図書館というセイイキ

 それから桜庭と甘野老は、昼食を化学室で一緒に過ごし、放課後を図書室で共に過ごした。15分のインターバルは、いつの間にか交互に話題を出し合うきまりができて、甘野老も、桜庭も、日常の何気ないことや私生活での些細な変化、そして宇宙のことを、話した。


「そういえば、遠野先生にロザリオを見せたのか」

「ああ、おそらく19世紀前半に作られたものだろうと。装飾が綺麗だとも言ってくれた……ただ……」

「なんだ」

「あんたの言ったように、もとのかたちは喪われてしまった」

「……そうだな。物にも、生まれたかたちがある。使われてゆくうちに、年を重ねる。そして、壊れてしまえば、もとのかたちには戻れない。人間が骨折したり、筋を痛めたりしたらもとのかたちに戻らないように、主は等しくそう定めた。……残念だったな」

「……ありがとう」

「礼を言われることは何もしていない」


 そして、ピッと音が鳴ったので、甘野老も桜庭もまた、辞書や教科書を開いた。使い込んだ辞書が、うっすらと厚みを増している。ページを閉じると、いつも触る高さのところだけ、色が違ってきているし、よく引く単語にはカラーペンで印がついていた。物も、年を重ねる。不思議だった。今まで意識していなかったけれど、小学校の時から使っている机も、中学から使っているシャープペンシルも、年を重ね続けている。そしていつか寿命がくるのだと思うと、少しだけ、悲しかった。


 その日の帰りは雨だった。雨の日は甘野老も走らないらしい。変わりに家での筋トレメニューを変更するらしいのだ。桜庭と甘野老の家は同じ方角だったので、はじめて一緒に帰った。けれど15分のインターバルではよくよく話すのに、この帰り道では全く、話さなかった。15分ほど歩いて、そこからバスに乗る。バスに乗ったら、2人は教科書を開いた。そうしたら本当に話題が無くなって、20分ほどで甘野老が降りるバス停に着いた。甘野老は桜庭に視線だけ投げてよこしたが、「じゃあな」とも「またな」とも言わなかった。言わずともいいことは、甘野老は口にしないことを桜庭はもう知っていたので、目線で返した。まっすぐに、甘野老の目を、見つめ返して。



「おい、お前、時計は持たないのか」


 ある日のインターバルに、甘野老が桜庭にそう尋ねてきた。


「……ああ、学校ではそこらじゅうに時計があるし……」

「センター試験だと自分の時計を使う。早めに買って、模試で慣れておいた方がいい。それから、シャープペンシルも鉛筆に変えた方がいいな」

「……マークシートは鉛筆だからか?」

「それもあるが、鉛筆は削るだろ」

「……そう、だけど、それが……」

「小さくなって、もう削れなくなった鉛筆の山は、自信に繋がる。自分はこれだけ文字を書いてきた、勉強してきたんだってな」

「……あんた、すごいな。……でも、どうしていつも俺にアドバイスをくれるんだ。別段、……友達でもないだろう」

「……見るに見かねて……それから、これは言うのが嫌なんだが、かせ……よく家に来る奴が、うんざりするほど世話焼きで、従兄弟がとんでもないかまいたがりなんだ。多分、それがうつった。こないだ、法事で集まったからな。父はともかく、母の家は仏教徒だから」


 桜庭が「その人たちは……」と言いかけたところで、また、ピッと音が鳴った。桜庭は、言葉を飲み込んで、今日の帰りに少し時計屋を覗いていこう、と、頭の隅にメモをした。それから、自分が期待していた応えがかえってこなかったことに、少しばかり、落胆をした。けれどそんな思考も、全部数式や公式、英単語、古文、漢文に押し流されて、気にならなくなる。この図書室は、聖域だ。ふたりだけの、友達でもない、ふたりだけの聖域。


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