対峙
「……何をしにいらしたので?」
何と声をかけようか、とあれこれ考えながら中庭に現れた私に、けれど意外にもクレア様の方から声をかけてきた。
この中庭の唯一の見どころである大樹。最低限の手入れがされているだけの、王国の長い歴史と共にあるこの学院とどちらが年上かわからないその無骨な大木の陰に、ともすれば視界から取りこぼしそうなほど小さくなって座り込んだクレア様がいた。
木に背を預けたクレア様は、中庭の入口側からはほとんど見えない。わずかに腕と、放り出した足が見えるだけだ。
リムちゃんにこの場所にクレア様がいると聞いて、そのつもりで探していなければ見落としていたかもしれない。
「お話をしたいと思いまして」
「話?」
「はい」
「……話すことなど、何もありませんでしょうに。変な気を遣って頂かなくて結構ですわ。心配せずとも、先ほどのことで一緒にいた貴女たちをとやかく言ったりしませんから」
「あら、私はクレア様とお話ししたいことならたくさんございますわ」
「鈍いですわね、さっさとここを立ち去りなさいと言っているのですけど」
「存じていますわ」
「…………」
ようやく、ゆっくり立ち上がったクレア様が大樹の背後からこちらへ姿を見せる。思い切り木に背を預けていたせいか、いつも立派な巻き髪が無残に乱れていた。
「立ち去れ、と私いまハッキリそう申し上げましたわね?」
「ええ、お聞きしましたわ」
「ではなぜ、貴女はまだこの場に留まっているのですか」
「まだクレア様とお話しできていませんから」
「話すことなどありません」
「私にはございます」
「私には無いと言っているのですわっ!」
一喝。うーん悪役令嬢の一喝はなかなか迫力あるわね。こりゃリムちゃんが青ざめるわけだ。
でもあいにく私には効果なし、だ。
私は表情を変えずにじっとクレア様を見返す。動じない私に苛立ったのか、クレア様はキッと私を睨みつけた。
「大体、貴女は元から気に食わなかったのですわ! 私より、エルトファンベリアより格下の分際でいつもいつも私に意見して! 所作も踊りも涼しい顔で私の前を行って、私を差し置いていつも皆に愛されて! 何もかも私より勝っているくせに、ちっとも勝った素振りも見せなくて! 私など眼中にないと見下していたのでしょう! それを態度に出すまでもないくらいに! この、私を! それなのに突然私に寄ってきて、意味のわからないことばかり言って!」
……ああ、そんな風に思っていたのか。
初めて聞くクレア様の心情は、激情と呼ぶに相応しい波立ちだった。彼女にとって「エルザベラ」は鬱陶しい存在だろうと、私はぼんやりそんな風に思ってはいたけれど。
それがここまでだとは、思っていなかった。
誇り高いクレア様が私に向ける感情が妬み嫉みの類であったとしても驚かない。それは彼女から見ればエルトファンベリアにこそ相応しいもので、間違っても侯爵家の娘などに奪われて良いものでは無かっただろうから。
でも違った。妬み嫉みといった感情もたしかに含まれているけれど、きっとクレア様自身も気づいていない感情が、先程の言葉からありありと見て取れる。
すなわち羨望と――劣等感。
「貴女は、貴女は私の! 私の、欲しいもの、ばかり――……」
自分が何を口走ったか気づいたのか、クレア様は言葉をなくして立ち尽くす。きっと気付きたくなかっただろうことばかりが、今クレア様の頭を駆け巡っているはずだ。本当なら自覚してしまったそれらの気持ちに向き合うだけでも、覚悟と時間が必要だろう。
だけどそれをわかった上で、私には言うべきことがある。
だからごめんなさい、クレア様。混乱させてしまうことを、許してください。
「クレア様の欲しいものは、なんですか?」
私の、欲しいもの。
さっきまで頭の中を渦巻いていたあれこれが、目の前でエルザ様の放ったその一言に集約されていく。
そうだ、私は確かに言った。思ってしまった。エルザベラ・フォルクハイルが私の欲しいものばかりを持っていると。今さら覆せないほどに、その確信はある。けれどそれなら、その「欲しいもの」とは具体的に何を指していたのか。
地位や名誉ではない。それは既に、彼女より上のレベルで私は持ち合わせている。完璧令嬢という呼び名にエルトファンベリアの娘として憧れなくはないが、王国一の美姫という呼び名に不満はない。
では作法やダンスといった技術的なもの? 違うわね、それは私が私の手で手にするべきもので、彼女が私より優れているというのならその先へ邁進するだけだ。それは欲しがるものではなく、単なる目標でしかない。
いいえ違う、そもそもの考え方が間違っている気がする。私は彼女に「私の欲しいものばかり」持っているのだと言った。一つ二つ、具体性を帯びた表面的な要素だけでは説明しきれない。
そうではなく、もっと根本的に、彼女には在って、私に無い――。
「私……」
とにかく何かを言おうと開いた口から、幼い子供が自分の主張を伝えたくて自分の名を口にするように、自分を指す言葉が漏れた。そしてそれが、私に一つの可能性を思わせる。
そういうこと、なのだろうか。
「クレア様」
急かすのではなく、落ち着かせるような柔らかな声音だった。ほんの少し前まであんなに不愉快だった彼女の声が、今は何の抵抗もなく胸に滑り込んでくる。
最近の彼女はいつもそうだ。
