侍女と令嬢

 式次第に軽く目を通した感じでは、入学式というのは前世とそう変わるものではないらしかった。学院長の挨拶や来賓の祝辞、新入生と在校生各代表挨拶、それと国歌斉唱。まぁ、最後のだけは学生が歌うのではなく楽隊が呼ばれて式を締めるための催しとして行われるそうだけど。ちなみに校歌なんてものはそもそも存在しない。この国に学院と名のつく施設は一つしか無いし、それが王国直営となればわざわざそんなものを作るよりも国歌を使った方が箔がつく、といったところだろうか。


 ヴァークラルト学院入学式、と箔押しされたやたらと大仰な作りの進行表に目を通し終えて、私は安堵とも拍子抜けともつかない息を吐いた。


「お嬢様?」


「なんでもないわ」


 向かいの席から声をかけてくるアニーにゆるく手を振って「気にしないで」と伝える。入学式そのものの描写はゲームでも割とあっさりめだった気がするし、こんなものかしらね。


 学院へ向かう馬車に揺られながら、この一週間考え続けた問題に再び没頭する。

 クレア様と仲良くなる、友人として認められるために必要なことって何かしら。


 私はクレア様への溢れんばかりの親愛の情をアピールすることに何ら抵抗はないし、正直エルトファンベリアではなくクレアラートという個人としての繋がりに飢えている彼女なら先日のようなスキンシップも口で言うほど嫌ではないだろうという斜め上の確信はある。


 ある、けど。


 それをクレア様が自覚しているかどうか、自覚していたとして素直に認めてくれるかは全くの別問題なのよ。だってクレア様は家のために自分という個を殺すことに慣れきって、それが当然だと思いこんでしまっている。いや、少なくともゲームではそうだったって話なんだけど……こちらのクレア様も、どうもその気はあるように思える。先日のお茶会での振る舞いからも、エルトファンベリアの家名を自分個人よりも優先している様子は感じられたし。


 だからクレア様に認めてもらうには、もっと客観的な場所から見て友人に相応しいと誰もが納得できる何かが必要だと思うのだけど、それが何ならいいのか、なかなか思いつかない。

 アニーにも相談して一週間悩んではみたものの、結局これといった妙案は浮かばないまま入学式当日を迎えてしまった。


「……様、お嬢様」


「――ああごめんなさいアニー、なに?」


「学院が見えて参りました。降車の準備を」


 言われて窓の外に目をやると、ドーム状の屋根に刺々しい装飾が施された、触れるとよく刺さりそうな尖塔が何本も立ち、そのいくつもの塔が足元で五角形に繋がる巨大かつ美術性を漂わせる建物が見えた。五角形の中央には一際高い二本の塔が聳え、その二本だけは五角形から独立し、互いだけで結びついている。


 その二本の塔こそ、王立ヴァークラルト学院の本校舎である。


 前世で言うところの、バロック様式? だったか、そんな雰囲気のデザインではあるのだけど、五角形とか二本の塔とか、微妙にファンタジーとSFがごった煮になっている印象だ。もちろんそんな概念が存在しないこの世界では、王国の学問の中心らしい斬新な建築だとなかなか好評らしい。


 学院の敷地はそこらの貴族屋敷よりも広大で、王宮の敷地よりやや小さい程度という、王都の一等地という立地も考えたら馬鹿みたいな規模だ。五角形の学舎だけでも広いというのに、その入り口から周囲をぐるりと囲む堅牢な塀までの距離には馬車が必要なほどだ。五角形の周りには人工林や溜池が点在し、そのいくつかは休息や気分転換のために開放されている一方で、一部には騎士志望者の実地訓練用に獣が放逐されていたりする危険地帯もある。


 とにかく、学問であれ武門であれ「学び」に関わることは全てここにまとめてしまえ、という大雑把な思想が見え隠れする、いわば何でもありのこの場所が、私の通う学院であり、乙女ゲームの主要な舞台となる場所だった。


 周囲に目をやると、私が乗っているのと同じような馬車が列をなしており、それらが皆学院へ通う学生なのだと思うとこの国ってこんなに貴族がいたのねと改めて実感する。その中で間違いなくトップの家柄を誇るクレア様に相応しい友人とは……と思考がループしかかったところで、今度はアニーに軽く肩を揺すられて意識を取り戻した。おっといけない、もう着くんだったわね。


 馬車は既に大きく開け放たれた門を抜けて、学院の敷地内に入っていた。今通過したのが外門で、中にはさらに内門がある。馬車が入れるのは内門の手前までで、そこからは全ての学生が馬車を降りて改めて門をくぐることになるのだ。


「緊張していらっしゃいますか?」


 アニーに尋ねられて一瞬きょとんとしてしまう。緊張? 私が?


