閑話:お嬢さま対決
「ね、ねぇアニー、この格好おかしくないわよね」
「お嬢様、先ほどからもう十六回目ですよ」
アニーはやれやれと肩をすくめてみせるが相変わらず表情が変わらないので呆れているのかうんざりしているのかわからない。両方、というのが一番ありそうで悲しくなるので考えるのをやめた。
というか私にだって言い分はある。
「一分、いえ一秒あれば風が吹いたり私の手足に擦れたりして服も髪も動くのよ! 出掛ける瞬間まで、いえ出掛けてからだって油断しちゃいけないの!」
「風も何もここは屋内ですよお嬢様。そんな気もそぞろの状態でクレアラート様とお会いすると粗相をなさいます。少しは落ち着いてください」
「落ち着けるわけ無いでしょ!」
前世の記憶を取り戻してからこっち、これほど心がざわついたのは初めてなのだ。いや前世でも、記憶を取り戻す前のエルザベラとしても、こんな極限状態は経験していない気がする。
週末、クレア様の家にお呼ばれした本日。いつもはアニーにベッドから引っ張り出される私が、今日は日も昇らないうちに起き出して眠そうなアニーを引っ張って服を選び、髪を整えてもらったもののなかなか納得がいかず朝食を挟んで服選びを続け、なんとか「エルザベラ」らしい赤い外出着に袖を通したものの気が落ち着かず、アクセントの指輪やネックレスをあれこれ付け替えたり髪飾りを変えたりと何十通りのパターンを試し、どうにかすべてを選び終えてアニーに仕上げてもらったのが一時間前。
それから一時間、私は自室をぐるぐる歩き回りながら何度もアニーに服装チェックを頼んでいた。
「今からそんな調子ではクレアラート様にお会いする頃には疲れ果ててしまいますよ」
「そんなことわかってるわ。でも落ち着かないんだもの、どうしろっていうのよ」
エルトファンベリア邸へはアニーも同行する予定なのだが、アニーの方は少しも動じた様子はなくいつも通りだ。そりゃ直接招待されたのは私だしアニーは部外者といえばそうだけど、公爵家へのお呼ばれなんて、普通はもっと緊張するものじゃないのかしら。
「うぅ、どうしてアニーはそんなに落ち着いてるのよ……」
「私にとっては行き先がどこでも変わりません。それが学院でも、公爵様のお屋敷でも、王宮でも同じことです。どこであれ、誠心誠意お嬢様にお仕えするだけですから」
「……アニーって、相当私のこと好きよね」
「もちろんです。私の全てはお嬢様のものですから」
涼しい顔で言ってのける。やだなにこのメイドってば男前。
いや雇い主はうちのお父様なのだけど。でもアニーなら私が家出したり勘当されたりするようなことがあれば即座に辞表を出してついてきてくれそうな気もする。それが自惚れじゃないと思えるくらいには、私も彼女を信頼しているのだ。
そんな風にアニーとの絆を確かめて少し落ち着いたところで、扉がノックされ別の侍女が顔を見せた。
「お嬢様、お迎えの馬車が到着しました」
「すぐ行くわ!」
服装が数時間かけた外出着でなかったら走り出すところだった。そのくらい前のめりなことを自覚しながら、私はアニーを伴ってホールへ降り、門前に横付けされた豪奢な馬車と対面した。
そう、お迎えである。
招待されたと言っても普通なら我が家の馬車でエルトファンベリア邸まで出向くのが当然だ。婚約者同士なんかはともかく、公侯爵家とはいえ単に娘同士が会うのに家から迎えの馬車など出さない。格下である我が家にクレア様を招くならそういうこともあるかもしれないが、実際には逆だ。公爵家が侯爵家の娘にわざわざ迎えの馬車を出すなんてついぞ聞いたことがない。
もちろん初めにクレア様が迎えの馬車を出すと言い出した時には遠慮したのだが、クレア様は「お詫びの席に一方的に呼びつけるような真似はできません」と一歩も譲らず、終いにはちょっと不安そうに「……我が家を訪れるのが嫌なんですの?」なんて言うものだから受け入れざるを得なかったのである。
