クラスメイトなら少しは遊ぶだろう
翌日はジリリリリリリという目覚ましの音で目が覚めた。桜庭は夢の感触を思い出しながら、ぱちりと目を開けて起き上がり、目覚まし時計をぶっ叩いてぐるぐるとうなっている甘野老を見た。どうやら朝は苦手らしい。
桜庭はそういえば甘野老は朝も走ると言っていたな、と思い出して、ベッドをソファに戻して、寝巻からスポーツウェアに着替えた。
桜庭が着替え終わっても甘野老がベッドから出てこないので、「……It's five o'clock」と声をかけた。するととんでもなく悪い目つきで睨まれて、「I am not good at morning」と言われた。それから「準備するから先に顔でも洗っていろ」と言われたので、桜庭はすごすごと洗面所に向かった。
桜庭が歯を磨いて、顔を洗い終わった頃にやっと、寝巻のまんまの甘野老が、やたら不機嫌そうに洗面所に現れた。ぶつぶつと汚いスラングで朝を罵っている。そういえば、この季節はもう外が明るい。窓から差し込む東の太陽が、少し眩しくて、目を眇めた。
そうして、横で顔を洗っている甘野老を見たら、ああ、天使みたいだ、と、思った。うつくしく整ったエキゾチックな横顔に、透明な水滴がついている。怖いばかりのイメージだったが、こうして隙があるときに見れば、甘野老こそ、天使のように、うつくしい。
桜庭が早めに外に出て、念入りにストレッチをしている頃になってから、スポーツウェアに着替えた甘野老が玄関から出てきた。顔を洗って少し目が覚めたのか、いつもの仏頂面に戻っている。甘野老も朝だから、と念入りにストレッチをしてから、昨日と同じコースを走りだした。
桜庭はそれに1kmだけついていって、約12分のインターバルを置いて、戻ってきた甘野老にペースを合わせる。朝はクールダウンを違う方法でやるらしく、速度が落ちていない。甘野老の呼吸は少しだけ乱れていたが、心拍数的には130程度を維持しているようで、桜庭は少しだけ羨ましかった。
ランニングを終えると、甘野老は「Come on!」と桜庭を裏庭に連れていった。そこにはバスケットのゴールと、物入れにバスケットボールが入っていて、桜庭を驚かせた。
「45分は昨日の復習に使うとしても、あと30分はある。少し遊ぼう」
甘野老にしてはらしくない誘いに、桜庭はおどろいた。けれど、悪くはないと思ったので、桜庭は甘野老がパスしてきたボールを、なつかしく、両手で受け取った。
「フリースロー?ミドル?ロングレンジ?」
「同じポジションなのに1on1以外で勝負する馬鹿がどこにいる」
はじめ、甘野老がオフェンスだったので、ディフェンスの桜庭がボールを持ち、甘野老と適切な距離を保ってパスを出した。そこから甘野老はしばらくぶりらしいボールの感触を確かめてから、レッグスルー、バッグ、フロントといくつか基本のボール回しをして、腰を落とした。
桜庭も腰を落として沁みついたハンズアップをする。
「教科書通りのマンツーマンディフェンスだ。でも、お前のチーム、中学じゃマンツーマンでなく、ゾーンだったろ。俺はフェイストゥフェイス(もっと近く)じゃなきゃ止められない」
甘野老はそう言いながらシュートフォームに入り、桜庭が追いつく暇もなく、見惚れるほど綺麗なシュートフォームでボールを放った。フォロースルーまで完璧だった。それはパッというキレイな音を立ててリングの真ん中を通り抜け、網はリングの上まであがった。桜庭は、そうだ、こいつにはスリーポイントシュートもあるんだった、と、茫然とゴールを見た。
次は桜庭のオフェンスだった。桜庭のスリー成功率は現役の頃でも6割か、よくて7割だった。オフェンスでポジション柄、しかも上背はともかく、筋力で優っている甘野老からリバウンドと取るのは難しいだろう。桜庭もボールの感触を確かめたくて、いつものルーチンをやった。
パスされたボールを手の中でシュルシュルと回して、2回、両手でドリブルをする。そうして、フロント、バッグ、足回しをしてから、腰を落とした。甘野老のディフェンス位置は正確だった。桜庭がスリーを打とうとしても手が届く範囲で、それでもって抜きにかかったとしても手が回る。身長差だってある。
こういう時はフェイクを多用しなければならない。実は桜庭はフェイクが得意中の得意だった。ドリブルを始めてしまったからこの場所からはシュートフェイクしか使えない。それも低確率でのシュートになるし、ロングレンジでのシュートがどれくらい衰えているのか、桜庭にはわからない。
だからまず甘野老の右を抜く素振りを見せた後、その回ってきた腕を左腕と胴体でカバーして、視線のフェイクを入れた。そして実際身体の後ろで一回ドリブルをし、ボールを左手に持ち替えた後に、足の間に突いて右に戻し、甘野老の体重が完全に左に寄ったのを見て、そのまま右を抜けて、甘野老の立て直しの速さを計算に入れ、レイアップを捨ててすぐにミドルレンジで、さらに保険をかけてフェイドアウトショット(後ろに傾きながらジャンプして打つシュート)にした。桜庭が一番得意だったショットだ。保険をかけていてよかった。フェイドアウトしていなければ、甘野老の指はボールに触れていただろう。桜庭のシュートはボードに当たったが、ちゃんとリングにおさまった。
「……あの体勢からフェイドアウトは流石に止められないな……あと何回フェイク入れるんだ、お前。目線までフェイクとか、さらにフェイドアウト……中学のレベルじゃないだろ……」
「……フェイストゥフェイスディフェンスは苦手だ。俺は攻撃的なディフェンスがダメで、相手ボールの確保成功率が低いタイプだから……。スリーがあるポイントガードほど厄介な奴はいない。でもスリーは、才能より努力だ。あんな綺麗なシュートフォームに、トップまでの到達スピード……あんたこそ中学レベルじゃない」
「……もしかして、お前フェイクが得意で、ロングレンジが苦手なのか。だからフェイクとパスに特化して、ゴール下に入り、……仮定の話になるが、ノールックでボールを外に出して、山のようなフェイクでセンター外してショートレンジ……」
「あんたこそ、スリーあるって見せつけといて、ゾーン崩すだろ。そして相手がフェイストゥフェイスで来たら……フリーの味方にノールックのフェイクパスか、最低限のフェイクでゴール下……。ロングレンジが得意で、フェイクが苦手なタイプだ。ポテンシャル……悪く言えば力任せにプレイしてるから、ショートはともかく、ミドルレンジ、苦手なんじゃないか」
2人して、もう終わった夏のことを思い返して、最後にフリースローを10本ずつ放った。甘野老は9本入れて、桜庭は5本入れた。
甘野老のルーチンは右手、左手でV字に2回ドリブルをしてから、上を向いて、額にボールをつけて、そこからシュートフォームに入る。桜庭ははじめにやったように、両手の中でシュルシュルとボールを回して、そこから両手で2回ボールをバウンドさせる。そうしてから下を向いて、額にボールを当ててから、シュートフォームに入るというものだった。
甘野老は天井の照明や観客席の雑音で心が鎮まるらしいが、桜庭は自分の中にだけ、静寂があった。そうこうしているうちに、時間が過ぎて、2人は慌てて部屋に戻った。その日の朝のおさらいは、いつもよりなんだか捗った気がして、疲れているのに、桜庭は少し、不思議な心地がした。
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