ライバル令嬢、物申す

「殿下、この場で口をつぐむべきなのは私ではございません。そこの、下賤な血の混じった女の方ですわ」


「口を慎めと、そう言ったはずだが」


「…………」


 ユベルは今度は声を荒らげなかった。けれどその低い声は、先ほどよりも何倍も分かりやすく怒りの色を孕んでいる。沸点を超えた怒りをこれ以上爆発させないように、ユベルは意図して感情を抑え込んでいた。


「学院でのことだ、これ以上の追求は『私』もすまい。……だが不愉快だ、即刻この場を立ち去れ」


 それは王子としての言葉に相違なく、さすがにこうなってはクレア様でもその場に留まることは出来ない。クレア様は何も言えずにユベルに守られているマリーを憎々しげに一瞥した後「失礼致しますわ」と美しく頭を下げて二人に背を向けた。


「お姉さま」


「行くわよミリー。……エルザ様は、どうぞご随意に」


「っ、もちろんご一緒しますわ」


 クレア様は足を止めずにずんずん進んでいってしまう。その後ろを慌てて追いかけるミリーに続こうとして、けれど私は踏み出しかけた足を戻した。

 追いかけたい。今すぐ追いかけたいけど、それと同じくらい、私にはやらなくてはいけないことがあったことに、気づいたから。


「殿下、少しよろしいでしょうか」


 私は振り向くと、令嬢の笑みを浮かべてそう伺いを立てた。……多分、作り物の笑顔が嫌いなユベルは私の感情に気づいているだろうな、と思いながら。


「……なんだ」


「殿下は学院生としての私達は、家の爵位や役職に関わらず平等であると、そうお考えということでよろしいですね?」


「そのつもりだ」


「それゆえに、確執のある分家のマリーナ様とも、親しく接しておられる、と」


「無論、家のことは理解している。だが、学院での友人選びでまで家に縛られるつもりはない」


「ご立派です。では、この場での私の発言もフォルクハイルの娘ではなくエルザベラという個人のものと受け取ってくださいますね?」


「……フォルクハイル嬢、何を」


「うるさい、バカ王子」


「――は?」


 それまでどこか剣呑な目で私を見ていたユベルの目が、驚きに限界まで見開かれる。その背にかばわれていたマリーも思わずといった様子で口を覆っている。


「なにが平等よ。耳触りの良い言葉を並べる自分に酔うのもいいけど、それに周囲を巻き込むのはやめてくれないかしら、いい迷惑だわ」


 フォルクハイル侯爵家長女エルザベラではなく、エルザベラと前世の『私』が重なったいまの私として、言わずにはいられなかった。

 だって誰も、クレア様の味方をしなかったから。最初に間違えたのはユベルとマリーのはずなのに、クレア様だけが悪者にされていたから。


 これはあの弾劾裁判とは違うけれど、起こっていることは同じだ。クレア様だけに全てを背負わせて、誰もが自分の誤りから目を逸らす。目を逸らしていることにすら気づかないまま、クレア様を悪と断じる。孤独と戦いながらたった一人で立っているクレア様を。


 それだけは許せない、許しちゃいけない。

 私が私である意味は、そこにあるんだから。


 あの時届かなかった手が届く。出せなかった声が出る。ならあとは、あの夢でしたかったようにするだけ。


「クレア様を責める前に、自分の行動を振り返ったら? 彼女がなぜ怒ったのか、知ろうとしたら? それをしないで、自分の視点だけでものを語って、それで平等を謳うなんて薄っぺらにもほどがあるでしょ」


 ユベルが固まっているのをいいことに、私の舌はくるくる回る。言いながら、どこか冷静な私が「ああこれ、私も人のこと言えないな」と苦笑いしていた。でも言う。最後まで。


「平等であるというのなら、なぜクレア様だけが責められているのかしらね。王子であるあなたが本当に平等なら、婚約者のクレア様だけがこの場を追い立てられることのおかしさがわかるはずじゃない?」


