ライバル令嬢、意見する
……相変わらず、愛想笑いが苦手な方ね。
以前に舞踏会で会った時からの印象と、ゲームの記憶とが合わさってそんな感想を抱く。
ゲームにおいてユベルクルというキャラクターの大きな特徴は「笑うのが苦手」というものだった。容姿にも能力にも恵まれ、時期王の座も安泰。王子として何の憂いもないはずのユベルだったが、彼は表情を作ることがひどく苦手だった。
幼い頃から愛想笑いに囲まれて育ったユベルは、それを真似るよりも早く嫌悪した。あるいはそれは、幼い頃から聡明であったからこそ、純粋な少年が周囲の嘘に気づいてしまったという悲劇なのかもしれない。
成長したユベルは当然愛想笑いが人付き合いに必要なことは理解していたが、幼い自分が嫌悪した笑みを自分が浮かべることがどうしても上手く出来ない、とそんなキャラクターだった。
ゲームのヒロインであるマリーナは、学院に編入してすぐに一度だけユベルの心底からの笑顔を目にし、それから上手く笑えない彼に素直に笑ってほしいと思うようになる、とまぁそんな感じのシナリオだった。
……そういえば、ゲームの冒頭でマリーとユベルが出会うシーンって、確か入学式の前日だったわよね。私達からすれば昨日ってことになるのだけど、二人は昨日出会っているのかしら。この世界がゲームと同じように進むのかどうかを知るためにも、なんとか探りたいところだけど。
「行こうか、クレア。君たちも」
「はい、殿下」
差し出された殿下の腕にクレア様が手を添え、二人は人波を割って歩き始める。エスコートの所作も美しいのに、笑顔嫌いの王子さまは無表情だ。クレア様もキリリと表情を引き締めているものだから、カップルというか形式的な盟友といった風情だ。
しかもあの二人、並んで歩いているのに一言も会話しないのよね。殿下の多忙もあって婚約者とはいえそれほど頻繁に会っているわけじゃないとはいえ、年頃の男女としてはちょっと落ち着きすぎじゃないかしら。
当人たちは平然としているし別に気まずくはないのだろうけど、そのドライな関係が最終的にクレア様が断罪される一因にもなるのよね。
なんとか二人の仲を取り持つべきかしらと悩んでいると、迷いなく進んでいた殿下の足が不意に止まった。
「マリー」
「え?」
殿下の口から漏れた名前に慌てて視線を走らせると、私達の少し前方にふわふわ揺れる桃色の髪が見えた。
背後で人波が割れる気配に気づいたのか、マリーがこちらを振り返ると、驚いた様子で目を見開く。
眉根を寄せたクレア様とは対象的に、殿下は少し歩調を速め、片手を上げてマリーに挨拶をしていた。
「おはよう、マリー」
「おはようございます……えと、ユベル様」
殿下とマリー以外の全員が驚愕に目を見張った。名前呼び。マリーの方が敬称をつけているとはいえ、それも臣下から王族への殿下ではなくあくまで敬意のみを示す様付け。王族と元平民というには親しすぎる物言いである。
「学院には馴染めそうか?」
「ど、どうでしょうか、まだ二日目ですから……でも、お城とも違う雰囲気の場所ばかりで、通うのが楽しみです」
「良かった。何かあれば遠慮なく俺を訪ねてくれ」
「はい、ありがとうございます」
……いや、いやいやいやいや!
ちょっと待ってよこれ、いくらなんでも親しすぎじゃないかしら! 殿下普通に微笑んじゃってるし、マリーも緊張気味とはいえ嬉しそうにしてるし。ゲームでもこんなやり取りしてた気がするけど、これ客観的に見るとこんな気まずい状況だったの?