クレア様らしいといえばらしい美学だけど、そこまでしてもらう明確な理由が無いのでなんともむず痒い。まぁ、クレア様が無事平常運転に戻ったと思えば喜ばしいことなのかも。
とにかくそんな訳で私は朝から悶々としたものを抱えたまま迎えを待っていたのである。
門前に止まった馬車に大きく入ったエルトファンベリアの家紋に気圧されつつ近づくと、馬車の扉が勢いよく内側から開かれ、小柄な人物が転がるように飛び出してきた。
「エルザベラさま!」
「リムちゃん!」
ばばーんとばかりに両手を広げて登場したリムちゃんに駆け寄って頭を撫でるとにへへとふにゃっとした顔で笑う。うん、癒し。
「へへへー……はっ、違います! こんにちは! ですっ」
「はい、こんにちは」
公爵家の侍女としての立場を思い出したリムちゃんが慌ててお辞儀するのを微笑ましく眺めて、こちらも挨拶を返す。やっぱりこの子を見てるとこちらもいい具合に力が抜けていくわ。
「コホン! 本日はクレアラートお嬢様の招待をお受けいただきありがとうございます」
「こちらこそ、ご招待頂いたうえにこうしてお迎えまで。クレアラート様のお気遣いに感謝していますわ」
予め用意していたらしい文言を発するリムちゃんに、こちらも形式に則って礼で応じる。
「エルザベラ様の準備がよろしければすぐに出発できますが、いかがですか?」
「ええ、お願いするわ」
私が頷くと、どことなく強張っていたリムちゃんの表情が和らぐ。どうやら用意していたセリフは終わったらしい。
「では行きましょう! どうぞ、乗ってください」
リムちゃんに促されて豪華な馬車に乗り込む。内装はシンプルなもので、うちの馬車とあまり変わらないことに密かに安心した。外装が派手なのは、やはり権威を誇示するためのものなのだろう。それでいて内側は機能性重視のシンプルさ。どことなくクレア様を思わせる馬車だった。あるいはエルトファンベリアという一族自体が華美な見た目とシンプルな精神性を持っているのかしらね。
私に続いてアニーが、最後にリムちゃんが乗り込んで扉が閉まる。リムちゃんが御者台に向けてノックすると、ガタンと音を立てて馬車が動き出した。
「…………」
「…………」
「……」
……あれ?
車内に満ちる沈黙になんとなく気まずさを覚えて同席する二人に目をやると、リムちゃんも心細気な様子でチラチラとこちらを見返してくる。アニーだけが知らぬ存ぜぬとばかりにぼーっと窓の外を見ていた。うん、この顔は本当にぼーっとしてるわね。
考えてみればリムちゃんとまともに言葉を交わしたのは入学式の日が初めてみたいなものだ。それから一週間、毎日同じ学院にいるとは言っても、侍女であるリムちゃんやアニーは侍従たちの控室に待機していて、必要に応じて顔を出すだけなので世間話をするようなタイミングは無い。
控室の様子まではわからないけれど、多くの家の侍従たちがひとところに集まっているとあって、しかもそれが十代の当主候補や嫁入り前の娘たちの従者となればその重要性からぺらぺらと世間話をするような人物はいないだろう。アニーだってお喋りな方じゃないし、リムちゃんも他の従者たちの多くと年が離れていて、共通の話題を見つけてお喋りするのは大変そうだ。私とアニーも普段から一緒にいるから特別この場で話すようなこともないし……どうしよう、この沈黙。
「あ、あの」
同じ気まずさを覚えていたらしいリムちゃんが思い切った様子で口を開いた。ナイスよ! と、思ったけど、その視線の先にいるのは私ではなく。
「何でしょうか?」
私の隣でのんびり車窓を楽しんでいたアニーだった。
「アニエスさんは、どうしてメイドをしてるんですか?」
「どうして、と言われましても」
アニーはちらりと私に目をやったあと、ふむ、と顎に手を当てて考える仕草を取る。リムちゃんたらどうしたのかしら、アニーがメイドをやっている動機って、この場で最初に聞くのがそれとは。