「誰に言ってるのよアニー。王宮の舞踏会にだってもう常連の私が、ほとんど座ってればいいだけの式で緊張なんて」


「お顔が強張っておいでですよ」


 そう言うとアニーは「失礼します」と私の向かいから隣へ移り、ふわりと優しく、だけどしっかりと私を抱きしめた。


「ち、ちょっと、アニー?」


「内門に着くまでの間です」


 いや時間制限とかそういうことじゃなくて! っていうかアニーってこんなふかふかだったの? いやその、クレア様を抱きしめたときもふかふかだったけど、アニーのはまた違ったふかふかというか、柔らかなところが存分に私の顔面に押し付けられているというか。しかもうっすらいい匂いがする! 香水とかじゃないんだけど、なんだろう、この匂い。これもまたクレア様とは趣が違って、なんというか安心する匂いだ。


「クレアラート様のことが気がかりですか?」


 抱きしめられたままでそう聞かれて、私は返事に窮した。

 アニーには相談にも乗ってもらってるし、いまさら隠すことでもなけれな隠せるものでもない。けど、私自身もよくわからないのだ。私はいま。緊張しているのかしら。


「お嬢様はご自分のことになると鈍感でいらっしゃいますから」


「そんなことないと思うのだけど……」


「先ほども随分と硬い表情でいらっしゃいましたが、自覚していましたか?」


「う、してない、わね」


 そんな顔をしていたのか。いやでも、きっと他の誰かなら気づかなかっただろう。実際、私がこうして考え込むことは屋敷でもあったが両親や他のメイドたちに何かを言われた覚えもない。舞踏会や茶会でも、私の完璧令嬢ぶりを仮面だと見破られたことは一度も無かった。

 表情が硬い、なんてそんなことに気づくのはアニーくらいだろう。


「……アニーには敵わないわね」


「大切なお嬢様のことですから」


 なんでもわかりますよ、と。抱きしめられたまま頭上から降ってくる声はいつもと変わらず淡々としたものだったけど、そっと梳くように髪を撫でられて不覚にも安心してしまった。肩の力が抜けて、アニーにされるがまま抱きしめられてしまう。それどころかほとんど無意識のうちにアニーの服の端を握ってしまっていた。子供みたいで気恥ずかしくなると同時に、守られているという実感が胸に沸き起こる。


 そうなってようやく、ああ私はさっきまで緊張していたんだ、と理解できた。


「無理をして繕わなくても、お嬢様は魅力的でいらっしゃいますから。クレアラート様もすぐにそのことに気づかれますよ」


 あの方もああ見えて聡いですから、と評価しているのか皮肉っているのかわからない言葉を添えながら、アニーの指は止まることなく優しい手付きで私の髪を滑る。


「アニーに言われたら、本当にそんな気がしちゃうじゃない」


「それは良かった。本当のことなのですから、ご理解いただけて何よりです」


 冗談めかして言うと、冗談めかした返事が返ってきた。

 私が小さく笑っていると、ぐっ、と馬車が止まる大きな揺れが伝わり、御者が扉を開ける用意をする物音が聞こえてきた。


「もう大丈夫よアニー……ありがとう」


「左様ですか。ご希望であれば式の最中も抱きしめて差し上げますが」


「もう大丈夫よ」


「残念です」


 今度は顔を見合わせて笑う。アニーの表情はほとんど変わらないが、口元が少し緩んで、目尻が下がっているのを見逃さない。あら、私もアニーのことならよくわかるのね。


 がたりと音を立てて馬車の扉が開き、昇降台のそばで御者が頭を下げた。

 先に立ち上がったアニーが御者とは反対の側に立ち、私に手を差し出してくる。その手を取って馬車を降りると、一気に周囲の喧騒が耳に届く。

 期待と不安の入り混じったざわめきは、前世の入学式で経験したものと同じだ。貴族とはいえそこはそれ、十五そこそこの少年少女たちの気持ちというのは世界が違っても似たようなものらしい。


 制服姿の学生たち――少々凝ったデザインではあるが前世のブレザーとそう変わらない。女子はこの世界では非常に短い膝上のスカートで、私もちょっと恥ずかしかった――が次々と学園の門をくぐるのを少しだけ眺めて、私は先ほどまでの不安よりも、期待とやる気が胸に沸き起こっているのを確かめる。


 よし、もう大丈夫。


 何をすればいいかはわからないままだけど、私を十年見てきた大事な人が「魅力的です」なんて言ってくれたんだもの、自信を持たなきゃ失礼ってものよね。


「行ってくるわね、アニー」


「行ってらっしゃいませお嬢様」


 深々と頭を下げるアニーに手を振って、私は一歩踏み出す。


 この先はもう、本格的にゲームの世界。クレア様の未来がかかった、私にとっての戦いの場だ。

 いつどこで誰と会ってもいいように気合を入れて、けれどアニーが太鼓判を押してくれた自然体で。矛盾していたってやってみせる。それが、完璧令嬢エルザベラ・フォルクハイルだもの。

 さ、まずはクレア様を探さないとね。

 そう思い周囲を見回した、その時。


「エルザベラ・フォルクハイルぅぅぅぅぅぅぅ!」


 聞き覚えのある声が怨嗟を込めて私の名を呼ぶのが聞こえて、思わず脱力した。せっかく気合を入れたのに、学院で最初に声をかけてくるのが貴女ですか。そーですかそーですか、いえ別に、いいんですけどね?


「……はぁ。はしたないですわよ、ミリエール様」


 短いスカートが翻るのも気にせずこちらへ全力疾走してきた少女、ミリエール・リュミエローズに、私は呆れ混じりにそう声をかけた。

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