ひそひそ
講義室に集まった1年生たちのざわめきは、登校時や入学式よりも大きくなっていた。慣れと油断が形成されるまでの時間も、前世の学校と大差ない。
多くの生徒はクラスメイトとなる相手と一緒に座っているようだったが、私は声をかけてきたいくつかのグループからの誘いを断って、クレア様の隣に陣取った。もちろんクレア様を挟んで反対側にはミリーがいる。
「良かったんですの?」
「はい?」
クレア様の質問に欠けた主語を想像できなかったので、首を傾げることで応じた。
「クラス内にも派閥はありますでしょう? どこに加わるにしても、あるいは貴女が中心になるにしても、早い方がよろしくてよ」
クラスに友達つくらなくていいの? と言ってくれているらしい。心配してくれるクレア様優しい!
「私はクレア様のいないグループには入れませんから」
私が迷わず即答するとは思わなかったらしいクレア様が軽く咳き込む。背中をさすってあげたらジトッとした目で睨まれた。なぜだ。
「本当に、最近の貴女はフォルクハイルの名を背負う令嬢とは思えませんわね」
最近の、ということは以前まではそんな風に見えていたのだろう。
よく見ているな、と素直に感心した。もちろん彼女にとって目の上のたんこぶだった自覚はあるし、それでなくても社交界という特有の世界で「完璧令嬢」なんて呼ばれる私は目立つ人間だっただろうけど、それだけにクレア様からしたら直視したって不愉快になるだけだったはずなのに。
嫌いなものを直視できる強さも、徹底的に排除しようとする苛烈さも、そのどちらもクレア様だなと納得する。
ま、最近の私の態度は、それはそれは令嬢らしからぬ感じでしょうけど。認めるけれど改める気はない。前世の記憶を取り戻した以上、私はエルザベラでありエルザベラではない。それはもうどうしたって変えようがないことだ。
「今の私はお嫌いですか?」
「嫌な聞き方ですわね……」
クレア様が本当に嫌そうな顔をするのを見てミリーが少し意外そうな顔をした。私が変わったというなら、こういう顔を見せるようになった辺り、クレア様だって変わっていると思うのだけど。
「……まぁ、嫌いではありませんわ」
好きでもありませんが、と冷たく付け加えられたけれどそこは無視してにっこり微笑み返す。聞いてますの、と怒られたのでもちろんですと答えたらため息をつかれた。あれれ。
「おらそこ、お喋りしてないで話を聞けよ」
「っ! し、失礼いたしましたわ」
講壇に立って授業や行事予定について説明していたヴィルモントに目ざとく見咎められて私達は慌てて背筋を正した。
「そういえば、先ほどの話は本当ですの?」
しばらくは大人しく話を聞いていた私達だったが、ふと思い出したようにミリーが口にした言葉で再びお喋りの空気が漂い始める。ちらりとヴィルモントに視線を向けると、手元の資料に目を落としながら説明を続けていたのでひとまず安心して、私も声をひそめてお喋りに応じた。
「何の話ですか?」
「あの教員が陛下のご友人という話ですわ」
「ああそのことですか」
「!」
一度注意を受けたこともあって私達がひそひそ話を始めても我関せずを貫いていたクレア様がぴくりと反応する。その件について気になってはいたらしい。
「本当、だと思いますわ。私も直接お伺いしたわけではありませんけれど」
ゲームの知識だからね。
「信じがたい話ですわ。エーラなんて聞いたこともない名前ですのに」
「ああ、彼が平民だというのも本当ですもの。聞いたことがないのは当然でしょう」
「……エルザベラ様は私とお姉さまを馬鹿にしてらっしゃいますの?」
「どういう意味ですか?」
「陛下のご友人が爵位も持たない平民だなんてあるわけがありませんでしょうに。貴族でもない人間が、どうして陛下とお話できましょうか」
