もし一度クレアに見限られてしまえば、同じだけの信頼をもう一度得ることは難しい。


 どうしよう。どう答えればいい?


「――冗談ですわ」


「へ」


「冗談、と言ったのです。もう、エルザったらあんまり真剣に考えるんですもの。まるで私が本当にマリーナ様を追い出そうとしているみたいではありませんか」


「違う、の?」


「心外ですわね、これでも公爵家の娘ですのよ。無闇に王族に弓引くような真似は致しませんわ」


「……そう」


 嘘だと、そう思ってしまった。

 もちろんその言葉が本当であればとは思うけれど、クレアの振る舞いからそれを素直に信じることは難しい。いや嘘というより、今のはきっと。


「ありがとう、クレア」


 それがこの場面で正しい言葉だとは思わない。私の目的、クレアの将来のことを考えるなら恐らく、それではダメだと言わなければいけないのだと思う。

 けれどクレアの「冗談」の意味が私の思う通りなら、まずはお礼を言いたかった。


「なんのことかわかりませんわね、私は貴女をからかっただけですのに」


「うん、でも、ありがとう」


「おかしな人ですわね」


 それ以上私の言葉の意味を問わずに歩き出したということは、やはりそうなんだろう。

 やはり先ほどの「お願い」は決して単なる冗談では無かった。私がどこまで出来るのかという現実的な問題を差し置いて考えるなら、アレは確かにクレアの本音だったんだと思う。

 本当に消してしまいたいくらいにマリーを憎んでいる。それはクレアという人間と向き合う以上目を逸らしてはならない部分だ。たとえこの場にいるのが生身の人間であったとしても、今後どれだけ変化していくとしても、クレアラートというキャラクターの基本的な人物像は「悪役令嬢」なのだから。


 だけどクレアは友人である私がそれに応えられないのを見て、冗談という形で話題を取り下げた。少なくとも今この場では、憎しみよりも私との友情を選んでくれたのだ。だからまずは、そのことにお礼を言いたかった。


 クレアの感情はきっととても歪だ。まっすぐな憎悪も、まっすぐな友情もなく、きっと全てが捻じ曲がって複雑に絡み合っている。彼女の生来の気質と、エルトファンベリアという家がそうさせてしまった事実はもはや覆しようがない。

 悪意と友情を同時に語り、平然とその間を行き来できてしまう姿には危うささえ覚えるけれど、それこそが救いでもある。


 クレアは悪役令嬢だけど、彼女を構成するものは悪意だけではないのだ。


 私との友情に価値を感じて、それを守るために自分の言葉を翻してくれるのもまたクレアという人格の一端に間違いない。それならきっと、彼女のための幸せな結末だって許される。

 だとしたら私の役目はクレアの絡み合った感情を少しだけほぐしてあげること。道を外れそうになったら、手を引いてあげること、なのかもしれない。


 先ほど階段へ消えていったマリーの手にバスケットが抱えられていたことを思い出した私は、一つ提案してみることにした。


「ねぇ、クレアってお料理はできる?」



* * *



 冗談、とそう言った私の声は薄っぺらではなかったかと自問する。


 ……どっちでも同じことか。多分、いや確実に、エルザは私の本心に気づいているだろう。何しろ今の今までそれを隠すつもりなんてなかったのだから。

 マリーナ・ツェレッシュは敵だ。私を、エルトファンベリアの品格を貶めかねない存在だ。それが無知からのものであろうと、そんなことを許してはそれこそ名折れだ。


 こういった事で信頼できる味方が私には少ない。ミリーは味方をしてくれるだろうけれどそそっかしいのが心配だし、リムには政治的な能力は皆無だ。その点、新たな友人であるエルザベラ・フォルクハイルは本人の資質も周囲への影響力も申し分ない。あの女を排除するのにこれ以上無い最適な人材に思えた。

 もちろん私もただ任せきりにするつもりで言ったわけではなかったけれど、いずれにせよ「消してほしい」と頼んだ私を見るエルザの表情が、それまでの思考を吹き飛ばしてしまった。


 辛そう、だった。


 すぐに頷くなら理解できた。

 私に対して盲目なだけだと。


 拒絶するなら理解できた。

 彼女は退屈な正義感を振りかざす人間だったと。


 やめろと言われるなら理解できた。

 倫理というものに価値を見出しているのだと。


 怖気づくなら理解できた。

 私より自分が可愛いのだと。


 でも、そんな顔をされたらわからない。エルザのことがわからないし、何より彼女のそんな表情を見た途端、慌てて「冗談だ」と訂正してしまった自分のことまでわからなくなりそうだった。

 どうしてそんな顔をするのかと、疑問が胸にわだかまる。

 エルザの辛そうな顔に、どうしてこんなに動揺しているのかと、自分を見失いそうになる。


 でも、何もわからなくても、彼女にそんな顔をさせたかったわけじゃない事は間違いなく私の真実で、だからきっと「冗談」で済ませたことは間違ってない。


 ――エルザの前で、この話は禁止ね。


 冗談だなんて信じてもらえないだろう、さて何と言ってこの場を切り抜けよう。そんな風に切り替えようとした私の頭は。


「ありがとう、クレア」


 エルザの言葉ひとつで、簡単に真っ白にされてしまう。

 ずるい、とそんな子供みたいな言葉が浮かぶ。

 どうして彼女には私の気持ちがわかってしまうのだろう。私はこんなにも彼女のことがわからずにいるのに、彼女はいつも容易く私のほしい言葉を見抜いてしまう。私自身さえも気づいていない心の奥底に彼女の言葉は柔らかく、けれど鋭く確実に滑り込む。


 ああ、温かい。

 この胸に渦巻く憎悪を、これ以上この温かなものに触れさせたくない。捻れてしまった私の中で、この温もりだけは真っ直ぐなままにしておきたい。

 だから今だけは、彼女の前でだけは、この悪意に蓋をしよう。


 それが私の、誓いだ。

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