赤と微笑
「ようこそいらっしゃいましたわ」
馬車を降りた私達を迎えたクレア様の姿に、私はしばし言葉を失った。今回の場を設けた主催者である令嬢がわざわざ出迎え、それも玄関ホールや会場の入り口ではなく、門前に止まった馬車から目と鼻の先まで。それ自体も驚くべきこと、だったんだけど。
それより何より。
「赤……」
思わず口をついて出た私の言葉に、クレア様は気恥ずかしそうに視線を逸らした。
そう、赤である。クレア様といえば人前に出るときにはいつも青いドレスだった。本人の趣味ももちろんだけど、同時に彼女は周囲からの「クレアラート」としてのイメージを守ることに熱心だったことが大きい。青であることが重要というよりは、青というイメージを崩さないことでクレアラートという人物像を確立させる、といったニュアンスなのだけど。
私が赤を中心に着ているのもそういう理由がないわけじゃない。もちろん私はクレア様ほど徹底しているわけじゃないのだけど――その赤を、クレア様が。
私達を出迎えたクレア様は、ゆったりしたラインの比較的ラフなデザインのドレス姿だった。公的なパーティではなくあくまで私事として私を呼んでくれたみたいで嬉しいのだけど、喜ぶよりもまず先に驚いてしまったのはその色が真紅としか言いようのないものだったからだ。
出迎えにすぐ応えないのは失礼にあたるけども、それくらい驚くべきことだったのだ。後ろに控えるアニーからも戸惑う気配が感じられた。そうよね、びっくりよね。
例によって私の外出着も赤なので、メイド二人の黒に並ぶと私とクレア様がわざわざおそろいにしたみたいに……いや、私が赤か、そうでなくても近い色を着るのはクレア様も予想でこたことだし、これは本当にその「わざわざ」というやつなのではないかしら。
「似合わない、かしら?」
不安げにそう問うてくるクレア様のその表情だけでご飯三杯ものです、と言いたかったけどぐっと堪えた。そもそもこの世界にお米食べる文化無いし。
代わりに私は目一杯の笑顔で。
「おそろいですね。とても嬉しいですわ」
と伝えた。もちろん「普段とは違った雰囲気ですが、よくお似合いです」と答えるのも忘れない。そして途端にカァッと服より赤くなるクレア様が可愛い。いや、クレア様はいつでも可愛いのだけど。
「で、ではこちらへ。ご案内致しますわ」
「はい、お願いします」
恥ずかしさが限界に達したらしいクレア様がさっさと歩きだしてしまったので、急いであとに続いた。
案内された庭先には、既に二人用のテーブルと椅子、そして簡単にではあるがお茶の用意が整えられていた。
お迎えといい赤いドレスといい、この場にたどり着くだけでも意外なことばかりだったので今日のメインであるこの席にはどんな驚くべきものが現れるのか、とおっかなびっくりだったのだが、そのこじんまりしたお茶の席は至って普通のものに見えた。
クレア様のことだから必要以上に派手な席を用意していたりしないだろうか、とちょっと心配していたけど杞憂だったようだ。
「どうぞ、お掛けになって」
クレア様が言うのに合わせて、リムちゃんとアニーそれぞれ主のための椅子を引く。私達が向かい合う形で腰を下ろすと、二人は軽くお辞儀をして少し離れた場所まで下がった。令嬢と使用人の距離というのは、前世の感覚があるとどうも違和感があるけど、この世界では普通のことだ。
向かい合って席に着くと、なんとクレア様が手ずから紅茶を注いでくれた。もちろん既に用意されていたものをティーポットからカップに注ぐだけなのだけど、普通ならこれだって使用人の仕事だ。プライドの高いクレア様がこうまでしてくれるなんて、と私が感激していると「私がおもてなししたいと言い出したのですから、当たり前のことですわ」と言う。
今日のクレア様は、なんというか私を甘やかし過ぎではないでしょうか。いや一般的な「甘やかし」とは違うけど、出迎えにドレスにおもてなしにと、私が喜ぶことばかりし過ぎだと思う。