ミリーが小馬鹿にした様子で私と壇上のヴィルモントを見る。クレア様も言葉にこそしないがミリーに同意らしく、胡散臭いものを見るように私を半目で見ていた。
「こんなことで嘘なんてつきませんわ、調べればすぐにわかることですもの。それに彼の振る舞いが貴族のそれでないことには、お二人もお気づきでしょう?」
「それはまぁ、そうですが」
壇上のヴィルモントは椅子に腰を下ろし、足を組んで思いっきり背もたれに寄りかかっている。姿勢も所作も不格好ではないが、決して洗練されたものでもなかった。
「仮に、彼が平民だとして陛下のご友人という根拠はどこにありますの?」
「噂ですわ」
私がスパッと断言すると二人の肩が目に見えてがっくりと落ちる。まぁそうよね、噂が根拠です、なんて通じるわけもない。噂とはつまり裏が取れていないから噂なのだ。
でも前世の記憶です、と答えるわけにもいかないんだもの。
「噂ですが、でも信憑性はあると思いませんか? 平民の彼が王国一の学院で教鞭を取っている、それも担当が国史、法律、政治学とこの学院でも最重要視される中の三つです。彼をここの教員にと推したのが陛下だというのは事実だそうですし」
それについては私も記憶を取り戻す以前に小耳に挟んでいた。当時は半信半疑だったが、ゲームでのヴィルモントと陛下のことを思い出した今となってはその通りだったなと納得している。
ゲームではヴィルモントと陛下は、陛下がまだ王子だった頃からの付き合いだった。お忍びで城下を訪れた王子と偶然にも同じ店のカウンターにつき、まだ学生だったにも関わらず政治や国際情勢について議論し王子を論破してしまった彼を王子がいたく気に入ったのである。
相手が王子だったと知りこれ以上関わりたくないと逃げ回るヴィルモントを陛下が追い回し、いつの間にか腐れ縁の飲み友達、といった関係に落ち着いた。やがて陛下は即位すると、ヴィルモントに爵位を与えて相談役として召し抱えようとしたがヴィルモントは断固として固辞し、ならばせめて後進の育成を、という頼みを断りきれず学院に籍を置くことになった、という次第である。
アメリカンドリームもびっくりな大出世だなぁ、と前世の私なら笑っていただろうけど、この世界の住人としてはそうそう迂闊に笑うことさえ出来ないような、嘘のような本当の話、というヤツである。
「王宮に出入りする貴族の間でも長らく平民はこの学院に相応しくないという指摘は出ているそうですが、その中で涼しい顔で教師を続けていられるというだけで、推薦者の陛下と親しくても不思議ありませんわ」
「まぁ、確かに……」
理解はできるけど納得できない、そんな顔で曖昧に頷くミリーと違い、クレア様は先ほどよりも鋭い視線を私に向けていた。
「貴女、いったいどこでそんな噂を仕入れてきますの?」
おっといけない、あまり詳しすぎると怪しいかしらね。クレア様のところにだって当然噂の類は流れてくるはずだし、表面的な噂はともかく実情に迫りすぎるとゲームのことでボロが出そうだ。怪しまれないようにしないと。
「ノーコメントですわ。私も貴族ですから、とだけご理解くださいな」
「そうですか」
クレア様はまたも胡散臭いものを見るように私を見たけど、それ以上追求してはこなかった。まぁ有力貴族が諜報組織のようなものをそれぞれ抱えているのは公然の秘密だからね。深く突っ込むのは野暮というものである。実際のところフォルクハイル家の情報収集能力がどの程度のものか、当主でもない私には知る術がないのだけど。
お父様ったら、いつまで私を子供扱いするつもりなのかしらね。
「どうですかクレア様、私も役に立ちますでしょう? お傍に置いて頂ける気になったのでは?」
「別に、貴女にそんな役割なんて期待してませんわ」
せっかくなので友達勝負の売り込みをかけると、クレア様は興味がなさそうにそう返してきた。残念だわ。
