貴女のために

 会場の隅に他の令嬢の従者たちと並んで立つアニーに軽く目配せすると、アニーが一度頷いてこちらへやって来る。その両手に抱えられているのは手の込んだ包装がされた贈り物の包みだ。


「ではクレア様、こちら、私からの親愛の印です。どうぞ、お受け取りくださいな」


 アニーとぴったり呼吸を合わせ、私が最後の「くださいな」を言い終わると同時にアニーが包みをクレア様の前へ差し出す。

 プレゼント包装のせいで中身は見えていないのだけど……包みの大きさや包装から、クレア様ならば中身に見当はついているかも。とはいえさすがに、色までは予想できまい。そしてその色が、結構大事だったりするのよね。

 くふふ、といたずらっ子のようにニヤニヤしそうな表情をなんとか令嬢らしい上品な笑みに引き締め、クレア様の反応を待つ。


「……ありがとうございます」


 さすがに、この場で突き返されはしなかった。もっと身分の低い、下級貴族の家からの贈り物であれば「アナタのような貧しい方からいただくのは気が引けますわ」などと言って受取拒否される可能性もあったのかもしれないけど、さすがにフォルクハイル家の令嬢相手にそれをするほどクレア様は愚かではない。

 エルトファンベリアより爵位こそ低いが、フォルクハイルだって立派な有力貴族だし、所領の規模や経済事情も大差ない。エルトファンベリアにとっては対立した場合「確実に勝てるが無傷では済まない」相手、それが今のフォルクハイルだ。


 感情的に見えても喧嘩を売る相手を選ぶくらいの冷静さはきちんと持っているのもクレア様らしいわね。

 ……いやでも、煽られると耐性は無さそうね。そういう態度にも慣れてないでしょうし。ま、それは仲良くなったら冗談程度に試してみましょう。

 今はそれよりプレゼントね。


「どうぞ、中身をお確かめください」


「よろしいのですか?」


「ええ、ぜひ」


 本来であれば貰ったその場でプレゼントを開封するのは少々品のないことではあるが、今回はこちらから促して開けてもらう。

 気に入ってもらえるかは正直あまり自信がないのだけど、それはこの際置いておこう。ここで開けてもらった方が、きっと効果的だろうから。


「リム」


「ふぁ! はいっ!」


 クレア様に呼ばれてパタパタと駆け寄ってきたのはまだ十歳そこそこだろうと思われる小柄な少女だ。

 赤茶色の髪を一本の三編みにして垂らしていて、駆け寄ってくる間中垂れた尻尾のようにひゅんひゅんと大きく揺れている。

 小柄なクレア様と並んでも頭一つ分は確実に小さい。髪色を少し暗くしたような焦げ茶のくりっとした目と、そばかすが印象的だった。

 エルトファンベリア邸の他のメイドたちと同じ服を着ているので使用人の一人らしい。


「お呼びでしょーか!」


「開けて」


「はい!」


 元気いっぱいな返事と共にクレア様から私のプレゼントを受け取る。

 貴族屋敷に関わる者らしい気取った様子はなく、どちらかというと庶民の子供のような無邪気さがある子だ。毒気を抜かれたのか慣れっこなのか、クレア様も逐一その振る舞いを正そうとはしなかった。

 もしかして包装紙をまるごと破り取るんじゃ、という心配に反して手際よく綺麗に包装を解いていく少女。リム、というのは愛称だろうか。ん、ニックネーム?


 ……ハッ、これはまさか、クレア様を巡るライバル!? ライバルの出現なのかしら!

 なんてことを私が悶々と考えている間に包装を綺麗に取り払われ、リムちゃんの手に現れたのはーー。


「え? これってーーんむっ!」


 自分で解いた包みから現れたものを見て、リムちゃんは思わずといった様子で声を上げて、慌てて片手で自分の口を押さえた。私の贈り物が片手に乗る大きさでよかったですわね! ……ライバルってこんな感じでいいかしら。


 クレア様も言葉に迷うように視線を泳がせ、結局はもの問いたげな目で私を見返してきた。


 リムちゃんの手の中に現れたのは、シンプルなデザインの首飾りだ。

 シンプルといってもそれは大枠で見た場合の印象の話で、よく見れば細部には凝った模様が刻まれている。

 この辺りでは見かけない繊細な模様は、中央にはめ込まれた宝石が反射する光を絶妙に捉えるよう微に入り細に入り角度が調整された北国の職人技の一品で、角度によって、あるいは光の加減によっても見え方の変わるトリックアート的な一品である。


 この王都は当然のように政治と流通の中心で、国内の品であればよほど珍奇なもの以外は大概手に入る。無論、それには相応のお金が必要だけれど、王家に次ぐ二番手として名を馳せるエルトファンベリア家にお金の心配などするだけ無駄だ。だからお金を積めばすぐに手に入るものじゃクレア様にとっては珍しくもないだろう、ということで、丁度王都に滞在していた馴染みの旅商人から買ったものだった。