お互いにまずは一口、紅茶を口に含んでから息をつき、形式的なやり取りを済ませる。お茶の感想とお礼と、あとはいわゆる「元気ですか」「おかげさまで」的な会話だ。
形式的な挨拶とはいえ、こういうところを疎かにするなんてクレア様からしたら令嬢として論外だろう。私も、よほど気安い相手でなければある程度親しくても挨拶は疎かにしたくないので、お互いに必要なやり取りなのよ、これも。
そうして一通りの挨拶を終えて、もう一度紅茶で唇を湿らせたクレア様は。
「貴女には、感謝していますのよ」
そう切り出した。
「え、と。私は何も、特別感謝されるようなことはしていませんわ」
本心だった。むしろ抱きついたり匂いを嗅いだりと、冷静になると嫌われても仕方ないことをした覚えしか無い。え、大丈夫よね、感謝しているって遠回しな皮肉とかじゃないわよね? ただでさえこれまでの「エルザベラ」はもともと嫌われてるのにこれ以上好感度が下がったら泣く自信があるわよ。
「……今までなら嫌味か謙遜と受け取るところですけれど、最近の貴女を見ていると本気でそう思っているんじゃないかと思えてしまいますわね」
「嫌味だなんてそんな。私はクレア様を尊敬していますのに、そのようなことを仰られては悲しいですわ」
よよよ、と泣き真似をしてみせるとやれやれとばかりにため息をつかれた。
「それは嘘ですわね」
「嘘という訳ではないのですけど……」
努力の人としてのクレア様を尊敬しているのは本当だ。ただ性格その他諸々の面は矯正しなくてはと思っているだけで。あれ、これはやっぱり尊敬していないことになるのかしら。
「茶化さずに感謝を受け取ってくださいな。あの日、エルザ様が追いかけてきてくださって、私は幾分救われているのですから」
「私がしたくてしたことですわ。クレア様こそ、私の善意くらい当然のことと思ってくださってよろしいのに」
「……無理ですわね。貴女は特別過ぎて、とてもそんな風には考えられませんわ」
「――――、っ」
特別と、そう口にした時のクレア様の表情に、思わず息が詰まった。
言葉だけなら、私はきっと先ほどと同じように気にしないでほしいと軽く受け流していただろう。クレア様の言葉を軽んじるつもりはないけれど、本当に、私に出来ることなどたかが知れているのだから。
でも、とてもそんな言葉を口にする気にはなれなかった。こんな表情をされて、言えるわけがなかった。
――
目を閉じて、かすかに頬を染めて、口元は小さく笑んで。その一つ一つはありふれた表情で、なのにどうしてかその表情はひどく私の胸を刺す。
こんな風に笑えるんだ、と思った。笑顔は知っている。ゲームだけじゃない、この世界に来てからの彼女だって私の前で笑ってくれた。楽しげに笑う姿に感動を覚えもした。
でも目の前のクレア様の表情はそのどれとも違っていて、私はその笑顔に喜ぶよりも、悲しくなった。
彼女は本心から笑っている。嬉しくて、自惚れが許されるなら私への感謝を抱いて、言葉通り本当に大切で特別なのだと笑っている。
婚約者の裏切りを目の当たりにした彼女を元気づけようとしたことを、人生で一度きりの特別な体験かのように捉えている。
ああ、と何度目かもわからない実感が私を埋め尽くす。それほどまでに、彼女は顧みられなかったのだ。エルトファンベリアでない彼女を顧みる人が、それほどまでにいなかったのだ。それはきっと悲しいことなのに、そんなことに気づけないまま、彼女は笑っているのだ。
そんな彼女に、あんなものは当然だと言えるはずがなかった。クレア様にとって、それは例えようもなく大切な経験だったに違いないのだから。
だから私は否定や謙遜の代わりに。
「いつだって、駆けつけますよ。クレア様が、私を望んでくださるなら」
そう、約束した。
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