クラス分けと無精教師
入学式は拍子抜けするほどアッサリ終わった。馬車の中でアニーにはほとんど座っているだけの式、と言ったが完全に座っているだけの式、と訂正すべきだったかもしれない。
唯一語るべき点があったとすれば、新入生代表の挨拶がクレア様だったことかしら。新一年生の中で最も爵位の高い家がエルトファンベリアなのでそれ自体には何の驚きも無かったのだが、やたらと高い壇上に頼りないスカートで上がるクレア様が心配で私はドキドキしっぱなしだった。こんなことなら無理やりにでも最前列に座るべきだったわ。
ちなみに在校生代表はユベルクル殿下だった。至って落ち着いた様子はさすが王族といった貫禄があったが、正直直前のクレア様のスピーチで頭がいっぱいだった私は半分も聞いていなかった。ま、いいでしょ別に。
式が終わると講堂の外の掲示板でクラス発表。この辺りも前世の学校とあまり変わらない。まぁクラス、とは言ってもそれはあくまで規定人数で行動する何かしらのイベントや分担事項がある場合に向けて用意されたものでしかなく、普段の授業などは大きな講義室で学年全体で行われるので前世のそれほど重要ではなかった。
もちろん、それが何であれクレア様と同じものに所属できればそれ以上のことはないのだけど。
「クレア様、壇上での振る舞いもご立派でしたわ」
「ふん、エルトファンベリアの娘としては当然ですわ」
「いいえ、クレア様の日頃の努力があればこそでしょう。尊敬いたしますわ」
いやほんと、クレア様のことだからこのスピーチも昨夜みっちり練習したんだろうなぁ。完全に暗記してたし、それどころかスピーチの内容に合わせて表情を作ったり会場を見回したり軽い身振りを交えたり、聞くものの意識を自然と集中させる仕上がりだった。
大多数の参加者は「さすがエルトファンベリアのご令嬢」ってなっているんだろうけど、私からしたらさすがクレア様、なのよね。よくがんばりました。
自室でこっそりスピーチ原稿と睨めっこするクレア様とかすごく萌える。練習中は噛んだりするのかしら? やだなにそれ聞きたい。
「お姉さま、素敵なスピーチでしたわ!」
「貴女も大げさですわ」
そう言いながらも褒められて満更でもないのか、クレア様の表情は柔らかい。うん、いいわね自然な笑顔。願わくば彼女がいつでもこんな風に笑っていられるように、私が頑張らないとね。
朝と同じく三人で連れ立ってクラス表が張り出される掲示板へ向かう道中、前方に桃色の髪がひょこひょこ動いているのが見えた。二年生は教室へ戻るだけだろうけど、とりあえずここではマリーは一人みたいね、よかった。また殿下と一緒だったりしたらさすがに私もクレア様にブレーキかける自信がないよ。
いや、私は別にマリーが嫌いな訳ではないのだけども。クレア様側に立っていると、その辺りも難しいのよね。
私たちに関係ないところで他の攻略キャラとイチャイチャしててくれれば存分に応援するんだけど。ドールスとかどうかな? 今ならライバル令嬢が応援してくれてノー障害よ。
そして到着する掲示板前。そこかしこで歓声や落胆の声が聞こえる。やっぱり貴族でも友人や人気者ーーこの場合は有力貴族や王族のことだけどーーと同じクラスに所属できるかどうかは重要なのね。
もちろん私だってクレア様と同じクラスに所属出来れば最高だと思っているけれど……こればかりは自分でどうにかできるものじゃ無いのよね。
並ぶ名前の中からまずはクレア様の名前を探すと、Aクラスにすぐに見つかった。そのままAクラスの名前の上を一つずつ順に視線を滑らせていくと――。
「……無い」
私の名前はAクラスには無く、すぐ隣の。
「Bクラス、ですわね」
クレア様も私の名前を探してくれていたのか、私と同じ辺りに視線を向けてそう呟いた。
