味方

 バカ王子、もといユベルの相手をするのに思いのほか時間がかかってしまったので追いつけるか不安だったが、食堂にほど近い休憩スペースのベンチに見覚えのある人物がうつむき加減に座っているのが見えた。


「お一人ですか?」


「……エルザベラ様」


 声をかけられてようやく私に気づいたらしく、顔を上げたミリーの表情はどこかまだぼんやりしていた。


「クレア様は?」


「ご一緒するつもりだったのですけど……一人になりたいからここで別れましょうと仰られて」


「貴女が素直に従ったなんて少し意外ですわね」


 彼女なら空気を読まずにクレア様にくっついて回りそうだと思っていたのだけど。少しそれを期待していた節もあるので、意外半分残念半分だった。


「私……私、お姉さまに何を言えばいいのか、わからなかったんですもの」


 ミリー自身も戸惑った様子だった。彼女は彼女なりに、食堂でのクレア様がどことなくいつもと違う雰囲気を纏っていたことを感じ取っていたのかもしれない。


「そう。それで?」


「それで、とは?」


「クレア様がどっちへ行ったかを聞いているに決まってますでしょう。私はクレア様を追いかけます。いま、あの方を一人にしたくありませんので」


「……教室棟の方へ行かれましたわ」


「そう。ありがとう」


 聞くべきことは聞いた。これ以上は彼女自身の問題だし、私が口をだすことじゃないわよね。

 そう思ってその場を立ち去ろうとした直後、背後から「エルザベラ様」と呼び止められた。


「なんでしょうか。私、急ぐのですけれど」


「すぐ済みますから、一つだけ答えてくださいませんか?」


「手短にお願いしますわ」


 私の返事に「そのつもりです」と頷くと一度視線を足元に落とし、けれどすぐにまた私とまっすぐ視線を合わせて口を開いた。


「貴女は、お姉さまとユベル殿下、どちらが正しかったとお考えですの?」


 ミリーの表情は真剣だった。前世も含めて、今まで見たことのある彼女のどんな表情よりも。

 果たしてどんな意図での質問なのだろう。憧れのお姉さまの正しさを証明したいのか、それとも王族に過ち無しと信じているのか、あるいはマリーナという異分子の扱いを見定めたいのか。

 何と答えるべきか少しだけ迷ったが、結局思うままを口にすることにした。


「どちらも間違っていましたわ」


「どちらも……?」


「必ずどちらかが正しいとは限りません。先ほどの食堂での一件はクレア様と殿下、どちらにも誤りがあり、いずれも正しくはなかったと私は思います」


「そう、ですのね……ありがとうございます。お引き止めしてすみませんでしたわ」


「いいえ。では、私はこれで」


 少しだけ、ミリーを見直した。

 正直クレア様を一人にしたくはなかったから、彼女が一緒にいてくれることに期待した部分もある。けど、同じくらい彼女の盲目さを心配してもいた。ミリエール・リュミエローズが憧れているのは紛れもなくクレアラート・エルトファンベリアであって、クレア様ではなかった。だから今のクレア様相手に、見当違いな慰めをするんじゃないかって心配もあったんだけど……少なくとも、食堂での一件をさして重く受け止めた様子もなかったバカ王子と違って、クレア様の機微に何か感じるくらいにはちゃんとクレア様を見ていたのだ。

 同じくクレア様を慕う者として、強引に追いかけることを躊躇ったミリーのことは好ましいし、少し尊敬もする。


 私がクレア様の心情を慮れるのも、王子殿下に対してあんな啖呵がきれたのも、前世の記憶があって二人の性格や考えがある程度理解できるからだ。そうじゃなかったら、私だってこんな風に思い切って動けていない。そういう意味で、純粋にこの世界の人間としてクレア様と向き合おうとしているミリーは前世の記憶を持たなかった可能性の私みたいだ。


 よかった。ちゃんとクレア様のことを考えている子が、ここに一人いる。

 ミリーには少し悩んでもらおう。ここから先は私がやらなきゃいけないことだものね。



* * *



「フォルクハイルさま!」


 教室棟に駆け込んだもののAクラスにクレア様の姿はなく、いきなりアテを外されて途方に暮れていたところで、少し舌足らず気味な幼い声に呼ばれて振り返った。


「リムちゃん!」


 三つ編み尻尾を揺らして駆け寄ってきたのは、朝にも見かけたエルトファンベリア家の少女メイドのリムちゃんだった。


「お嬢様に昼食のことを伺おうとしたのですけどー……その、来ないでと怒られてしまいまして」


 私が何か粗相を、と青ざめるリムちゃんを宥めながら考える。使用人にキツく当たるのもよくない傾向だわ。ゲームでのクレア様もマリーへの嫌がらせが過激になるのと比例して周囲の人間にも当たりが強くなってたし、このままだとやっぱり「悪役令嬢クレアラート」に一直線の予感がする。


「クレア様が何処へ向かわれたか、リムちゃんは知りませんか? 私、どうしても今すぐクレア様とお話しなくてはいけないんです」


「あ、えっと……」


 すぐにちらりと教室の出口に目をやったリムちゃんだったが、そこで何か言いよどむように視線を泳がせた。知っているけど言えない、らしい。


「私には言えない、かしら?」


「いえ、その、そうじゃなくて、あの」


 リムちゃんはそれでも言おうか言うまいか躊躇い続けるようにきょろきょろ落ち着き無く周囲を見回す。うーん、自分より慌てている人を見ると冷静になるっていうけどこの子を見てるとよくわかるわね。