「マリーナ様」
と、殿下の邪魔にならぬよう半歩下がっていたクレア様が一歩進み出る。それによって殿下よりもマリーとの距離が縮まる。
「殿下の御前です。お話なさるよりもまずは礼を取るべきでは?」
「っぁ、く、クレアラート様! 失礼しました」
「失礼致しました、ですわね。いつになれば真っ当にお話できるようになるのかしら?」
「し、失礼致しました」
「クレア、そこまで言う必要はない。同じ王族であり学生同士、遠慮するなと彼女に言ったのは俺だ」
「お言葉ですが殿下、ヴァンクリード家とツェレッシュ家では王家と言っても立場も格も違いすぎます。ツェレッシュ家があるのは火種を防ぐがため、なれば君臣の礼はむしろどの貴族よりも堅く示されるべきかと存じます」
「それは――」
うーん、クレア様が正しい、けど。
平民出身でそもそも階級意識の薄いマリーナ様と、ツェレッシュ家との確執を快く思っていない殿下が相手では、筋は通っても感情面では納得できないだろう。
マリーナ様はともかく、発言力も影響力も強い殿下とクレア様が表立って対立するというのはどう考えても分が悪い。だからと言ってここで何も言わないのはクレア様のプライドが許さないだろうし、婚約者である殿下が他の女性と睦まじい様子をただ眺めているというのも良くない。
いやほんと、クレア様の状況って可哀想過ぎない? ゲームでは開始直後のこのシーンで悪役令嬢の事情なんて察せるはずもないから、感じ悪い女、としか思わないのだけど、同じ世界に生きて、貴族として三者の立ち位置も理解しちゃうと、クレア様が不遇すぎて泣けてくる。
「殿下、失礼ですが一つだけ、よろしいでしょうか」
一触即発の三角形の一点を担うクレア様の隣に進み出て、発言の許可を求めると、殿下が視線だけで頷く。
「分家との関係を改善したいという殿下のお考えにも、また分家の意義を示すクレア様の言にもそれぞれ理があるとは思います。けれど殿下は、一つ見落としていらっしゃるのでは?」
「見落とし?」
「はい。殿下は本日、ご婚約者であられるクレア様のエスコートのためにこの場へ足をお運びのはず。なのにクレア様を置き去りに他の令嬢にうつつを抜かすのは、あまり褒められたことではございませんよ?」
「……それは、そうだな」
エスコート中に何しとんじゃワレ、という言葉を貴族言葉に直して伝えると、殿下は気まずそうに視線を逸らした。
「クレア様も、お恥ずかしいからと言ってあまり怖い顔をしてはいけませんよ。嫉妬も女性の甲斐性ですが、それではせっかくの愛らしいお顔が台無し……にはなりませんけれど、笑顔でいらっしゃる方が可愛らしいですわ」
怒ったクレア様も素敵です! という本音を堪えた私自身を褒めたい。指摘されて恥ずかしかったのかクレア様が真っ赤になって目を伏せる。小さく「か、かわい……」と何事か呟いていたように聞こえたけど、今はこの場を収めることに集中しないと。うーん、中間管理職ってこういう立場なのかしらね。
あちらを立ててこちらも立てて。あちらを下げてこちらも下げて。どうにかお互い様の方向に話を持っていく。ゲームの感じだとマリーはクレア様にそれほど悪い感情は持ってないはずだし、まずはクレア様と殿下の関係改善が当面の目標になりそうだ。
「殿下」
「なんだ」
「せっかくこんなに愛らしい婚約者がいらっしゃるのにそんな態度では、愛想を尽かされてしまいますよ?」
「……うむ」
暗に「王家とエルトファンベリア家の繋がりを蔑ろにするおつもりですか?」と視線に込めれば、意味するところは伝わったらしく、いくらか気圧された様子ながらも殿下は頷いた。
隣のクレア様からまた「あいらし……っ」とかなんとか聞こえたような気がしたけど、ひとまず丸く収まったわよね?
本当ならクレア様の前でお家の話題は避けたかったのだけど、ここは仕方ない。クレア様が可愛いのも愛らしいのも本当のことだし、その言葉でなんとか許してもらおう。
「殿下もお忙しいとは存じますが、婚約者を大切になさらない正当な理由など古今のいずれにもありません。ましてクレア様はご覧のように見目麗しく、また聡明で、殿下の婚約者としてこれ以上ないほどに完璧でいらっしゃいます。このような素晴らしい女性とご婚約なさった幸せを、殿下にはもう少し自覚していただかなくては――」
「え、エルザ様!」
突然ひしっと手を掴まれて何事かと隣を見ると、真っ赤になったクレア様が涙目で私を睨んでいた。あ、あれ? 私なにかマズイこと言った? クレア様と殿下の関係を改善してもらおうと殿下に注意を促してただけのつもりだったんだけど。
「その辺りで結構ですから! ほら、早く行かないと遅れてしまいますわ!」
言い終わるやいなや掴んだ私の手をグイグイと引っ張ってクレア様は講堂へと歩きだしてしまう。ふおおクレア様と手繋ぎ! 唐突な幸せに思考回路はショート寸前、ってそうじゃなくて!