いや、うん、そんな気はしていた。ゲームでもクレアとエルザは同じクラスではなかったし、そもそも一緒に登場するシーンもそうそう多くなかったし。
でも、でもだよ! せっかく毎日クレア様に会えるのに、イベントごとの時は別行動確定というのは……正直落ち込むなぁ。
「うっ、ううっ、ぐすっ、クレア様ぁ」
「な、なにも泣かなくてもいいではありませんか。それにエルザ様、貴女、クラスが分かれたくらいで私を諦めるつもりですの?」
「……え?」
顔をあげると、なんだかつまらなそうに口をとがらせたクレア様と目があった。
「クレア様、それは」
「あっ、いえその、今のはそういう意味ではなくてですね」
一拍遅れて自分が何を口走ったのか気づいたらしく、クレア様は慌てて否定しようとするが言葉にならない。嫌味は言うけど嘘は苦手なのもクレア様の可愛いところである。
「もちろん、諦めたりしませんわ」
私がそう言ってにっこり笑ってみせると、クレア様は先ほどの失言と合わせて恥ずかしくなったのかフンと鼻を鳴らして顔を背けてしまった。でも、耳が真っ赤なのは隠せてないのよ、はぁ眼福。
ま、そうね。さっきも思ったことだけどクラスが違ったって授業は一緒に受けられるし、会えないなら会いに行けばいいだけよね。
問題といえば、クレア様からマリーへの嫌がらせを私が間に入って止められるのが理想だったのだけど、クラスが違うと目が届かない部分はどうしても出てきてしまうことかしら。四六時中一緒にいる訳にはいかないし、せめてドールスがクレア様と同じクラスだったなら協力してもらえたんだろうけど……ミリーは私に協力なんてしてくれないだろうし、クレア様の邪魔なんて絶対しないわよね。
なるべく私の方から会いに行くつもりではいるけれど、クレア様自身の意識改革ができたら安心だし、何か考えなくちゃならないかもしれない。
まぁ、まずはキチンとお友達になるっていう目標は変わらないけれどね。
「おらガキども、クラス表見たらとっとと講義室へ行けってお達しだったろうが。いつまでも固まってねーで移動しろ。後の予定が詰まってんぞ」
突然、およそ貴族向けの学院に相応しいとは思えない言葉遣いが聞こえて、私達は何事かと周囲を見回す。声の主は人混みをかき分けるようにして掲示板の前に陣取ると、いかにも不機嫌そうな様子を隠そうともせず、集まった生徒たちを追い払うようにシッシと手を払う。
貴族、には見えない。さきほどの声の主は、深緑色の髪を腰まで届こうかという長さに垂らし、無精髭を生やした男性だ。年の頃は……三十そこそこだろうか。落ち着いて観察すればそのくらいの歳に見えるのだが、モノクルと野暮ったく伸びた前髪を挟んで覗く両目には酷く濃い隈があり、手入れを放棄したようなボサボサの髪と髭、薄汚れた黒い上着というくたびれた出で立ちは実年齢より十は老けて見えた。
貴族らしくない、なんてレベルではない。城下の平民だってもう少し身だしなみに気を遣うだろうに、その男性の容姿は身だしなみなんてクソ食らえ、という信条を貫いているかのような無精っぷりであった。
というかこの人、どこかで見覚えが――痛っ。
徐々に慣れつつある強烈な頭痛が走り抜けた直後、私は目の前の男性について思い出せていた。
男性の名はヴィルモント・エーラ。この学院の教師であり、その血筋は正真正銘完全無欠に徹頭徹尾の平民である。
「……なんですの、貴方」
見下しレーダーに反応したらしく、クレア様が威圧するように胸を張って前に出る。しかし男性、ヴィルモントはそんな攻撃的な態度の令嬢にも顔色一つ変えない。
「俺はここの教師で、お前らガキどもは生徒だ。わかるか? わかるな? ほれ、とっとと移動しろ移動」