「そうしたいからしている、と。それ以上に明確な答えはありませんが」
ごまかしている風でもなく淡々とそう答えるアニーにリムちゃんはぷうっと不満げに頬をふくらませる。そういうことじゃない、と言いたげなのが十分に伝わってくる顔だ。
「……お嬢様」
アニーが困ったようにこちらを見る。こっちはこっちで、どうにかしてくださいと助けを求められているのがよくわかった。わずかに眉尻が下がっている。アニーにしてはかなりの困り顔である。
「ええと、リムちゃんはどうしてそんなことが知りたいのかしら?」
「はい! 私、アニエスさんに憧れているんです。アニエスさんみたいな立派なメイドになりたくて!」
「……ほー」
アニーがあんまりどうでも良さそうな相づちを打ったので「こら」と軽く睨むと肩をすくめられた。
「だから、アニエスさんはどんな気持ちでお仕事をしているのかと思って……」
「へー」
「アニー」
今度は直接名前を呼んで注意する。アニーはまた軽く肩をすくめたが、さすがに二度目はきちんと口を開いた。
「私の場合は少し理由が特殊ですから。リメールさんの参考にはならないと思いますよ」
「そうなの?」
意外な言葉に私が聞き返すと「はい」と頷く。アニーがメイドをしている理由。私もそれほど踏み込んで聞いたことはなかったけど、何か深い理由があるのかしら。
「それでも知りたいですっ」
ふんすふんすと鼻息荒く迫るリムちゃんに、アニーが居心地悪そうに身を捩る。ドールスに口説かれている時のように容赦なく突っぱねる――というのは相手が子供ということもあって難しいらしい。
「お話しするのは構わないのですが……本当に参考にはなりませんから、がっかりしないでくださいね?」
「はい!」
アニーが念を押すように告げた言葉にも怯まず頷くリムちゃんの目はキラキラ輝いている。うーん、本当に憧れてるのね。アニーは諦めたように一度ため息をつくと重かった口を開いた。
「お嬢様に、エルザベラ様にお仕え出来るからです。そうじゃなきゃ、とっくに辞めてますよ」
「エルザベラさまに?」
「ええ。ですから私はメイドという仕事には何の執着もないのです。お嬢様に仕えるに相応しい完璧な従者でありたい、私が考えているのはそれだけですよ」
う、ちょっと、なんか恥ずかしこと言われてないコレ? アニーは涼しい顔してるけど。
「お嬢様に……」
そう呟くリムちゃんの頭には多分、クレア様が浮かんでいるんだろう。
「――はい! それなら、私にもわかります!」
ぴょんっと跳ねるように手が伸びた。心なしか目の輝きが増している。憧れのアニーと共通点が見つかって嬉しいらしい。
「お嬢様は厳しいけど優しくて、がんばり屋さんで、リムのことも一人前に扱ってくれて、頑張ったら褒めてくれるんです! 私、お仕えするのがお嬢様でよかったーっていっぱい思います! 最高のご主人様です!」
ああ、なんていい子かしら。厳しさもちゃんと受け止めた上でクレア様をちゃんと慕って尊敬しているのね。幼いのにこんなにきちんとクレア様を見ているなんて、リムちゃんは本当にクレア様が好きなんだわ。
「最高の……」
と、私がひそかに感動している横で、アニーがぴくりと反応した。
「聞き捨てなりませんね」
「はぇ?」
「アニー?」
私とリムちゃんが何事かと聞き返すと、アニーがすっと立ち上がった。その静かな所作に反してごっ、と鈍い音を立ててアニーの頭が天井と激突したが、アニーの鉄面皮はぴくりともしない。しない、けど、あれ? これアニー、相当イラっときてない?
「最高の主は、うちのお嬢様を置いて他にいません。訂正を求めます」
…………え、私? そこで私が出てくるの? なにかの冗談、じゃないのはアニーの声音から明らかだった。ちょっとこれ本気で怒ってる時の声よ!
