友情と敵意

「先日は、申し訳ございませんでしたわ」


 そう言って頭を下げるクレアの背中を、私は複雑な思いを抱えながら見ていた。


「ああ……いや、こちらからも謝罪しよう。クレア、婚約者として俺も配慮に欠けていたようだ」


 謝罪を受けた殿下はクレアの背後に侍女のように控えている私をちらりと一瞥してから、そのように応じた。クレアはそれに「……いいえ」と短く首を振って返事とする。これで一応、謝罪は成立したことになる。


「マリーには……うむ、俺から伝えておこう」


「お願い致しますわ」


「構わない。直接会わないほうがスムーズなこともあると俺も承知している」


「殿下のご配慮、痛み入ります」


 二言三言挨拶を交わすと最後にもう一度頭を下げて、クレアは殿下に背を向けた。こちらを向いたその表情には、何の色もない。その無味簡素な表情が、いまの謝罪がいかに形式的なものであったかを物語っている気がした。


 ちらりとクレアの肩越しに殿下を一瞥すると、こちらはこちらでどこか険しい、というか何か思い含むところがあるような視線をクレアの背に向けていた。

 その殿下と一瞬目が合ったような気がしたが、あちらからサッと視線を逸らされてしまった。ちなみに、食堂での一件について私は謝罪をしていない。私は悪いことを言ったつもりは微塵もないし、ユベルはゲームのメインキャラクターに相応しく、自分が何か言われることについては非常に寛容だ。周囲の誰かが傷つけられる事の方を嫌う彼なら、私の言ったことを取り立てて問題視することはないだろう。……なんて冷静ぶってみたところで、私の本音なんて「クレアを傷つけた男に下げる頭なんてない」という一言に尽きるのだけど。


「行きましょうか」


「もう、いいの?」


「ええ。エルザの言う通り必要な謝罪は済ませました。これ以上話すべきことはありませんわ」


「……わかったわ」


 それでいいのだろうか、と思わないではなかったがじゃあこの場でクレアから殿下に何か言うべきことが残っているとも思えなかった。


「貴女って相当な物好きですのね」


「え、なに急に」


 二年の教室のある二階から一階へと降りる道すがら、クレアが呆れ混じりにそんなことを言ってきた。


「いえ、友人とはいえこんな事にまで口を出してくるなんて、物好きとしか言いようがないと思っただけですわ」


「変かしら? 私はクレアのことを心配してただけよ。殿下とクレアは婚約者なのだから、わだかまりを解消するなら早い方がいいじゃない?」


「それはそうですが……別に、貴女に心配されなくても自分でどうとでも致しましたのに」


「ふふ、そうね。それはそれはお節介を致しました」


「まったくですわ」


 フン、と鼻を鳴らしたクレアだけど、視線が泳いでいる。

 敢えて指摘はしないけど、クレアだって自分だけでは謝罪を躊躇ったままなかなか行動できなかっただろうことは薄々気づいているはずだ。だってゲームではそうだったのだから。


 エルトファンベリア邸でクレアと会ってから数日、晴れて友人と認められた私がまずしたことは、とにかくユベルに謝って欲しい、と土下座する勢いでお願いすることだった。

 というのも、かなりシチュエーションも時期も違ったけれどゲームにも似たようなイベントがあったのを思い出したからだった。


 ゲームでも親しげなマリーとユベルを偶然目撃したクレアが、わざわざ乗り込んでいってマリーを罵倒し、ユベルに退席を命じられるというイベントは存在していた。ゲーム中ではもう少し後、プレイヤーがユベルからの好感度をある程度上げてから発生するイベントだったのだけど、どうもこの世界ではマリーと他の攻略対象者たちには殆ど接点が無いみたいだし、好感度稼ぎの期間がスキップされているのかもしれない。

 ゲームのイベントとしては、気落ちするマリーをユベルが慰めるというだけのものなんだけど、後にこの一件についてユベルがクレアとマリーを強引に対面させて謝罪を要求するという関連イベントがある。裏を返せば、そのイベントが発生するまでクレアは謝罪をしていなかったことになるのだ。



 謝罪の一件を契機にユベルの心情はマリー寄りになっていき、クレアの側もそれまで以上に頑なになってしまう。だからこの件について、ユベルやマリーが行動する前にせめてクレアの側から動いてほしかったのだ。

 欲しかった、のだけど。


「ごめんなさいクレア。本当は、殿下の方から謝って欲しかったのだけど」


「だからって貴女が謝っても仕方ありませんわ。それに、王族というのは易易と頭を下げないものです、こちらからの謝罪になるのは仕方ありません」


「でも、先にクレアを傷つけたのは、殿下の方なのに」


「エルザって時々妙に恐れ知らずですわよね。殿下をそんな風に言うなんて、普通は畏れ多くてできませんわよ」


「クレアを傷つける男なんてそれだけで最低だわ。王子じゃなきゃ引っ叩いてやったわよ」


「……ふふ」


 私が息を荒げてユベルへの不満を口にすると、何が可笑しいのかクレアは小さく笑った。


「クレア?」


「どうして貴女が怒るのでしょうね。私の問題ですのに」


「それは……大事な友だちのことだもの。怒るわよ、私だって」


 そうだ。前世の記憶を取り戻したときから、私はユベルとマリーのことは知っていた。クレアとの間にどんな問題が起こるのかも、大枠では把握していたことになる。

 それでも我慢できなかった。ユベルを公衆の面前でバカ王子などと罵倒するくらい、腹に据えかねるものがあった。それはきっと、クレアを救わなければと思っていた前世から地続きの私ではなく、いつも一生懸命で実は人より臆病なクレアを知っているこの世界の私の胸に浮かんだ怒りだ。


