『悪役令嬢』

 初日ということで今日は授業もなく、昼食の後各自解散ということだった。


 学院は食べ物の持ち込みは自由であり、外部向けの厨房も常時開放されているので、人によってはお抱えの料理人を連れてきて食べ慣れた味で昼を過ごす者もいる。

 本人がさほどこだわっておらずとも貴族の見栄として料理人を連れてくる者も多く、食事時となると、学食、食堂、厨房が併設された一角は人で溢れかえる。


 とはいえそこは貴族学院。いかに混雑していようとも気軽に相席できない相手というのはいるわけで。


「……どういう状況なのか、説明して頂けますか?」


 明らかに不機嫌極まる様子のクレア様の後ろで、私はあちゃーと頭を抱えたくなった。この可能性は考えてなかったわ。

 食堂の一角にぽっかりと空いたスペース。八人掛けの長テーブルをたった二人で占有していたのは、誰あろうユベルクル殿下とマリーナ王女であった。

 マリーはクレアとその後ろに控える私達を見て表情を硬くしたが、ユベルの方はわずかに眉を上げただけで特に緊張した様子もない。


「クレアか。説明とは、何のことだ?」


 あまつさえそんなことを言って首を傾げてしまう。すっとぼけるな、と言いたいところだけど、相手はユベルクル・ヴァンクリードである。うん、これ素だわ。本当に何を責められているのか理解してない。


 ユベルクルという人物、決して馬鹿ではない。私達のひとつ上、十六という歳で国政に関わっていることもそうだが、成績も良いし社交の場での気遣いもしっかりしている。


 それがなぜ、こんなにも察しが悪いのかといえば、それはひとえにこれが彼の個人的な問題だからだ。

 ユベルがその能力を十全に発揮できるのは「王子」として振る舞う時だけだ。ゲームでもそうだったけど、ユベルは学院にいる時は意識してユベルクルという個人であろうとしている節があり、クレア様のことも婚約者という以前に一人の後輩として接しているのである。


 平等といえばそうだけど、それが故に婚約者であるクレア様と新参者のマリーを同列に扱って両者に軋轢を生むことになるわけだ。


 にしてもねぇ、さすがにこれは予想以上の愚直な平等さだ。登校中に注意を促したつもりだったのだけど、全く意味をなさなかったみたいね。


「殿下、あの――」


「マリーナ様」


 ここはまた私が間に入って、と声を上げかけた矢先、私の発言を強引に遮るようにしてクレア様がマリーを呼びつけた。


「貴女、ご自分が何をしていらっしゃるかわかっておいでかしら?」


「な、なにって」


「婚約者のいる男性に付き纏うのは相手の評判にも響きますわよ。貴女が権力に擦り寄る尻軽女と噂を立てられようが私は興味ありませんが、殿下にご迷惑がかかるとあっては見過ごせません」


 ……あれ。


「貴女のように教養の欠けた下品な女に気に入られたなどと知れれば、殿下の名声に傷が付きます。その足りない頭でも理解できたなら、さっさとこの場から立ち去っていただけませんこと? それとも、平民の貧相な脳みそでは今の言葉を理解することも難しいのですか?」


 ちょっとクレア様?


「わ、私は、その」


「あら、口答えするおつもりですの? 仮にも公爵家の令嬢たるこの私に、名前ばかりご立派な平民風情が意見すると?」


 ……おかしい。


 今までのクレア様なら、マリーをけなすにしたってその振る舞いや言葉遣いの誤りを指摘するところから始めていたはずだ。それがどれほど攻撃的で一方的であっても、間違ったことは言わなかったし、相手の人間性を殊更に否定するようなこともしなかった。


 クレア様がマリーを罵倒するのは、マリーを傷つけるためではなく、自分、ひいてはエルトファンベリアの名声を誇示するためだったのだから、吐く言葉が正論であるのはある種の必然だったはずだ。


 けれどこれは。いま、目の前でマリーを罵るクレア様は違う。

 違う、これは違う。これは明らかに、マリーを傷つけるための言葉だ。彼女を追い詰めるために、クレア様は自分の「正しさ」を放棄しようとしている。


 それはまさにゲームの、主人公マリーから見た場合の、クレアラートという令嬢の在り方。マリーを目の敵にして、彼女を貶めるために手段を問わない、それはまるで――。


 どうしよう、どうしたらいい?


 迷い無く罵倒の言葉を口にするクレア様の横顔は高圧的な微笑を浮かべている。目の前の存在を徹底的に見下し、弄ぶことを楽しんでいる、嗜虐的な笑み。

 そのあまりに攻撃的な姿は、私に割って入ることを許さない。

 ミリーも呆気にとられてクレア様を見つめている。


「そこまでだクレア!」


 ガタン、と音を立ててユベルが立ち上がる。いつもはどこか感情の薄いその瞳に、今は明確な怒りが宿っていた。


「クレア、マリーに謝罪しろ」


「あら、どうしてです殿下? この平民上がりに同情しても良いことなどありません、この女がつけあがるだけですのよ」


「口を慎め、分家とはいえ彼女は王族だ。必要なら、俺はこの場でお前を不敬罪に問えるぞ」


「ゆ、ユベル様」


 マリーがユベルを宥めようと声を上げたが、それを理解した上でむしろユベルはマリーを守るようにクレアを睨みつけた。

 いつの間にか騒がしかった食堂は静まり返り、周囲の学生たちはみなおっかなびっくりといった様子ながらも息を呑んでこの諍いの行方を見守っている。そして彼ら彼女らの視線には、どこかクレア様を非難するような色が浮かんでいた。


 いや、ちょっと、待ってよ。確かにクレア様は言いすぎたけど、ひどいことを言ったけども。でもそれ以前に、婚約者のいる身でありながら別の女性と二人で食事を取っていた殿下にだって落ち度はあるし、その相手をしていたマリーだって軽率だったのに。


 悪いのはクレア様だけじゃない。むしろ、ここで怒るのは正しいことのはずなのに。

 なのにどうして、クレア様だけが非難されなければいけないの?


 ふと、あの夢を思い出す。


『私は、どうすればよかったのでしょう?』


 震える声でそう呟いたあのクレア様は、あくまでもゲームの中の彼女だけど、夢に見た背中と、目の前に佇むクレア様の背中が重なる。

 周囲の悪意を一身に受けて、王子と王女を敵に回して、そんなの、それじゃまるで。


 ――悪役令嬢そのもの、じゃないか。

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