ついこの間までいつだって超然と微笑みながら令嬢として仮面越しの言葉ばかり口にしていた彼女は、ごく最近になってそれらの装飾を全て取り払ったかのように私の前で笑い、泣く。ごく当たり前につけていたはずの仮面を、ごく当たり前に外してしまえる彼女の在り方を、私は好ましく思って。
「わた、くし」
「はい」
「私が欲しいものは……私、なのですね」
その結論は、彼女の言葉と同じくストンと私の胸に落ちた。口走った言葉と同じで、気づいてしまった今となってはその通りなのだとしか思えなかった。仮面を外した、エルトファンベリアではない、私。とても甘くて、ありえない言葉だ。
「……私が、手にしてはいけないものでしたわね」
そして諦観が、私を支配する。
「いけないことなんてありませんわ!」
ふっ、と諦めをにじませて力なく笑うクレア様に、思わずその手を取って詰め寄ってしまう。そんな顔を、して欲しくない。
私、とクレア様はそう言った。そしてそれは手にしてはいけないものだとも。
ある意味では予想通りで、そして想定外の答えだ。
てっきり、私はクレア様が今以上の地位や力を望むのだと思っていた。別に彼女が権力欲の権化だなんて言うつもりは微塵もない。ただ、クレア様が自分に欠けた何かを補おうとする時、それは家と結びつくものだと思っていたからだ。
そして私は、クレア様が地位を望むならそれを手伝おうと思っていた。もちろん穏便に、だけど。クレア様が正当な形で、誰の恨みも買わずに、この国で最上の地位につけるようにサポートする。その手始めに今回の殿下とのわだかまりを解消する手伝いをする、そう言うつもりだったのだけど。
ああ、まさかこんな本音が聞けるなんて思ってもみなかった幸運だ。
私にとっても、クレア様にとっても、きっと幸運なはずだ。私はその言葉を、正しく理解できるただ一人の人間だと思うから。
「エルザ様……?」
突然詰め寄られて驚きながら、クレア様が私を呼ぶ。思いつめた様子だったさきほどの彼女と同じくらいいっぱいいっぱいの私だけど、それでも言うべきことは変わらない。この場所へ来るまでに言おうと決めていた、言わなければならないと思っていたことを、そのまま伝えるだけだ。
「私は、クレア様の味方ですよ」
私にとっては当然のことを、しっかりと言葉にする。
「……私の」
「はい。クレア様の、です。エルトファンベリアの、ではありません」
「!」
戸惑いばかりが先立っていたクレア様が驚愕に目を見開いて私を見返す。それほどまでに、その言葉は彼女にとって意外だったのだろう。
「私だけではありませんわ。ミリエール様も、リムちゃんも、クレア様のことを心配していました」
「そんなこと、それは」
「友人として、従者として当たり前ですわね。でもよく考えてくださいクレア様。ミリエール様はクレア様のご友人で、リムちゃんはクレア様の侍女ですよ」
彼女たちのどちらも、一度もエルトファンベリアの家名を気にかける発言をしなかった。二人ともが、ただまっすぐクレア様の立ち去った方向だけを見つめていた。
「もちろん私も、クレア様を想う気持ちに一欠片の曇りもございませんよ? むしろあの二人の想いだって私の足下にも及びませんとも!」
何せ前世越しの、それも二人分の想いだものね。これが本物でなければ殿下にあんな啖呵を切れるものか。まぁ、クレア様はそのことは知らないのだけど。
「……バカね」
そう言ってクレア様は、力が抜けたように笑う。
「エルトファンベリアの名前を取った私に、一体なんの価値を見出したのかしらね」
「私に言わせれば、クレア様にそんなことを思わせるエルトファンベリアの名前こそ、無価値どころか邪魔もいいところですわね」
「不敬ですわ、お父様に言いつけますわよ」
「申し訳ございませんでした」
即座に最上の礼でもって謝罪した私に、今度こそクレア様は声を上げて笑った。先ほどの脱力した笑みでもなければ、いつもの高圧的な高笑いでもない。上品に口元を隠しながら、それでも堪えきれず体を震わせて、十五歳の少女相応に、コロコロと笑みを転がす。
ああこの顔だ。
何の根拠もなくそう思う。ゲームでも見たことのない、初めて見る顔だったけど、その表情に私は確信する。
これがクレア様の本当の笑顔だと、そして私はずっと、彼女のこんな表情を探していたんだと。
* * *
「……そういえば、貴女とは約束していましたね」
落ち着いたクレア様と一緒に教室棟へ戻る途中、ふと思い出したようにクレア様がそうこぼした。
「約束?」
「一週間の勝負ですわ、忘れたなんて言わせません」
「それはもちろん覚えていますけど……」
「それにお茶会でミリーの粗相にお詫びするともお約束しましたものね、ちょうど良いですわ」
「ちょうどいい……?」
どことなく悪戯めいた光を宿した悪役令嬢らしい、ニンマリと形容するのが相応しいクレア様の笑みに若干不安になりつつも先を促す。
「ええ。エルザベラ・フォルクハイル様」
改まって名前を呼ばれて、私も自然に背筋が伸びる。そしてクレア様は。
「週末のお休み、お暇はおありかしら? 貴女を我が家へご招待致したいのですけれど」
そんな爆弾を投下したのだった。
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