未来で待っていてくれたウンメイ

 その日の帰りに桜庭は時計を見に行ったのだけれど、そういえば、と自分の左手首を見た。そこにはロザリオが巻かれている。桜庭は右利きだ。右利きの人間が腕時計をつけるのは左腕。右腕につけると書き物をするとき邪魔になる。


 慣れるということは普段から身に着けておかねばならないだろう。どうしたものか、と考えながら家に帰って、夕飯の席でそれを父に相談した。父はこないだ論文の発表を終えたばかりで、今は少しばかり暇をしていたのだ。


 桜庭の話を聞いた父は、にこりと笑った。桜庭はこの笑顔をよく知っている。桜庭が自転車に乗れるようになった時や、桜庭がはじめて学年1位をとったときにも、父はこんな笑顔になった。


「ああ、それなら私の懐中時計をあげよう。古いけれどスイス製で、チェーンは引き輪だからベルトに着けてスラックスのポケットに入れるといい。祖父が晩年、祖母への贈り物に、と、ロザリオと同じノイジルバーで作ってもらったものだから、ロザリオと合わせても違和感がないはずだ」


 父はそう言って、書斎の戸棚に飾ってあったものを、桜庭に手渡してくれた。それは銀にうっすらと金をかぶせたような不思議な色合いで、見た目より軽かった。そして蓋がついており、その蓋には花のようなものが彫られていた。はじめバラの冠からバラかとも思ったが、それにしては花弁が丸い。桜庭がなんの花かと父に尋ねると、父は左上を見上げた。


「あー、たしか、ベゴニアだ。祖母が、祖父からプロポーズの時に受け取った花らしい。花言葉は『思い出』……そして、『公平』だったかな。……ああ、なんてことだ、すごいぞ、春人、これは運命だ!春人の誕生花もベゴニアなんだ!この時計はこの小さな書斎で、春人が大きくなるのをずっと待っていたに違いない!」

「……思い出……公平……ああ、ありがとう、父さん。大切に使う」


 桜庭は、これから一緒に時を歩んでいくだろう懐中時計をぎゅっと握りしめて、自分の洗礼名を思い出し、そして父親の目を見て、そう言った。父親はその瞳に少し驚いてから、小さく頷いた。桜庭の誕生日は、7月1日だ。


 それから桜庭はその時計を、肌身離さず持ち歩いた。チェーンは校則違反だったので、母に頼んでスラックスのポケットの中に留め具をひっかけられる、輪になった細い布をつけてもらい、チェーンごとポケットにしまった。こうすれば落としても地面に到達しないし、手元で見るぶんに支障はない。インターバルの時に甘野老あまどころに時計を見せたら、「利便性には欠けるが、いい時計だな」とだけ返された。


「この時計は、長年父の書斎で眠っていた。その時計に彫られていたのが俺の誕生花で、これから俺の時間を教えてくれるんだ。父も、運命だと言っていた」

「……誕生花……」

「ベゴニアという花らしい」

「何月何日」

「……7月1日……」

「……俺も7月生まれだ。……7月31日」

「そう、なのか。このあたりは、7月はかなり暑いよな」

「……アメリカの夏の方が暑いがよっぽどカラッとしていて過ごしやすい。冬はクソみたいに寒かったがな。日本の夏は蒸し暑くて嫌いだ」

「……あんた、アメリカに行ったこと……住んでたことがあるのか?」

「ああ、住んでいた。……俺の父はコロンビア人だが、いつだったかコロンビアとアメリカで同盟が結ばれてな。その同盟が締結されてもコロンビアの治安は酷いもんだったらしい。今でもそうだろう。実際、コロンビア内戦が勃発した。その内戦が激化する前に、俺の祖父は家族を連れて同盟国であるアメリカへ移住したんだ。……あまりひけらかすもんじゃないが、富裕層だったんでな。それからアメリカで起業して、アメリカンドリームってほどじゃないが、そこそこ成功した。もともとの資産もあったしな。けど……ブラックマンデーだ。……まだ現代社会でもやってなかったな。で、その時すでに祖父は他界していて、俺の父が会社を継いでいた。父の会社もかなりの損害を出したが、倒産までには至らなかった。それからなんだったか、レーガン政権が危ういのを察知して、父は景気回復の見込みが一番高かったのと、母の財閥がある日本に目をつけた。俺の母の先祖は華族で、それなりの派閥を持つ企業の一人娘だった。父は婿養子で、だから俺は日本国籍なんだ。アメリカの世界恐慌後の散々な有様を見ていた母方の祖父母も父の企業を心配していてな、日本に支部……もう本部のようなものだが、を作るという条件で投資をしてくれた。それで父はアメリカの会社を弟に任せ、日本に赴任してきた。俺が7歳……いや、6歳の時だ。だから俺は6年間アメリカに住んでいた。……それまで話していたのは全部英語だ。日本語は母に少し教わっていたのと、あとはこっちに来てから勉強した。なんでこんなひらがな、カタカナ、外来語、漢字なんてバカみたいに複雑でなんならオノマトペまでに執着する面倒な言語を作り出したんだ『fuckin' Jap!!』なんてほざきながらな。父はそこまで日本語がうまくないから、今でも家では英語で会話している。母も翻訳や通訳の仕事をよくやっているし、アメリカ暮らしが長かったから日本人でも英語を使う。……少し、話し過ぎた」