 きょろきょろしたってこの教室に残っている数人の学生よりは私とリムちゃんの方が事情は知っているのだからどうしようもないのに。


「リムちゃんは、クレア様が怖いですか?」


「いえ! そんなことないです!」


 力いっぱいぶんぶんと首を横に振る。うん、クレア様が怖くて言えない、ってわけじゃないのね。お茶会の時もクレア様を慕っているっぽかったしあまり心配はしてなかったけど、この子は本人のいないところでまで嘘がつけるほど腹芸のできるタイプじゃなさそうだし、そこは安心ね。


 ミリーといいリムちゃんといい、クレア様ってば案外味方は多いのね。ゲームだと本当に孤独だったけど、ゲームでは描かれなかった部分に、ちゃんと彼女を案じてくれる人がいたのは嬉しい誤算だ。……私だけじゃないのはちょっと悔しくもあるけど、それはワガママよね。


「お嬢様は厳しい方ですけど、リ、じゃなくて、私が頑張ったら褒めてくれるし、子供の私にも侍女としてちゃんとお仕事をくれますし」


「そう。じゃあ、クレア様のことが心配なのね」


「それは、うう、はい……」


 主を案じるというのはある意味出過ぎた物言いでもあるからか、リムちゃんは少し据わりが悪そうにだったが頷いた。


「お嬢様はあまり自分のことを話してはくれないんですけど、でも、さっきはなんというか、いつもと様子が違って」


「ねぇリムちゃん、私はクレア様の味方のつもりよ。クレア様が私をどう思っていようと私はクレア様の味方。信じてほしいとしか言えないけれど、どうか私を信じてクレア様の行き先を教えてくれないかしら」


「…………」


 私の説得に、リムちゃんはさまよわせていた視線を上げてじっと見返してくる。逸らしちゃいけない、直感でそう思って、私はじっとその目を見返した。


「わかり、ました」


「ありがとう」


 私が微笑みかけると、リムちゃんも嬉しそうに笑う。どうやら彼女のお眼鏡にかなったらしい。

 リムちゃんが言うには、クレア様は一度は教室まで戻ってきたのだが、その場にいた学院生たちを見てすぐに立ち去ろうとしたそうだ。そこへ従者たちの待機部屋からクレア様を探しに来たリムちゃんと鉢合わせ、そしてついて行こうとしたリムちゃんを一喝して下がらせたらしかった。


「じゃあその後のクレア様の行き先までは……」


 大体の方向くらいしかわからないだろうと思ったのだが、リムちゃんはふるふると首を振った。


「その、実はリム、こっそりついて行ったんです」


「……まぁ」


 なんというか、実に大胆な子だなと感心する。多くの従者は主人の怒りを買ってまでその身を心配したりはしないだろう。やっぱりこの子は主従とかじゃなく本当にクレア様を慕っているのね。


「お声はかけられなかったんですけど……」


 それでどうしていいかわからなくて、行くアテなく教室まで戻ってきたら私がいたということらしかった。


「お手柄だわ」


「えへへ」


 軽く撫でてあげると嬉しそうに笑う。この子のためにも、クレア様とお話しなくちゃね。

 リムちゃんからクレア様が立ち止まったという場所を聞いて、私は小さく呻いた。その場所ならよく知っているけど、皮肉な話だと思えたからだ。

 リムちゃんがクレア様を追ってたどり着いた場所。それはゲームで何度も見た場所、あの主人公、マリーが学院で気を休める時にいつも立ち寄っていた、寂れた中庭だった。


 ゲームではクレア様にいじめられて気を落としたマリーが度々立ち寄っていたその場所に、今はマリーに背を向けたクレア様がいる。運命というと大げさだけど、あの中庭には何かゲームの物語にまつわる因縁めいたものがあるのかもしれない。


「あの、フォルクハイル様」


「なにかしら?」


「お嬢様のこと、お願いします」


 ぺこりと可愛く頭を下げられる。下げられた頭をもう一度撫でて「もちろん」と頷いた。


「そうだリムちゃん。名前、まだちゃんと聞いてなかったわよね」


「り、リムの名前ですか? そんな、フォルクハイル様が気にされるようなことじゃ」


「あら、私には教えられない?」


 さっきと似たようなセリフを今度はにっこり笑いながら口にすると「あぅ……」と恥ずかしそうに俯いてしまった。


「……リメール、です」


「姓は?」


「ケヴル。リムの名前は、リメール・ケヴルです」


「私はエルザベラ。エルザベラ・フォルクハイルよ」


 改めて名乗って手を差し出すと、リムちゃんもおずおずとその手を握ってくれた。ミリーと同じ、仲間意識のようなものを感じたのだ。だからこの場で、ちゃんと名前を聞いておきたかった。


「クレア様の味方どうし、これからもよろしくね」


「は、はい! お願いします」


 リムちゃんにもう一度頭を下げられて、今度こそ私はクレア様に会うため教室を飛び出した。

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