教員たちがつけている小さな金の紋章がある襟元を指さして、ヴィルモントは気だるそうに言う。しかし相手を明らかな格下と見たクレア様も退く気はないらしく、むしろ反論されたことに酷く苛立ったようで眉を吊り上げ表情を険しくする。
「教師である以前に品性を疑う物言いですわね。それに何ですかその格好は。貴方がどこの木っ端貴族かなど存じませんが、ここには公爵家を筆頭に貴方より地位のある者が大勢いましてよ? その方々を不快にさせない程度の気遣いも出来ない人間が、どうしてここに出入りできているのか、その驚くべき方法を是非ともご教授いただきたいですわ」
うわ、絶好調。最近はマリーへの嫌がらせを私が仲裁していたこともあって鬱憤が溜まっていたのか、格好の獲物を見つけたクレア様はここぞとばかりにヴィルモントを罵倒する。話し出しには苛立ち紛れだった表情が、言い終える頃には活き活きと輝いていた。相手を罵倒してあんなイイ笑顔を浮かべるなんて、やっぱりクレア様って性格悪いわよね。まぁそんなところも可愛いというのはとっくに知っているのだけど。
「木っ端も何も、俺は貴族じゃない」
「はぁ? 嘘おっしゃい、家名を晒すことを恥じるくらいならその格好を改めなさいな。それとも、今になって怖気づきましたの? 遅まきながら私の名前を思い出したのなら謝罪くらい聞いて差し上げましてよ?」
「お前みたいな小娘なんぞ知るか。いいからとっとと移動してくれねぇかな。同僚にネチネチ嫌味を言われるのは俺なんだ」
「なっ」
これには流石のクレア様も絶句した。まぁ無理もない。相手が平民――クレア様は貴族の端くれだと思っているみたいだが――とはいえ、貴族の子女ばかりが通い、数年後には王宮に出入りし国政や派閥争いに参入していく者たちと日々顔を合わせるこの学院の教師が、エルトファンベリアの娘を見も知りもしないなど普通なら考えられないことだ。
ヴィルモントの人となりについて思い出してしまった私はともかく、クレア様だけでなくミリーや周囲の一年生たちも呆気に取られていた。
そして私は周囲とは違った理由で顔をしかめる。
こんなところでも、クレア様と攻略キャラクターは対立してしまうのね、と。
そう、ヴィルモント・エーラはゲームにおける攻略対象者の一人だ。個別ルート以外では教師として生徒との間に一線を引いているとはいえ、殿下やドールスのルートでも婚約者であるクレア様や私を追い落とすことに引け目を覚えるマリーを後押しする役目を担っている重要人物。
同じ平民出身で貴族社会に入った者同士、そしてその道の先輩として、何かとマリーに目を配ってくれるのがゲーム内でのヴィルモントである。幸い平民育ちで面の皮も厚く育った彼は貴族からの心ない言葉など聞き飽きているだろうし、ゲームと同じような人物ならこの程度のことでクレア様を敵視したりはしないだろうけど……でも、ユベルクルのルートに於けるクレア様の弾劾に、直接ではないとしても協力しているのよね。少しでも心証が悪化しない方がいいのは確かだ。
となると、現状はやっぱり私が間に入らないとかな。
「エーラ先生、失礼を致しましたわ」
私がクレア様の隣に進み出て頭を下げると、クレア様がぴくりと反応したのがわかった。同じ上位貴族の私が目の前の小汚い男に頭を下げたのが気に入らないのかもしれない。まぁゲームでもルートに入るまではこの格好のままだし、黒い長衣を着ている理由が「汚れが目立たず着回しやすい」ではフォローの仕様がない。立場云々以前に、年頃の少女の前を歩いて顔をしかめるなというのが無理な格好だ。
ただ、私はゲームにおけるヴィルモントは嫌いではない。というか、攻略キャラクターの中ではかなり好きな人物だったりする。