 大きな流通の流れに乗らない希少品や珍品を多く扱うその商人がうちのお父様は大のお気に入りで、いつも王都に来たと知るとすぐに屋敷へ呼んでほとんどの品を一通り買い込んでしまうくらいには馴染みのお得意様である。

 普段なら私は珍しい品々をほほーと眺めるだけなのだけど、今回贈り物を選ぶにあたって相談したところこの首飾りを見せてくれた。


 何より決め手となったのは宝石の色だ。


 首飾りの中央には仄暗さを感じるような深い赤色の宝石が輝いている。デザインの決め手となるインパクトはあるが、落ち着いた色合いで身につけた時にもうるさくない。それはそれは実に私好みの赤だ。


「赤、ですの……?」


 背中越しにどこかの令嬢がそう呟いたのが聞こえた。

 まぁ、当然といえば当然の反応よね。

 クレア様へアクセサリーやドレスを贈るなら多くの人間が彼女が好んで着る青か、それと噛み合わせのよい色味のものを選ぶだろう。実際に身に着けてもらえるかは別にしても、彼女の好みを把握した上での贈り物です、という体のほうが誠意として伝わりやすい。それに少なくとも「色が気に入らない」という理由で怒鳴られる危険は無くなるのだし。


 だから、真紅の宝石をあしらったものなどクレア様は贈られたことがないはずだ。贈り手の意図も読めないだろう。敵対的なのか、友好的なのかさえ。


 クレア様は王家を除けば国内最有力一派の頂点だと言っていいエルトファンベリアの長女。彼女が望むと望まざるとに関わらず、彼女への贈り物は「エルトファンベリア家のご令嬢」への贈り物として扱われてきた。


 なるべく失礼でないような金額で。

 なるべく失礼でないようなデザインで。

 なるべく失礼でないような品質で。


 もちろん下級貴族から商人や上流貴族に至るまで、エルトファンベリア家とパイプを持ちたい人間なんて数知れない。その一つの窓口として、社交界デビューも済ませた一人娘はうってつけだったに違いない。

 だからきっと、クレア様はこれまでたくさんの贈り物を受け取ってきただろう。美しいドレスも、愛らしい髪飾りも、上品な香水も、目新しいお菓子も。


 だけどそのうちのどれ一つとして、本当の意味でクレア様に贈られたものはなかったのだ。


 クレア様への贈り物はいつも、彼女の背後に大きくそびえ立つエルトファンベリアという家に向けられたものだった。贈り物は結局、クレア様ではなくエルトファンベリア家の令嬢のために用意されたものばかりで、例えば私がエルザベラ・エルトファンベリアであったなら、きっと色違いのものが一揃い私に贈られていたのだろうと、そう思えてしまう程度のものだったのだ。


 でも、私がたった今彼女に渡したものは違う。たとえ身勝手な理由から贈る物だとしても、それはクレアラート・エルトファンベリアという個人のために用意したものだと、その一点には胸を張れる。


「赤は私の好きな色です。もしかしたら、クレア様はお嫌いかもしれませんが……たとえこの身がお傍にいられない時も、私の心はクレア様の元に。そんな気持ちを込めた――お友達の印、ですわ」


 うーん我ながらクサかったかしら。でも嘘偽りのない本心だもの。まぁ、ちょっとばかし言い回しが令嬢というよりは騎士か従者のようだったけど。い、いいじゃない? ちょっと言ってみたかったのよ、こういうの。くっ、乙女ゲーム脳と笑わば笑え。このくらいじゃなきゃ死んでまで乙女ゲームに縋り付いたりしないわよ!


 ちらりと周囲に視線をめぐらすと、驚いた顔の令嬢たちが互いにヒソヒソと何事か囁きあっている。中には薄く頬を染めて興奮気味に早口になっている子もいた。


 うんうん、狙い通りね。


 贈り物を「色」で選んだのには理由がある。

 もちろん基本はさっき口にした通り、私をイメージするような物を贈りたかったってこと。これはアニーの「相手を想う贈り物も良いですが、時には相手に想われる贈り物というのも良いものです」というアドバイスによるものだったりする。私のいないところでもクレア様が私のことを考えてくれたら、素敵なことじゃない?


 や、まぁちょっと押し付けがましいとは思うのだけど、でもクレア様のイメージ優先で選ぶとやっぱり他の有象無象の贈り物に埋もれてしまいそうでちょっぴり怖かった、というのも本音だったり。それにこれまでの贈り物とハッキリと印象が違った方が、クレア様も自分個人への贈り物だと認識しやすいはずよね。


 そして赤、というか私自身をイメージする物を大勢の前で堂々と贈れば、私がクレア様の味方である、という認識はそう簡単には揺らがなくなる。それが何よりの狙いだった。


 例えばだけど。


 クレア様の良くない風評の大半は彼女の自業自得だけれど、中には身も蓋もない言いがかりもある。

 どこぞの令嬢を人目を忍んで使用人で囲んでいじめていただの、自分より美しい侍女に嫉妬した挙げ句一方的に解雇しただの、動物の餌を平民に食べさせて遊んでいるだの……噂というのは根拠のない方がぐんぐん大きくなるから厄介よね。まぁ、これは全部ファンブックの小説に載ってた話でゲーム本編とは関わりがないことなんだけど。