「フォルクハイル、エルトファンベリア、リュミエローズ」
名指しされて私達は再びビクッと肩を跳ね上げる。さっきまで壇上にいたはずのヴィルモントがいつの間にかすぐ近くまでやって来ていた。
「三度目はないぞ」
「はい……」
私達は揃って頭を下げ、今度こそ大人しくしていようと居住まいを正した。
* * *
役に立ちますでしょう? と、彼女にそう言われて、私は少し面白くない気持ちになった。自分でも意味がよくわからない。彼女の持つ情報網は確かに自分のものと別種であり、その情報を断片であれ無償で差し出してくれるなら貴族としてはそれだけで繋がりを持っておく価値はある。
頭ではそう理解しているし、納得もしているのだが、どうしてかそれで良いとは思えないのだった。
考えてみればあのお茶会の日から、彼女の印象はガラリと変わった。
いつでも完璧で、涼しい顔で、私が努力しても及ばない場所をスイスイ滑っていく。そんな得体の知れない存在だった彼女は、一足飛びに私との距離を詰めてきて、損得なんてまるで計算していないように私の前で笑ったり落ち込んだり、飾り気のない顔ばかり見せる。
かと思えば、殿下やあのエーラという教師と私の間に割って入る時、彼女は見慣れた完璧令嬢の仮面を纏うことに躊躇しない。
騙されているとか、偽られているとか、そんな風には感じない。ただ、令嬢の仮面をかぶった彼女と、私の前で尻尾を振る彼女のギャップがどうにも結びつかなくてひどく戸惑う。
完璧令嬢の彼女は貴族としては正しく有能で、派閥に引き入れるなら間違いなく大きな力になる人物だ。だから彼女の言う「役に立つ」は私が友人に求めるものとしてとても正しい。
……でも、面白くないのだ。
別に、困るほど情報が不足しているわけではない。今回は遅れを取ったが、彼女自身が言ったように、その気になれば私にだってあの教師の身辺を調べることなど簡単だ。だから、そう、それだけ。
有能であっても無二ではないのなら、そんな能力のために友人になる必要なんてない、そう思っただけに違いない。
だってそんなものなど無くとも、仮面を外した彼女の振る舞いは私にとって――。
「フォルクハイル、エルトファンベリア、リュミエローズ」
びくっと肩が跳ねた。慌てて顔を上げるとあの平民教師がうんざりした顔で私達を睨んでいる。陛下のご友人、と聞けば先ほどのように無下にも出来ず、私達は頭を下げるしか無かった。
それで、何を考えていたんだったかしら。
ちらりと隣の席に座る少女を盗み見る。明るい茶色の髪に真紅の瞳。贈り物と言って差し出されたあの首飾りの宝石によく似ている。少し暗めの赤と規則の白とで配色された制服は他の生徒に比べれば装飾も少なく簡素だが、そんなことで周囲に見劣りするほど彼女の容姿は大人しくない。
紅い少女、けれど彼女は熱くはない。いつも静かに、冷静に、俯瞰的に、私よりも一段高い視点に立つような物言いが気に入らなくて、何度か突っかかっていったこともあるけれどあっさりとかわされて。
こちらから向かっていくと相手にされなかったのに、いざこちらが鬱陶しく思って離れようとすればこうして近寄ってくる。
どれくらい彼女の横顔を見つめていたのか、ふいにこちらに視線を傾けた彼女と目が合った。慌てた私が目を逸らすより早く、彼女が嬉しそうに微笑む。
「怒られてしまいましたね」
イタズラが見つかった子供のように、小声でそう言いながらひひっと悪びれなく笑う彼女の顔から視線が逸らせない。
そのまますぐに正面に向き直った彼女のほんのりと赤い横顔を見つめて、私は先ほどあの教師に睨まれる直前、自分が何を考えていたのかを悟った。
能力だなんてそんなものなくても、彼女は私にとってとっくに、無二の存在なのだ。
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