平民出身で元は城下に小さな私塾を持っていた彼は、生徒には平等であることがモットーであり、マリーとクレア様をはじめ地位の異なる学生を対等に扱おうとすることから一部の貴族には嫌われているが、その授業は学院のどの教諭よりも実践的で役に立つと熱心な生徒からは好意的に見られている。
何より、最終的にマリーに肩入れしたとはいえ、他のどのキャラクターよりもクレア様の身の振り方に気を配っていたのは彼なのだ。マリーが受けている理不尽な扱いを正すことで、クレア様の将来が暗いものになるということは、貴族社会で生きる大人であるヴィルモントが一番良く知っていた。だから最後までマリーの味方をすることに悩み、まぁ、最終的には人道的に正しいマリーの側につく決断をするのだけど。
それでも、ゲームでは数少ないクレア様を案じてくれた彼に悪感情はない。むしろ同志とさえ思っている。まぁ私は平等どころかどっぷりクレア様派だけど。
とにかくそういう訳で、いまヴィルモントと対立したくはない。敵になるような人間でもないが、あわよくば味方になってくれるかもしれないのだから、悪戯に喧嘩を売るべきでは無いだろう。
「こちらの非礼はお詫びしますわ。ですが初めに礼を欠いたのは先生の方ですから、その点は多少、ご容赦いただけますわね?」
「容赦も何も俺は何も気にしてはいない。そんなことはいいからとっととこの場から移動してくれ。俺も暇じゃないんだ」
「ありがとうございます。では、授業でお会いできるのを楽しみにしていますわ。特に国史と法律は個人的に楽しみにしていますの」
ヴィルモントは私が自分の担当科目を知っていたことに一瞬驚いた顔をしたがすぐに何かを察したのか初めの不機嫌面に戻る、どころかそれ以上に嫌そうな顔をすると、わかったからさっさと行け、と追い払うように手を振って、他にもたむろしている生徒たちに口を出しに行った。
「あんな男に好き放題言われて、謝罪までするなんて。エルザベラ様には貴族のプライドが欠如していますわ……いだだだだ!」
「出過ぎた真似をしてすみせん」
さっきまでハラハラ見守っていたくせに事が収まったと見るや飛び出してきたミリーのつむじの辺りを拳でぐりぐりしながらクレア様に向かって頭を下げる。
クレア様もミリーに負けず劣らず不満げではあったが、同時にどこか不思議そうな表情を浮かべていたので「なにか?」とこちらから質問を促してみる。
「ミリーの言うことではありませんけど、なぜ貴方は謝罪を? 明らかに非はあちらにありましてよ。場を収めるにしても、謝る必要はありませんでしたでしょう」
ああ、単純に私の謝罪が理解できないのか。まぁそうよね、クレア様に劣るとはいえ私も名家の令嬢なのだ。相手が教師とはいえ、地位というのは時に年齢や経験より優遇されるのが貴族社会だ。明らかに向こうの態度が問題だったのだから、私達の側が謝るのはおかしい。
可能ならヴィルモントを味方につけたいという私の思惑があったにしても、あの状況でこちらが頭を下げる必要まではなかったし、前世の記憶を取り戻す前のエルザベラならやはり仲裁はしても、あちらの非礼を指摘してむしろ謝罪を要求して手打ちとしただろう。
ただ、ゲームの記憶がある私はヴィルモントの人間関係について、もう一つ重要な事を知ってしまっているのだ。故に、彼を蔑ろにするのは躊躇われた。
「謝罪をした理由は簡単ですわ」
「エルザベラ様にプライドが足りていないだけで――ひっ」
余計な口を出すミリーの前でスッと拳を握ると慌てて頭をかばうように縮こまる。そんなに痛くはしてないと思うのだけど、じゃなくて。
「あの方、ヴィルモント・エーラ先生は、陛下のお茶飲み友達ですから」
「「は」」
ハモった。
クレア様とミリーの表情が、声と同じくまったく同時にピシリと固まっていた。
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