制服と王子

「うるさ、はぁ、はっ、うる、さい、っは、です、わ」


「……いえあの、うるさいのはさっきの貴女なのですけど」


 百メートルも無さそうなっ距離を全力疾走しただけで激しく息切れするミリエール嬢。運動不足が深刻そうだ。

 貴族令嬢だって主にダンス関係でそれなりに運動はするはずなのだけど……まぁ、あれはどちらかというと体力より筋力や体幹のトレーニングという感じだからスタミナが無いのもある程度は仕方ないのかしら。私の名前を絶叫しながらだったのも息切れの要因か。


 無視するわけにもいかないので、仕方なく適度に背中を擦ってあげながらミリエール嬢の息が整うのを待つ。


「っはぁ、ふぅ……エルザベラ・フォルクハイル!」


「はいはいなんですか」


 まともに話すのはほとんど初めてなのに早くも私の中で彼女の扱いがぞんざいになってきている。でもねぇ、お茶会では無作法を怒鳴られて気絶、今回は絶叫ダッシュからの息切れ。さすがに令嬢と対する気分じゃなくなるわよ。ただでさえ前世の記憶もあるから身分制度に違和感があるのに。


「私は認めませんから!」


「ええと、何のお話でしょうか?」


「とぼけないでくださいまし、お姉さまのご友人に、貴女は相応しくないと言っているのです!」


 ああ、うん、やっぱりそのことなのね。


「お姉さまの友人に相応しいのはこの私、ミリエール・リュミエローズただ一人! 貴女の出る幕などどこにもございませんわ」


「……ご安心ください。ご心配なさらずとも、私はまだクレア様にご友人と認めて頂いてはおりませんわ」


「ええそうでしょうとも、まだ認められて――ぅえ?」


 得意げに胸を反らせて演説していたミリエール嬢がピタッと停止する。


「認められて、いない?」


「ええ、まぁ」


「…………っふ、ふふ」


「?」


 今度はぷるぷる震え始めた。やだ怖い。


「ふふふふふ、あーっはっはっはっは! そうですか、そうですね、そうですわよねぇ? 貴女ごときがお姉さまのご友人にだなんて、そんなこと神が許しても私とお姉さまが許しませんものねぇ?」


 めちゃくちゃ馬鹿にされているのだけど、すっごくいい笑顔なのよね。そこまで無邪気に嬉しそうな顔をされると怒る気にならないわね。貴族としては憤慨するところなのでしょうけど、まぁ相手は伯爵令嬢のモブ子ちゃんだし、目くじら立てるのも大人げないわよね。


「ふふ、まぁそうですね、確かに私の杞憂でしたわね。ご自身の家柄に何の誇りも抱けないような貴女では、どんなに家柄が良くても何の意味もありませんものね?」


「ああ、なるほど。そういう考え方もあるのですね」


 思わぬところからのアドバイスに思わず手を打って頷いた。

 クレア様を悪役令嬢から脱却させるのが最終目標ではあるけれど、お近づきになろうという今の段階では、私の価値観や振る舞いをクレア様に寄せるという歩み寄り方もあるのね。実に取り巻き令嬢らしい意見だわ。ミリエール嬢の場合は内面よりも見た目を近づけたみたいだけど。


「ありがとうございます、ミリエール様」


「は?」


「これからは感謝を込めてミリー様とお呼びしても?」


「嫌ですわよ!」


「ありがとうございます、ミリー様」


「聞いてください!」


 うーんこのミリーという人物、なかなかからかい甲斐のある子ね。さすがに口には出さないけど脳内では呼び捨てで定着しそう。などと、私がニヤニヤしていると。


「おやめなさいな、みっともない」


 呆れ混じりのそんな声が聞こえて、私とミリーは同時にたった今通過した内門を振り返った。


「クレア様!」


「お姉さま!」


 ちょうど馬車を降りたところらしいクレア様と、その後ろに控えるリムちゃんの姿があった。学院に一緒に来ているということはリムちゃんはクレア様の専属なのね。当然だけどゲームでは悪役令嬢のお付き侍女までは描写されなかったから、アニーと同じくリムちゃんもゲームの登場人物ではないはずだけど、こんなに幼くて公爵令嬢専属なんて、色んな意味で只者じゃなさそうね。


「ごきげんようミリー」


「はい、お姉さま!」


 嬉しそうに揺れる尻尾が見えそうなくらいニッコニコのミリーに挨拶してから、クレア様が私に向き直る。


 制服姿のクレア様! というかもう、何よりもまずミニスカートのクレア様!

 この世界には短いスカートという文化は基本的に存在しない。そんな中でゲームの舞台であるこの学院だけが異質で、ブレザー風な上に女子はミニスカートという少々浮いたデザインが採用されている。

 ただしそこは貴族学校。おおまかなデザインは統一されているが、制服は基本的にオーダーメイドであり、色や装飾は個々人で異なる。ゲームの登場キャラクターはそれぞれ制服の色がイメージカラーであり、私は赤、クレア様は青が基調になっている。ついでにミリーは水色。これもモブ令嬢の立ち絵と同じデザインだ。


 と、ちょっと話が逸れたけど、要するに。


 制服以外では絶対に見ることの出来ない、クレア様の御御足が、目の前に!