「く、クレア様? あの、殿下は」
「貴女と殿下をいつまでもお話させておく方が危険ですわ!」
「いえ、あの、殿下への無礼はもちろん承知ですが、クレア様のお立場を考えて」
「そういう問題ではありません!」
え、違うの? うう、クレア様が何を怒っているのか察せないとは、一生の不覚だわ。でも聞くは一時の恥、ってやつよね。
「あの、クレア様? では一体何をお怒りで?」
「っ、別に、怒っているわけでは、ありませんわ」
「そうなのですか? ですがその、お顔が――」
「貴女が恥ずかしいことばかり言うからですわ!」
真っ赤ですよ、と言う前に、思わずと言った感じで立ち止まったクレア様に涙目のまま怒られてしまった。
「恥ずかしい、ですか?」
「そうです! なんですか可愛いだの愛らしいだのと、私に似合わない言葉を並べ立てて! 一体何がしたいのですか貴女は!」
「いえ、それは本当に思った通りのことを言っただけなのですが」
「〜〜〜〜っ!」
声にならないのか、クレア様は口をパクパクさせたかと思ったら、両手で顔を押さえてその場にしゃがみこんでしまった。
……あれ、恥ずかしいって、そっち?
てっきり私がなにか失礼なことを言ってしまって恥辱を味わった、とお叱りを受けているのかと思ったのだけど、クレア様のこの反応からすると。
「あの、もしかして照れてらっしゃいます?」
「そういうことは言わなくてよろしいですわ!」
照れていた。それはもうバッチリ照れていた。
――あ、無理これ。我慢できない。
「可愛すぎですクレア様!」
「ひゃああ! ちょっとまた、離して、抱きつかないでください!」
「クレア様が可愛すぎるのがいけないんです! 私は悪くありません!」さすさす
「ちょ、どこを触っているんですか!」
「クレア様の身体ならどこでも触りたいです!」
「警備隊に突き出しますわよ!」
そんな貴族令嬢らしからぬ騒ぎを、通り過ぎる新入生たちがドン引きしながら見ていたことに私達が気づくのは、もうしばらく後なのであった。
* * *
「……暴走してんなー」
「ドールス」
どこからかひょっこりと現れた昔なじみの少年は名前を呼ばれて俺を振り返ると歯を見せて笑う。俺と違って、人好きのする笑みだ。
「エルザに説教された?」
「ああ。立派な娘だとは知っていたが、ああも真っ向から反論されるとは思わなかった」
遠目にも令嬢らしからぬ大騒ぎをしているのが見える我が婚約者と、目の前の友人の旧友である令嬢を見ながらそう感想を漏らすと、ドールスはくすくすと堪えきれないといった風に笑う。
「エルザは完璧令嬢だが、完璧なだけの令嬢じゃないぞ。だから一緒にいて面白いし、なぜだか応援したくなる」
「そのようだ」
エルザベラ・フォルクハイル。王子である俺よりも、友人であるクレアを立てるような物言いそのものにも不意をつかれたが、そんなことよりも俺を驚かせたのは、あの鉄面皮のように令嬢の顔を崩さなかったクレアにあんな顔をさせられる人間がいたという事実の方だった。
「クレアは、あんな風に照れたりするのだな」
「俺もびっくりだ。エルザの言ったとおりだったけど」
「お二人は仲良しですからね」
俺たちの戸惑い混じりの感想にマリーの呟きがトドメを刺した。
仲良し。そうだな、あれはどう見ても、心を許した友人同士の姿だ。いや友人というか、あるいは。
……いや、いかんな。婚約者なのにそんな風に考えてしまうからエルザベラ嬢に叱られるのだ。
「少し、羨ましいな」
鮮やかな表情を見せるようになったクレアか、彼女にそんな顔をさせるエルザベラ嬢か、あるいはそんな二人の関係性にか。何に対する羨望かも曖昧なままだが、大騒ぎする二人を眩しく思ったことだけは確かだった。
「はっ! お姉さま、待ってくださーい!」
そして、クレアのらしくない行動に呆気に取られて固まっていたミリエール嬢が、意識を取り戻して走っていくのを、俺達は生暖かい目で見送るのだった。
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