勝負と幸福
「ミリエール様、私は今クレア様にお尋ねしていたのですけれど」
「ええ、わかっていますわ。けれどそのような質問、お姉さまがお答えするまでもない、とそう判断したまでですの」
公爵令嬢と侯爵令嬢の会話に割って入る、という普通の令嬢なら想像しただけでも卒倒ものの無礼を働いておきながら、ミリエール嬢は自信たっぷりにそう言い切った。
前世の知識がある私は彼女を物語上はモブキャラ程度の存在でしか無いと知ってしまったので居丈高な態度も生暖かく見守っているけれど……コレ、普通なら非礼を働いたと私の家に通達が行ってリュミエール家は出世というか、今後の世渡りに一つマイナスを抱え込むことになるのだけど、その辺り、ちゃんと理解しているのかしら。……してないでしょうね。
それ以前に。
「――ミリー」
「いいえ、お姉さま。この程度のことでお褒めの言葉を頂こうなんて私は」
「出ていきなさい」
「……っ、え?」
そういう無作法を一番許さないのは、私ではなくクレア様なのよね。
「あ、あの、お姉さま」
「聞こえなかったかしら? 私は今、貴女にこの会場から出て行けと、そう言ったはずなのだけれど」
マリーにねちねちと嫌味を言っている時とはまるで違う。マリーをいびっているときのクレア様はいじめたい欲が目一杯発散されてむしろ上機嫌なわけだし、人に聞かせるように話す以上は決して揚げ足を取られないよう、悪意はむき出しても間違ったことは言わない。
つまり感情はある程度セーブしているし、言葉を選ぶだけの余裕がある。
けれど今は。
「な、なんでですか! 私はただ、お姉さまがこのような女と友人になる必要などないと、そのことを申し上げたかっただけで」
「なんで、と? 今、まさかなんでと仰いまして?」
「……ぃ、ぃぇ」
「私のすることに口を出す、ええそれは許しましょう。曲がりなりにも貴女は私の友人ですもの。その言葉に耳を貸さないほど、私は狭量ではございませんわ」
クレア様は静かに、しかし沸々と抑えきれぬ怒りを滾らせて、深い海の底へミリエール嬢をゆっくりと沈めるように重々しく言葉を重ねる。
「私のためを思っての非礼。私の品位が損なわれますから望ましくはありませんが、貴女からの思いやりと思って受け入れましょう。私は友人には寛大に接すると決めていますもの」
耳を貸す、許す、と言いながら、そう口にしている最中も明らかに怒りが込み上げてきているのは傍目にも明らかだ。
私達を囲む令嬢たちはクレア様の思わぬ気迫にハンカチで額や口元を押さえて震えているし、クレアのすぐそばにいたリムちゃんは「はわわわわ」と震えてぎゅっと目をつむりながらマリーの背中に隠れてしまった。実は結構図太い少女、としてゲームの主人公を務めたマリーでさえ冷や汗を浮かべて固まっている。
「ですが一つ、ええ一つだけ、先ほどの貴女の行いのうちたった一つだけ、私にも許せないことがございましたの」
「ぉね、さま……っひ!」
「貴女、私の言葉を遮りましたわね?」
「――――きゅぅ」
あ、気絶した。
敬愛するお姉さまからの凄まじい怒りの覇気を受けきれず、取り巻き令嬢ミリエールはぱったりとその場に倒れてしまった。……合掌。ってそれは前世じゃないと通用しない文化ね。
そう、クレア様は非礼を決して許さない。ただしそれは、彼女自身ではなく、エルトファンベリア家に対するものに限られるのだけど。
先ほどのミリエール嬢の発言、その中身についてはあくまでも私とクレア様とミリエール嬢、その三者の個人的な問題であったから、それについてどう感じたにせよクレア様は彼女を許しただろうと思う。
けれど、先ほどミリエール嬢が会話に割って入ったとき、まさにクレア様は私の問いかけに答えようと何か言葉を発している最中だったのだ。
つまり立場上は私を攻撃したかったはずのミリエール嬢は、事実だけを見れば公爵令嬢の言葉を遮ったことになる。それも中堅貴族リュミエローズの娘が、国一番の貴族たるエルトファンベリアの娘の言葉を、である。
前世の記憶を取り戻してからこの世界について私が思ったことの一つに「貴族とヤクザはよく似ている」というのがある。
両者に共通する鉄則、それは「ナメられたら終わり」である。