「クレアラート様がいかに素晴らしい人間でも、私のお仕えするお嬢様には及びません。最高の主人はエルザ様だけです」
あ、久しぶりに愛称で呼ばれた、えへへ……なんて照れてる場合じゃない。
「ちょっとアニー――」
「違います!」
アニーを止めようとその腕を引くのとほとんど同時にリムちゃんも立ち上がる。身長が低いので天井にはぶつからなかった。
「最高なのはクレアさまだけですから! エルザベラさまも立派ですけど、一番は間違いなくクレアさまですっ」
アニーの方へ倒れそうなくらい前のめりになりながら、今まで見たこと無いくらい真剣な表情でリムちゃんが言い募る。迫力ではアニーに負けてない。いやいや二人ともちょっと落ち着いてってば。
「理解に苦しみますね、私のお嬢様が一番という現実を素直に受け止めてください」
「いいえ! 間違っているのはアニエスさんの方ですっ!」
冷気を発していると錯覚する冷ややかな視線でリムちゃんを見下ろすアニーと、対抗心をメラメラと燃やすリムちゃん。氷と炎? 水と油? まさかこんなことでこの二人が全力対決することになるとは思わなかった。
「仕方ありませんね」
バチバチ火花を散らしていた二人だったが、先に視線を外したのはアニーだった。さすがにこの場での最年長、子供相手に意地を張るのは大人げないと察したのね――なんて、一瞬安堵したのも束の間。
「エルトファンベリア邸まではまだ時間があります。エルザ様の素晴らしさをじっくりお話しましょう」
「アニー!?」
「望むところです、私もクレアさまの良いところならたくさん言えますから!」
「リムちゃんまで!」
ヒートアップする二人に慌てる私。なんなのこの状況、と思っている間に戦いは始まってしまった。
「まずエルザさまは社交界に名高い完璧令嬢であられます。完璧、すなわち容姿、所作、礼法、教養、舞踏……あらゆる面で誰をも魅了できるという社交界に於いて最高の称号です。仕える者として鼻が高いです」
「クレアさまだって、王国一の美姫と謳われてます! 全方位完璧じゃなくたって、一つでも頂点に立つことは上に立つものの義務だってクレアさまも旦那様も仰ってました!」
「エルザ様は完璧なだけでなくお優しいのです。私達傅く者にも気さくに接してくださり、お屋敷だけでなく私達の働くあらゆる場所に、そして各々の家族や友人にまで気を配ってくださる広い心の持ち主です」
「クレアさまはご自分にとても厳しいんです! 他の人にも厳しいですけど、誰よりも率先してご自分を高め続けていらっしゃいます! 常に上を目指すクレアさまは支え甲斐もあって尊敬できる立派な方です!」
「エルザ様には愛らしい一面もございます。エルザ様は実は朝に弱く、毎朝私が起こして差し上げると幼子のようにぐずるのですが、その様子がもはや例えようもないくらいに愛らしく、そのまま抱きしめてしまいたい気持ちを何度堪えたことでしょうか。そんなお顔を見れるのは従者の特権、侍女としてお仕えしなければ得られなかった幸福です」
ちょっと!? 何をイキナリ恥ずかしい話を暴露しているのかしら! っていうか毎朝私を起こしに来てくれるアニーが震えてたのって抱きつきそうなのを我慢してたってこと? 結構衝撃なんだけど!
「クレアさまだって可愛いです! クレアさまはご自身を高めるお勉強や練習は決してひと目に触れないようにこっそりするのですけど、リムは時々見てしまうことがあるのです。びっくりしたクレアさまはいつも真っ赤っ赤になって顔を隠して逃げてしまうんですけど、その時に一瞬見えるとっても恥ずかしそうな顔がすっごく可愛いです! これだって立派な従者の特権です!」
なにそれ可愛い。私も見たい。侯爵令嬢からメイドに転職ってどうすればいいのかしら! ……いや違うでしょ私。というかリムちゃんまで主人不在のところでそんな話漏らしちゃダメだってば、クレア様絶対赤くなって怒るよ! あ、それもきっと可愛いわね。
じゃなくて!
「ち、ちょっと二人とも落ち着いてってば!」
「私は落ち着いてます、落ち着いてエルザさまの魅力を語っているだけです」
「やめて恥ずかしい!」
「リムも落ち着いてます! クレアさまが最高に素敵なご主人様です!」
「クレア様が素敵なのは同意だけど!」
「ダメですエルザ様、トップご主人の座は譲るわけにはいきません」
「私が投了したのに!」
「不戦勝じゃ意味がありません! ちゃんとクレアさまが一番だって認めてください!」
「認めたってば!」
「仕方ありません、こうなったら幼少期のエルザ様の無邪気エピソードと、体調を崩されると途端に甘えたがりになる愛くるしいエピソードの発表も辞さない覚悟です」
「やめてよ! シンプルに恥ずかしいよ!」
「こ、こっちだって! クレアさまがずっと大事にお部屋に飾ってるぬいぐるみの秘密を解禁します!」
「すごく聞きたい!」
――などと。
最初の沈黙が嘘のような騒々しさがエルトファンベリア邸到着まで続き、私は緊張がほぐれた代償にぐったり疲れ果てたのだった。
* * *
――その頃、エルトファンベリア邸では。
「う、ん……大丈夫かしら、おかしなところは無いわよね? もう、こんな姿見だけじゃ細部まで確認できませんわ! エルザ様にもう情けないところなんて見せられませんのに。ああ、こんなことならリムを迎えに出すんじゃありませんでしたわ」
小一時間前のエルザと似たような悲鳴をあげるクレアが落ち着き無く衣装部屋を歩きまわっていた。
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