 誰かを追い詰めるのにクレア様なら影でコソコソいじめるなんて手段は取らないだろう。そもそも彼女の立場ならよっぽどマズいことをしない限り誰かに現場を押さえられたって口封じ出来てしまうのにわざわざ隠れる意味がない。


 あ、ゲーム本編における主人公への嫌がらせは例外としてね。あれは違うのよ、色々理由とか原因があったもの。それにはじめのうちはゲームのクレア様もマリーをいじめるのに人目をはばかるようなことはなかったし。


 侍女を解雇したのはその侍女の不真面目さが彼女の逆鱗に触れたからだし、わざわざ動物の餌を用意させ、街まで出向いて与えるほど彼女は平民という存在に興味がない。はいクレア様はやってない。証明完了。


 悪い噂が真実なら私はこれから友人としてクレア様を諌めていくつもりだけど、根拠もないかぶらなくていいはずの汚名はキッパリ否定していくつもりでもあるのよ。

 だからもう、思いっきりクレア様に肩入れする姿を、特に噂の発生源になるであろう令嬢たちの前で見せつけておくのだ。


 万が一にでも私がクレア様に同情しているとか憐れんでいるとか、そんな風に思われちゃ困るしね。

 私はむしろ、彼女を尊敬しているんだから。


「――とも、だち」


 だいぶ長いこと間を置いてから、やっとクレア様が発したのは私のセリフの部分的オウム返しだった。ほんの少し、声が震えていたようにも聞こえる。

 その震えを察したのか、クレア様の隣でリムちゃんも不安げに主の顔を仰いでいた。


「私の友人は、お嫌でしたか?」


「……嫌、では――」


「嫌に決まっていますわ!」


 え?


 改めての私からの問いかけに答えかけたクレア様の言葉を遮るように、甲高い声が会場に響いた。

 声の主はすぐにわかった、というか、彼女の方からこちらへ歩み寄ってきた。私、クレア様、マリーという三令嬢に物怖じせずに声を上げられるなんて、そんな肝の据わった令嬢がこの会場にいたかしら、と思いながら進み出てきた人物を見る。


「貴女はたしか」


「改めてご挨拶させて頂きます。リュミエローズ家長女、ミリエールですの」


 リュミエローズ、確か伯爵位の中堅貴族だ。取り立てて目立ったところのない、王都にいる貴族の中でも「普通」といって差し支えない家のはずだったけれど、こんなに目立つ娘がいたかしら? いえ、一応目の前の彼女とも何度か顔を合わせて形式的に挨拶を交わした覚えはあるのだけど、その時にはこのミリエールという少女もごく普通の大人しくてミーハーな令嬢だったと記憶している。


 なのに、目の前のこの子は何だろう。


 薄氷色のきれいな髪を巻き髪にして、ドレスは髪の色を深くしたような青で。物腰は少々芝居がかった派手さがあるもののきっちりと品があり、私の目にも令嬢として及第点と映るくらいにはソツがない。ああでも、こういった場で必要以上に大声を上げるのはマイナス査定だけれどね?


「そしてこの場で断言致しますわ。お姉さまが貴女なんかとお友達になるはずがございません。だってお姉さまのご友人、その席は既に――私のものなのですから!」


 びしっと私を指さして勝ち誇った顔をするミリエール嬢。というかお姉さまってクレア様のこと? エルトファンベリアのお庭はマリア様も見てらっしゃるの?


 というか――お姉さま?


「ッ!」


 思い、出した。というか、思い出させられた。

 ズキリという痛み――ただし以前よりはずっと軽く、わずかに顔をしかめただけで済んだ――が駆け抜けた直後、私の頭にはさっきまで無かったハズの記憶が浮かんでいた。


 ミリエール・リュミエローズ。私、というかエルザベラとの接点は本当に「挨拶をしたことがある」程度のもので、ゲームの登場人物にもそんな名前の人物はいない。


 でも、私は彼女を見たことがある。前世で。もちろんゲームで。


『おーっほっほっほ、貴女のような王家の面汚しに、殿下の婚約者は務まりませんわ』


『その通りですわね、お姉さま!』


 いた。確かにいた。

 ゲームにおけるクレア様には悪役令嬢らしく複数の取り巻きがいた。彼女たちは使い回しの立ち絵がいくつか用意されているだけのモブキャラだったし、セリフの名前表示も「令嬢A」とか「取り巻き」とかそんなだったけれど。


 その中に一人、クレア様の登場シーンにほとんどお約束のように毎回登場して、彼女を「お姉さま」と信奉する令嬢がいたのだ。おそらくシナリオライターがお遊びで入れただけのギャグ要員だったのだろうけど、確かにその子に充てがわれていた立ち絵は目の前で私に指を突きつけて不敵に笑う少女に酷似している。髪型とかドレスとか、こう、劣化版クレア様みたいな雰囲気まで、完全に一致する。

 つまりミリエール・リュミエローズ、彼女は。


 取り巻き令嬢、である。

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