 深い青色をした薄手のハイソックスで大部分は覆われているけど、そもそも足のラインが見えること自体、人と会うときはドレスが基本の令嬢にとっては貴重なのである。

 ああああクレア様のお膝が、肉付きの薄い、令嬢らしく細いふくらはぎが、目の前に。す、すりすりしたい。出来ることなら頬ずりしたい。


「こ、コホン」


 おっといけない。淑女の御御足をガン見してしまった。でもクレア様の足が綺麗すぎるのがいけないのよ、私は悪くない。

 慌てて顔をあげると、クレア様がどこか緊張気味に私を見つめていた。


 ……こ、これは、私にも朝の挨拶いただけちゃう? いただけちゃうわよね、クレア様は礼節を疎かにしないし!

 わくわくしながらクレア様の言葉を待つことしばし。一度深呼吸をして、クレア様は改まった様子で口を開いた。


「エルザべ――ん、んんっ。え、エルザ様も。ごきげんよう」


 名前呼び、だと。


「クレア様……! こうして朝からお会いできて光栄ですわ」


 感動でその場に膝を付きそうになるのをこらえて、しっとり微笑む。クレア様も、無事名前呼びに成功した安堵からか、いつもよりちょっとだけ柔らかい笑顔が返ってきた。ああ幸せ。


「私も! 私もお姉さまに会えて光栄ですわ!」


「ふふ、二人とも大げさですわ。これからは毎日会えますのよ」


「毎朝お会いできるなんて夢のようですわ」


「私も!」


 なんでもないように言いながらちょっと頬が赤いクレア様が可愛すぎる。そしてミリーのことは無視した。というか便乗しすぎでしょこの子。


「クレア様、講堂までご一緒してもよろしいですか?」


「あら、断ったら諦めてくださるの?」


「涙をのんで三歩後ろにお供しますわ」


 あまり変わりませんわね、と苦笑してクレア様が歩き出したので、私が右、ミリーが左に並んで歩く。ちなみに内門前も学院の他の場所と同じくやたらと広いので令嬢三人が並ぶくらいなら何の問題もなく歩くことが出来る。


「ちょっとエルザベラ様? いきなりお姉さまの隣に並ぶなんて馴れ馴れしいのではありませんこと?」


「クレア様にお許しいただきましたから」


「お姉さまは許すなんて仰ってません!」


「そうだったかしら? ではどうぞエルザ様、講堂まで一緒に参りましょう」


「お姉さまぁ!」


「ミリー、貴女は少し落ち着きなさいな」


「そうですよ、クレア様のご友人に相応しい振る舞いをなさらないと」


「ぐぬぬ」


 そんな風にちょっと意趣返しも交えた賑やかな登校を満喫していると、内門を抜けて最初の建物、五角形の一辺である教室棟に入ったところで人垣に足を止められた。


「何でしょうか?」


「気にするだけ無駄ですわ」


 私が首を傾げると、クレア様はそれだけ言ってずんずんと先へ進んでしまう。人垣を構成する最後尾の生徒に「邪魔ですわよ」とクレア様が一声かけると、慌てたそお生徒から波及する形で海割のごとく人の群れが左右に割れ、その中心に一人で佇む人物が見えた。


「あれって――」


「お久しゅうございます、殿下」


 思わず立ち止まった私とミリーに構わず、クレア様はその人物の前に進み出ると丁寧に腰を折り淑女の礼を取る。


「クレアか、待っていた。変わりないようで何よりだ」


「お気遣い痛み入りますわ。殿下もお元気そうで安心いたしました」


「うむ」


 三公家の子女であるクレア様に腰を折らせたまま鷹揚に頷いて見せる人物。殿下という呼び名を聞くまでもなく、そんな事ができるのはごく一握りの人間だけだ。


 漆黒の長髪を低い位置で束ねて背に流し、黄金色の瞳はどこか硬く冷たい印象を帯びて、正面から見据えられるとそれだけで威圧感を覚える。黒髪金眼は直系の王族に代々現れる王家の特質だが、彼のそれは歴代の王族の中でも五指に入る鮮やかさであり、偉大な王になるだろうと噂されている。


 シルエットだけなら細身だが、長身というだけでなく引き締まった身体をしているのが制服のシャツ越しにも見て取れるため、ひ弱というよりも鋭いという印象が先行する。

 ちなみに制服の色は髪と同じ漆黒。カラフルな制服が行き交う中では一際重厚感を放つ独特の色は、王家の子女にのみ許された色だ。


「君たちは」


「お久しぶりです、殿下」


「お、お久しぶりです」


 私とミリーもクレア様の少し後ろから同じく深く腰を折って礼を取る。


「フォルクハイルに、リュミエローズの娘だったな。健勝なようで何よりだ」


「もったいないお言葉です」


 挨拶を終えた私達に顔を上げるよう促すと、その人物、第一王子にしてクレア様の婚約者、ユベルクル・ヴァンクリード殿下は口元に微笑を浮かべた。

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