 この世界はゲームじゃない。クレアが生きているように、私だって生きている。身体的なことだけじゃない、私の感情はこの世界で生まれ育ってきた、私だけのものだ。


「変わってますわね」


「そんな変わり者を友人に選んだのはクレアよ」


「ほんと、どうかしてましたわ」


「ひどい!」


「ふふ、いいではありませんか。それでも貴女が私の友人なことに変わりはありませんのよ」


「それは嬉しいけど!」


 なんて、そんなちょっとした冗談も言える関係になれたのはとても嬉しいのだけど……正直この先のプランが何かあるのかと言われれば何も思いつかないのが現状だった。

 私がただのクレアの友人だったなら何の憂いもなく今の関係を喜べたのかもしれないけれど、ゲームのクレアが辿る顛末は待ってくれない。ゲームとは流れが違う部分は多いが、それでも私の周囲の人間関係、その大部分はゲームのそれとほとんど同じだ。そしてやはりクレアとマリーの関係は険悪で、ユベルとクレアの関係もまた事務的なものでしか無い。


 このまま流れに身を任せれば、きっとゲームと同じエンディングにたどり着いてしまうのだろう。そんな予感を、ここしばらくのあれやこれやから強く感じている。

 最悪の結果にならないよう私は動かなければならない。その焦りだけが募って、具体的なアイデアにはなかなか結びつかない。


「……どうしよう」


 クレアに聞こえないように小さくため息をついた時だった。


「――――」


 並んで歩いていたクレアがピタリと足を止めた。


「クレア?」


「……っ、なんでもありませんわ」


 私の呼びかけにハッとしたように慌てて足を踏み出すクレアの挙動不審な様子を訝しんで、彼女が見ていたであろう廊下の先に目をやると。


「――あ、クレアラート様、エルザベラ様」


 ちょうど、小走りで廊下をこちらへ進んでいたマリーと目が合った。


「……ごきげんよう、マリーナ様」


「ぇあ、と、ご、ごきげんよう」


 一応相手が王族である以上は無視もできず私が頭を下げると、まだ少しぎこちない挨拶が返ってきた。制服姿はいつも通りだったが、今日は両手に小ぶりなバスケットを抱えていた。中身は見えないけれど、昼時であることを鑑みるにお弁当だろうか。

 私は挨拶をしてマリーも返して、けれど不意打ちの対面にクレアはどうするだろう。一抹の不安を抱えてその横顔を盗み見ると。


「ごきげんようマリーナ様。そのように慌てて、はしたないですわよ。足運びにはお気をつけくださいな」


「は、はい、ごめ、じゃなくて、失礼致しました」


 それはそれは見事な令嬢スマイルで、当たり障りのない口ぶりでマリーを注意していた。それは穏やかながら芯のある、令嬢であり同時に王子の婚約者でもあるという挟持に満ちた凛々しい姿、なのだけど。

 私はその背筋の伸びた美しい立ち姿に、なぜか不安を覚えた。


「お急ぎでどちらへ向かわれるのですか?」


「私は今からユ――あ、その、ええと」


 禁句だと察したようだが一歩遅かった。私に聞こえたその言葉で、同じくクレアも気づいてしまっただろう。


「し、失礼します」


 勢いよく頭を下げて、私達の横をするりと抜けるとマリーは先ほどよりもさらに慌ただしい足取りで私達が降りてきたばかりの階段に飛び込んでいった。

 歩き方を注意されたばかりなのになぁ、とどうでもいいことが頭をかすめた。


「…………」


「クレ、ア……」


 マリーの走り去った方向を睨むクレアの表情に、思わず声をかけるのを躊躇った。さきほどまでの完璧な令嬢スマイルは消え失せ、その顔には姿の見えなくなった少女への明確な敵意が浮かんでいた。厳しく眇められた視線は、誰にでもハッキリわかるくらいに強烈な不快感を滲ませていて、それは怒りや苛立ちというより最早憎悪の域に達しているようにさえ見えた。


「――ザ、エルザ?」


「っ、なに? クレア」


「こっちのセリフですわ。急にぼーっとして、どうしましたの?」


 気づけば数歩先まで進んだクレアが振り返って、不思議そうに首を傾げていた。その表情にはつい今しがた浮かんでいた憎しみの色は欠片も残っていない。見間違いかと思うほどに、マリーと遭遇する前のクレアと変わらない穏やかさだった。


「なんでもないわ」


 本人の前で思い悩むことじゃない、と首を振って気を取り直し、私は小走りでクレアの隣に並んだ。


「はしたないですわよ」


「クレアが先に行ってしまうんだもの」


「まぁ、私が悪いんですの?」


 ニヤリとからかうように笑うクレアはいつも通りだ。だからこそ、私は不安になる。

 あんな顔をするくらいの黒い感情を隠して笑うクレアには、どこか不穏な影がついて回るようで、視線を合わせるのが躊躇われた。


「ああ、そうですわエルザ。私は貴女のお願いを聞いて殿下に謝罪したのですから、貴女も私のお願い、聞いてくださるわよね?」


「え? ええ、もちろんよ」


「そう、では一つお願いしてもよろしいかしら」


 大した事ではないから、と本当に世間話のように気軽な調子でクレアは。


「マリーナ・ツェレッシュを消してほしいの」


 そう、言った。

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