ライバル令嬢、思い出す

「お疲れ様でした、お嬢様」


「本当、息が詰まる思いだったわ」


 馬車に乗り込むなりそう声をかけてきたメイドのアニーに、私は先程まで張りつけていた完璧令嬢の仮面を脱ぎ捨てて愚痴をこぼした。


「心中お察し致しますが、慣れていきませんと。次回までそう日もありませんし、その先を考えれば本日の席はほんの序の口かと」


「……嫌なこと思い出させるわね、アニー」


「これは失礼しました」


 きれいな銀髪を揺らして窮屈な馬車の中で器用に礼をしてみせるアニーに、もういいわ、と手で示して窓の外へ視線をやる。

 エルトファンベリア邸で行われた茶会を終え、今はその帰り道。アニーの言う通り、今日の一件はこれからのことを考えればまさに序の口に過ぎないのだろう。気は進まないが、今後のためにも傾向と対策はしっかり立てておかないといけない。

 改めて、先程の茶会での一悶着を振り返る。


 当事者は三人。


 代々続く宰相一族、国内で王族に次ぐ権力を持つされる三公家、その筆頭に名を連ねるエルトファンベリア家の令嬢にして、第一王子の婚約者、すなわち近い将来に王妃の席を約束されたクレアラート・エルトファンベリア。

 つい先ごろ、遊び人だった先々代国王の血を引いていることが証明されてしまい、唐突に庶民暮らしから王族――の分家へ引っ張り上げられたという、この上なく数奇な運命の持ち主マリーナ・ツェレッシュ。

 そして、王家、公爵家には家格で劣るものの、社交界にその名を知らぬものはなく、当代社交界の大輪と呼び声高い完璧令嬢こと私、フォルクハイル侯爵家の一人娘であるエルザベラ・フォルクハイル。


 ああもう、我ながらなんと面倒極まりないメンツかしら。


 同世代の貴族令息、令嬢たちの間では常に話題に事欠かないであろう三令嬢が、学院入学を機に今後は日常的に顔を合わせることになるなんて、これがゲームか小説なら三流だけどそこそこ売れてしまう、そんな登場人物のセレクトね。

 ……ゲーム?


「ゲームって何かしら」


 ぼそっと呟いた私に、隣のアニーが不思議そうに振り返ったのを気配で感じたが私はそれどころではなかった。

 自分の頭にぽんっとわき出したゲームという言葉にひどい違和感を覚え、その向こう側に何かが見え隠れする。確かに知っているはずなのに、決して知りえない何かがそこにある。そんな矛盾した確信と、今を逃せば全てを知る機会は失われるという根拠のない焦りが、私を思考の奥底に沈めていく。


 ゲーム、その言葉は知っている。ルールを定め、その中で勝敗を競うもの。騎士の闘技と同じようなもので、それを力のない者同士の間でも行えるようにした、対戦や娯楽のためのもの。

 けれどそこに、物語なんてあっただろうか?

 騎士の闘技にも、盤上の駒遊びにも、物語や登場人物なんて言葉は不似合いだ。けれど先ほど私は、当たり前のように「ゲームの登場人物」という言葉を使っていた。その意味するところはなんだ?

 考えれば考える程違和感は肥大し、先程までは気づかなかった部分にまで伝播していく。


 例えばそう、その盤上に集められた登場人物。

 クレアラート・エルトファンベリア。マリーナ・ツェレッシュ。エルザベラ・フォルクハイル。その名前を私は知っている。

 いや、知っているのはいい。自分の名前はもちろんのこと、あとの二人だって貴族なら知っていて当然の名前だ。でも私は、もっと前から、それを知っていて、名前どころか、もっともっと深い、ところ、まで。

 例えばクレアラートが常軌を逸した努力家であり、嫉妬と焦燥からマリーナに重傷を負わせそうになったことを知っている。

 例えばマリーナが、学園の中庭で第一王子ユベルクル殿下と初めて対面する姿を観たことがある。

 例えば私、エルザベラ・フォルクハイルが婚約者を巡ってマリーナとダンスの美しさを競ったことを知っている。

 そんな話を、私は見たことも聞いたことも無いはずなのに、見たことも聞いたこともあると確信している。本当に見たのだと言わんばかりにその姿がありありと頭に浮かんでくる。


「っ!」


 ズキリ、と頭蓋に亀裂をいれるような痛みがひときわ鋭く頭を貫く。

 それと同時に、とんでもない量の情報が、私の頭になだれ込んできた。


 ……知っている、わけだ。


 そりゃ、知っていて当然だ。私はこの世界で何が起こるのか、そのいくつかのパターンを既に「プレイしている」。

 だってここはゲームの世界。

 前世でしがない女子高生だった私が、脇目もふらずにどっぷりのめり込んでいた乙女ゲームそのままの世界に間違いないのだから。


 知っている、知っていますとも!


 マリーナ・ツェレッシュがゲームの主人公であり、第一王子ユベルクル・ヴァンクリード殿下を始めとしたイケメン貴族たちと大恋愛を繰り広げることはもちろん、クレアラートとエルザベラ、私達二人がとあるルートにおいて彼女の恋を阻む、悪役令嬢であることも。

 そして前世の私が最も入れ込んでいた、ゾッコンだったと言っても過言ではないどころか物足りないほどに大好きだったのがその。

 悪役令嬢クレアラート・エルトファンベリア、もとい。


「クレアたん、に」


「は?」


「クレアたんに嫌われたぁぁああぁあぁあああ!」


 隣のアニーのこともすっかり忘れて絶叫した。それはもう、この世の終わりかってくらいの絶望を滲ませて。




 エルザベラ・フォルクハイル、十五歳。

 前世の推しはイケメンヒーロー、ではなく。

 ――――悪役令嬢クレアたん、なのだった。

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