その言葉がたとえクレア様のためを思ってのものだったとしても、上位貴族の言葉を遮るというのはそれだけで相当な失礼にあたる。子供のすることならばまだ許されようが、この場にいるのは全員が学院入学を控えた十五歳前後の令嬢たちで、十五といえばこの世界では成人年齢である。
つまり未だ未熟な貴族令嬢たちとはいえ、この場での発言にはこれまで私やクレア様も含めた全員がそれぞれ過ごしてきた子供時代とは違った責任が伴うのだ。
発言の一つ一つは全て「家の発言」と見なされる。
ナメた発言をかますような輩がいれば、言われた側もナメられっぱなしでは家名に関わる。ヤクザと同じで貴族にも、特に上級貴族であればあるほど、いつだって面子がかかっているのだ。
そんな中で、人一倍自身の家名の価値を重視しているクレア様にあんなことをすれば……そりゃまぁ、雷の一つも落ちるわよね。
そういう意味ではいつも何だかんだで口答えしているマリーにあの雷が落ちないのは、クレア様がきちんと彼女を王族として扱っている証拠でもある。その辺りはしっかり線引きしているのよね。もちろん私も、家格で劣るとはいえ規模でいえばほとんど同格の貴族であるから、多少のことではあんな雷は落とされない……と思う。
クレア様は使用人に命じて気絶したミリエール嬢を休憩室へ運ばせると「お見苦しいところをお見せしましたわ」と令嬢たちに微笑みかけてお茶会の再開を宣言した。場が仕切り直されたからか、先ほどまで私達を取り囲み固唾をのんで見守っていた参加者たちもめいめいのテーブルに戻っていく。
私が軽く目配せするとアニーも一礼して最初と同じく壁際に戻り、話の切れ目を良い機会と判断したのかマリーもそそくさと少し離れたテーブルに加わった。
残ったのは私とクレア様、そして「?」と自分はどうしようとキョロキョロしているリムちゃん。アニーと一緒に抜ければよかったのに、機を逸したらしい。
「……友人が失礼しましたわ」
「いえ。クレア様の振る舞いはご立派でした。謝られることも、恥じることもございませんわ」
「そう言っていただけると助かります」
はぁ、と疲れたような息を吐くクレア様を見て、私は内心少しだけミリエール嬢に感謝した。
クレア様は気疲れしただろうし雷を落とされたミリエール嬢にとっては災難だっただろうけど、おかげでクレア様はすっかり肩の力が抜けてしまったらしい。人前でため息なんていつもの彼女なら絶対に見せない姿を見せてくれるだけでも、私にとっては出来すぎたご褒美だ。疲れたクレア様も素敵ね、膝枕とかしてあげたい。
「とはいえ友人の非礼は私の非礼。先ほどの一件の埋め合わせは後日必ず致します」
「そんな。私は気にしませんから、どうぞクレア様もお気になさらないでください」
「そういう訳には参りませんわ。仮にもエルトファンベリアの名を冠した茶会場での、主催者たる私の失態ですもの。お詫びの席くらいは設けさせていただきます」
うーん義理堅いというかなんというか。お家のことが絡むと途端に私なんかの何倍も完璧な令嬢になってしまうのがクレア様の凄さよね。そして同時に、悲しいところでもある。彼女自身、家のこと以外では自分という存在を立てようとする意思が無いんだなぁと感じられてしまうから。
「それに、私はどの道もう一度貴女にお会いする必要はあると思いますわ」
「と、いいますと?」
会いたい、と言ってもらえるのはもちろん嬉しいけれど、目つきに込められた険の深さからして単に友好的な誘いでもないようだし。
クレア様は隣に立っていたリムの手から、改めて私が贈った首飾りをすくい上げると、私達のちょうど真ん中にそれを差し出して。
「貴女からのお友達の印、ひとまずは預からせていただきます」
「預かる、ですか」
「ええ。先ほどの騒ぎで有耶無耶になってしまいましたが、私は貴女からの友好の申し出、ありがたく思っていますわ」
お世辞ではない、だろう。エルトファンベリアにとっても、フォルクハイルにとっても、両家が関わりを持つのは悪いことではない。役職や婚姻にまつわるものとなれば話は別だが、あくまでも学院に通う娘同士が親しい、というだけならば形式上のしがらみは何も発生しないし、あわよくば都合の良い情報が転がり込む機会もあるかもしれない。