「じゃあ……」


 桜庭が「あんた、英語得意なのか」と聞こうとしたときに、ピッと音が鳴った。2人はまたいつものように勉強を始める。思い返してみれば、甘野老の使う和製英語は、発音がどこかおかしかった。いや、おかしいというより、発音が正確すぎた。学年主任と話をしたときも、聖書を英語の方で引用してから、それを訳していたようだった。けれど、そんな財閥と、大企業の息子に生まれて、その会社を継がないなんて選択肢、用意されているのだろうか、なんて、桜庭は頭の隅で考えたが、それより、今のところは英語の構文を覚える方がずっと大切だった。


 そして、45分の勉強と、15分のインターバルを何回も何回も繰り返しているうちに1学期が終わり、期末テストの結果が出た。桜庭は入試時の54位からかなり順位を上げて、学年で11位だった。あと2点でトップ10に入れたのに、と、上位50人だけ張り出された学年順位とその点数を見て、落胆した。そしてその横でそれを眺めている甘野老は、学年1位だった。もちろん英語は100点。小学生から勉強しはじめたという現代文も97点だった。桜庭は足を引っ張ったであろう英語の点数と、甘野老との差を感じて、掲示板の前で唇を噛んだ。


 そして初めて、インターバル外で甘野老の目を見て、「次は、負けない」と言った。甘野老は「譲ってやるほど、俺は甘くない」と返した。


 桜庭は次々と返却される答案を見ながら、英語のところで、やはり歯噛みした。覚えなくてはならない単語は3年間で1000を超えるし、その意味もまた、文章の中で違ってくる。そしてリスニングに至っては散々だった。


 日本人は英語が喋れないと言われ続けている意味がようやくわかった。桜庭がはじめて英語に触れたのは中学であったし、そんな年からじゃあ頭に詰め込むしか方法がない。どう足掻いたって、日常的に家庭という限定された場所でとはいえ英語を使っており、6歳までは日常が英語で埋め尽くされていた甘野老には絶対に勝てない、と、思ったところで、桜庭は自分の席から見て1番左の、前から2番目の席を見た。そうしたら身体が勝手に動いて、そこにたどり着いていた。


「……なあ」

「なんだ……今は『インターバル』じゃない。話しかけるな」

「あ、明後日、から、夏休み、だろ」

「……」

「……15分の話し相手、欲しくないか」

「……結論から言え。歪曲した会話は嫌いなんだ」

「頼みがある」

「……なんだ」

「あんたの家、家の中ではみんな英語、なんだよな?」

「ああ」

「……友達でもない奴からこんなこと言われても困るだろうが、頼む、……ホームステイ、させてくれ。短い期間でも、いい、から」


 甘野老は少し腕を組んで考える仕草をした。


「俺、英語ダメなんだ。でも、夢、叶えるのに、英語はマスターしなきゃどうしようもない。……俺は、JAXSA……いや、NASAに、就職したいんだ……頼む……」


 桜庭はフードを取って、まばゆい金髪を晒してまで、頭を下げた。クラスの一部がどよめくのが耳に入ってきたが、そんなのは気にならない。夢をかなえるためならなんだってしたい。できることはなんでもやっていきたかった。


「……わかった、が、俺は……ガキだ。親の許可がいる。食事、洗濯、その他諸々、ガキ1人分金がかかるんだからな。都合がつけば今晩聞いてみる。あと、お前だってガキなんだから、親の承諾、とれよ」

「……っわかった」

「……家の電話番号、教えろ。話がついたらかける。……一応、俺の家のも、教えてやる」


 桜庭は今度は違う意味でこぶしを握り締めた。1997年の夏が、ふたりを包み込んで、うざったい湿気と、暑さだけ、吹き飛ばしたようだった。ここには、海が眩しくて、天の川がくっきりと見える、夏だけが、ある。


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