「それ、は」


「私は」


 ユベルの言葉を聞くつもりはない。そんな時間もない。クレア様を追いかける前に、言うべきことを言うだけだ。


「私はそんな薄っぺらな平等なんて認めない。私はクレア様の味方だから――クレア様を不幸にするバカ王子なんか、私は絶対認めない」


 平等なんて、いらない。クレア様が傷つくだけの平等なんて。


「――では、私はこれで失礼しますわ。お耳汚しを失礼いたしました、どうかご容赦くださいましね?」


 最後に令嬢の顔でニコォォっとわざとらしい笑顔を振りまいて、私はクレア様とミリーを追いかけるため食堂を後にした。



* * *



「……なん、だったんだ」


 当事者の片割れ、クレア側の三人が出ていっても、食堂は気まずい沈黙に包まれたままだった。俺は妙な倦怠感を覚えて倒れるように椅子に座り込む。


「ユベル様」


 気遣わしげに声をかけてくるマリーに大丈夫だと返しながら、何が大丈夫なんだと自問した。

 怒りは収まっていた。というより、完全に驚きに上書きされてどうでもよくなっていた。今となっては、つい数瞬前まであれほど怒りに燃えていたのが自分と同一人物だということが信じられないくらいだ。


「バカ王子、か」


 その妙に幼い罵倒にも怒りより驚きが勝る。シンプルな言葉は、時に思考とプライドの壁をするりと抜けて心に落ちてくる。優秀と言われるのは聞き飽きていたが、バカと罵られるのは記憶にある限り初めてだった。


 エルザベラ・フォルクハイル。朝のやり取りでは少し変わった令嬢だと思った程度だが、どうやら「少し」などという認識は相当に甘かったらしい。あのクレアにぴったりと味方しているのも驚きではあるが、単にクレアの信奉者であるミリエール嬢とは別種の何かを彼女からは感じた。あれは信奉者というよりも、庇護者、というか。


 婚約者であるクレアラートのことは、嫌いではない。それは厳密には、嫌うほどに彼女のことを知らない、という意味でもある。


 元より王族と公爵家の婚姻だ。本人たちの意思など在って無きが如しであり、そういう意味では俺とクレアは比較的相性が良かったのだと思っている。どちらも与えられた家の名と、それに課せられた役割を粛々とこなすことを厭わない人間だったからだ。

 クレアラートが一部の令嬢によく思われていないことも知っていたが、噂の大部分は根も葉もないものであることは承知していたし、妬み嫉みに頓着しない姿に密かに安堵してもいた。お互いにこの婚姻関係を割り切っているのだとわかれば、必要以上に笑顔で接さなくても良い彼女との時間は気楽だった。


 多少高慢な部分に目をつむれば時期王妃として申し分ない才覚の持ち主で、その役割を全うできるというのなら、それ以上俺から彼女に望むことは何もない。王家のため、公爵家のため、そして何より民のために、優秀な王と王妃であれば十分だ。

 だから、彼女がああも直截にマリーを攻撃したことには、正直少し面食らった。クレアは誰かに嫌味を言うことはあっても多くの場合俺からは隠れてそうしていたし、公爵家の名を落とすような危ない真似はしなかった。


 ……そのクレアが突然あんなことを言い出したことに驚いて、俺の方も言葉が過ぎたかもしれないな。


 だがそれ以上に、やはりフォルクハイル嬢の振る舞いが俺には驚きだ。クレアの方は少なくとも彼女の性格からして考えられないと言うほどの物言いではなかったが、エルザベラ・フォルクハイルはこれまで数度挨拶を交わした時の姿からはまるで予想できない振る舞いを見せた。


『クレア様を不幸にするバカ王子なんか、私は絶対認めない』


 不幸、なのだろうか。


 割り切った婚約だと思っていた。それを俺も、クレアも理解して受け入れていると。幸福ではないかもしれないが、そういうものだと自然に受け入れていたのだが。


「幸福な婚約など、存在するのか?」


 ふと、そんな疑問が胸によぎった。

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