いわゆる貴族的お付き合い、その面で言えば私達が親しくすることは両家にとってそれほど重要ではなく、出来るなら作っておいて損はない繋がり、といったところだろう。
「ですが私たちはお互い立場ある家の子女です。私が贈り物一つでこれまでの関係を翻すなどとは、貴女も思っていないのでは?」
「……そうですね。そうであれば、と願ってはいましたけど」
「願う、なんて意味のないことですわ」
さすが、努力のクレア様が言うと重みが違うわね。まぁ、今日のことはどちらかといえば周囲の令嬢たちへのパフォーマンス的な側面も強い。そういう意味でも、改めて友人という肩書を名乗るのに、まだ何かが足りていないと言われれば反論はできなかった。
できないけど……そっかー。やっぱりまだまだ友達にも遠いのかー……。
「ああもう! そのように悲しい顔をしないでくださいな。私が貴女をいじめているみたいではありませんか」
がっくしと肩を落とす私を見かねて、クレア様が苛立たしげに言う。
「でもクレア様、私のような令嬢をいじめるの、お好きでしょう?」
まさかそんなストレートすぎる反論が返ってくると思わなかったのか、クレア様は一瞬大きく目を見開いたけど、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
「……いつもなら失礼な、と怒っているところですけれど。まぁ、嫌いではありませんわね」
そう言って挑戦的に笑う。そんな私と友だちになるつもりかしら? と挑発されているらしい。
「ともかく、そういう事ですから期間を設けましょう」
「期間、ですか?」
「ええ。七日後には私たちは皆学院生として同じ学院へ通うことになりますわ。ですからそうですね、その日から一週間。その間に、貴女が私の友人に相応しいと認めさせて御覧なさい。その時にもう一度お会いして、貴女が私の友人に相応しいと判断すればこの贈り物、改めて受け取りましょう」
つまり今日から数えてあと二週間のうちに、クレア様に気に入られてみせろ、というわけだ。それ以上の具体的な条件が何も設定されていない以上、判断は全てクレア様の一存。それに二週間とは言ってもおそらく今日が過ぎれば入学式までクレア様と会う機会は無い。つまり実質はやはりクレア様が指定した一週間しか期間がない。明らかに私に不利なルールだけど。
「望むところですわ」
「あら、こんな勝負に乗ってくるだなんてずいぶんな覚悟をお持ちのようね」
覚悟ね。どうやらこの期に及んで、クレア様は私がフォルクハイルの娘としてエルトファンベリアとのパイプ作りに躍起になっていると思っているらしい。
「いいえ違いますわ、これは自信です」
「自信?」
キョトンと首をかしげるクレア様に、今度は私が思い切り不敵に笑ってみせる。ライバル令嬢だって立場は結局悪役令嬢なのだ。こういう笑顔も得意よ、私。
「私、クレア様を想う気持ちでは誰にも負けない自信がありますから。それを、クレア様におわかり頂くだけのことですわ」
今度こそ予想外だったのだろう。ぽかんと口を開けて固まってしまったクレア様に、私はニコニコと微笑みながら近づく。
クレア様が悪いのよ。私の気持ちを煽るようなことを言うんだもの、その気になってしまうじゃない?
「ですので、私の気持ちを理解していただくために、少しばかり失礼をいたしますね? ーーえいっ」
「は?」
ぎゅむっ、と。思いっきり。正面からクレア様に抱きついた。
「んんー! クレア様からは甘い匂いがするのですね。クセになりそうですわ」
「な、なな、なぁっ」
「それにぬいぐるみみたいにふかふかでいらっしゃいます。髪のセットとドレスの着付けをした方にはお礼を言いませんと。こんなに抱き心地がいいなんて想像以上です!」
「はい! はいはい! お嬢様のお支度をしたのは私です!」
私より背の低いクレア様を抱きすくめるようにして美しい髪に顔をうずめていると、ぴょこんと隣で手が挙がった。見れば先程の少女、リムちゃんが背筋を伸ばした綺麗な背伸びと一緒に挙手している。
「まぁ! 偉いわリムちゃん!」
「えへへ、褒められてしまいました」
ほわぁ、とリムちゃんが微笑む。んんっ、可愛い! リムちゃんも可愛いけど! でもクレア様は譲りませんからね!
「なーーなにをしてらっしゃるのですか!」
ようやく状況を理解したクレア様がジタバタと腕の中で暴れ始めた。けど、もちろん私は腕の力を強めて逃さない。あああ腕の中からクレア様の声がする幸せほんと幸せいい匂い。
「ちょ、外れませんけど!? なんですのあなた、なんでこんなに力が強いのですか!」
「む、人を怪力みたいに言わないでください。ちょっと腕に覚えのある方に稽古をつけて頂いただけですよ」
言いながらちらりと「腕に覚えのある方」に目をやると「お嬢様、さすがです」と口が動いて身振りだけの拍手がかえってきた。もちろんアニーである。
アニーは私の専属として、屋敷の中だけでなく外出時にも基本的に常に一緒に行動している。逆に言えば、仰々しいのが嫌いな私はアニー以外に使用人を連れて歩くことは殆ど無い。
貴族の娘が侍女一人護衛ゼロで出歩くなんて、普通ならありえないことなのだけど、それを可能にしているのはアニーが護衛も兼ねているからだ。
本人は「ほんの嗜みです」と謙遜するけど、そこらのチンピラくらいなら五人相手にしても勝てる、というか私がまだ7歳の頃に実際に私を攫おうとした五人組を一人で叩きのめしていた。王都はそこまで治安の悪い場所ではないし、王都を出ない限りはアニーがいれば十分なのだ。
女の身でそんなことをやってのけるアニーは格闘の技術もさることながら、自分がどう力を入れて相手のどこを押さえれば優位に立てるか、そういう立ち回りも熟知している。
私は令嬢という立場上まともな格闘や護身術を習うことはお父様が不要と言って認められなかったけれど、その辺りの立ち回りや力学についてはこっそりとアニーから教えを受けているのよね。
つまり実のところ力が強いというより力を入れるコツを知っているだけなんだけど。でもそれで十分、むちゃくちゃに暴れるだけじゃ私の腕は外せまい。ふふふ。
「ああクレア様ぁ……すんすん」
「ひっ、か、髪を嗅がないでください!」
「大丈夫です、素敵な香りですから。クレア様のお名前を銘柄にして売り出せばひと山当てられる香りですから」
「誰も商品企画を持ってこいとは言ってませんわ! はーなーしーてーくーだーさーいー!」
ああ可愛い。ゲームの中ではツンケンした態度ばかりで、婚約者であるユベルに対してもデレる気配のなかったクレア様。目下の者には見下しを、目上の者には礼儀作法を忘れなかったゲームの「クレアたん」が、こんな風に真っ赤になって慌てる姿が見られるなんて……はー、転生っていうのもしてみるものねー。前世も合わせて私今が一番の幸福に包まれている気がするわ。
「うふふ、ふふ、ふへへへへへクレアさまぁあ」
「ひぃっ! 貴女、いつものキャラはどこに置いてきたのですか!」
「クレア様の前では、私も一人の女ですから」
「意味がわかりませんわーっ!」
絶叫するクレア様を抱きしめながら改めて思う。
こんなにも、小さくて、普通の女の子なんだ。わけがわからなくて取り乱して、慌てて、恥ずかしがって赤くなって。
こんなの、私と同じだ。
エルザベラではなく、前世の私がそう感じる。
前世でモニター越しに、決して触れられなかったクレア様が、今ここにいる。彼女の破滅を知っていて、手を伸ばさないなんてやっぱり私には出来ない。
――上等じゃない。
クレア様に友人と認めてもらうのが第一歩。一週間という期間は十分とは言えないかもしれないけど、時間がないのは私にとっても同じこと。少なくとも、何をすればいいかまるでわからなかった状況からは一歩前進したのだし。
でも、まぁ今くらいは。
「も、もう満足しましたわね? そろそろ離してくださっても――」
「いいえ、私の全身にクレア様の香りを頂くまでは離れませんわ。これで屋敷へ戻ってもクレア様の匂いを堪能できます!」
「いーやーでーすーわー!」
今くらいは、もう少しだけ。
あなたに触れられる幸せを堪能させてください、クレア様。
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