第2話

 ――7年前。


「前世の記憶がある?」


 ここはとあるカウンセリングルームの一室。


 ある日突然原因不明の高熱に三日三晩うなされた後、前世の記憶らしき膨大な情報をインプットされた脳はパニックを起こした。

 なんで! どうして!? 周囲の静止も気に留めずこれまた三日三晩のまず食わず、泣きながらパソコンに向かい調べものしまくっていたようで。

 そんな幼い我が子の様子にびびった両親は平良をなだめてとりあえずカウンセリングを受けさせることにした。

 そして至る今。


「と思い込んでるだけなのかも……」

「でも自分が体験したような具体的な記憶なんだよね?」


 カウンセリングの先生の言葉にこくりとうなづく。

 口ではそう言うものの自分では思い込みではなく事実だという認識がはっきりとある。

 もしかしたらこれは意識不明の『私』が見ている夢で元々の『糸帛平良』の体を奪っているだけなのでは? とも一瞬思ったが『糸帛平良』の記憶も自分の体験としてしっかり記憶に残っていたのだ。

 それでも自分が正常だとそのまま生活する気にはなれなかったわけで。

 それに……。


「前世の記憶がある。と言うのは別段珍しい事例じゃない。それに聞いている限りだと高熱を出した日を境に口調まで大人っぽくなっていると……」

「……それは」

「人間、急に幼くなることはあっても賢くはなれないからね」


 元から超絶賢いことを隠していたわけじゃないんだよね? と軽く茶化すような物言いが平良にとっては逆に安心できた。

 しばらく世間話のような会話を続けると平良から先生に向けてある種の信頼感が芽生えていた。

 これならもう一つの懸念を相談しても大丈夫かもしれない。


「……ホントに悩んでいるのは前世の記憶がどうとかじゃないんです」

「というと?」

「この世界が前世でハマっていた乙女ゲームと既視感デジャヴがあるんです」

「それってつまり君はこの世界は創作物の世界であると……?」


 そこまでは思っていないと首を横に振る。

 持論になってしまうが、本当に創作物の世界なら『世界』の始まりは物語の始まりと同じじゃないとおかしいのでは? と思うからだ。

 しかしこの世界にはこの国以外の国があり、歴史があり、社会があった。

 パニックになって三日三晩パソコンで調べまくったのはそのためだ。

 下手に中世を舞台にした世界じゃなくて良かったと思う。

 ――調べまくったことでまったく別の絶望が待ち構えていたわけだが、それはまあ置いといて。


「その乙女ゲームは『迷宮のサンドリヨン☆イケパラ学園で底辺美少女が見初められて溺愛(意味深)されちゃいました☆』てタイトルで……」

「何その地雷臭漂うクソタイトル」

「ひょんなことからお金持ち学校に通うことになった一般庶民の女の子が、婚約者持ちの社長令息とか某有名大学教授の検事志望の次男とか攻略して溺愛される系学園乙女アドベンチャーです!」

「え、略奪物なの?」

「NTR地雷です!!」

「何でハマってたの!?」


 冷静に思えば自分でもなんであんなにハマってたのかわからないが言い訳させてほしい。

 当時とあるゲーム会社がある企画を立てた。

 ウェブ小説投稿サイトで一大ブームになっていた乙女ゲー転生もの。その中でも特に人気な婚約破棄される悪役令嬢に転生してあれこれする系のそれ。

 その世界観の元になる王道たる乙女ゲーは本当に成立するのか? 

 そんな半ば実験作のような乙女ゲームを作ってしまったのである。

 それはもう本気で力の限り作ってしまったのである。

 転生前の『私』が大好きだった神絵師を迎え、シナリオ監修は数々のミステリー映画などを手がける脚本家に土下座して、人気声優はふんだんに、考えうる限りの最高のクオリティーでリリースされてしまったのだ。

 タイトルは投稿サイトからの派生という側面もあるため仕方ないが、時代の流れが残酷だったとしか言いようがない。


 ――悪役令嬢ものがマイブームだった『私』がハマってしまうのは必然だったのである。


 そういえば二次創作も特に禁止されてなかったから、それを題材にした悪役令嬢視点とか逆転ざまぁとかも溢れかえってたっけ……。

 閑話休題。


 そんなことを無意識にまくし立てていたのか、ぜぇぜぇと息を切らした平良に顔を引きつらせて冷や汗を流す先生。

 完全にドン引きされていた。びーぐるびーくーる。

 すーはーと興奮した体を落ち着かせつつ座りなおす。


「すみません。興奮しすぎました……」

「いやいいんだよ。それでどうしてそう思うのか話せる?」

「……えっと、どこから話していいのか」

「いいんだよ。ゆっくり話しやすいところから話して」


 ありえないと態度に出すこともせず、やさしい声色で話を促されることに嬉しさがこみ上げる。

 緊張で下がりきっていた体温が元の温度を取り戻す。力が抜ける。

 説明をしながら感じていた焦りが徐々にほどけていく。

 希望が見える気がした。プロの仕事すごい。


 簡単にまとめるとこうだ。

 話の発端は両親が電話で話しているのを偶然聞いてしまった事から始まる。

 大企業と言うほどではないが、そこそこ業績を上げている会社の社長令嬢である平良に月福家から持ち込まれた縁談だった。力関係は推して知るべし。

 月福の名を聞いた平良はぶっ倒れた。

 そして三日三晩うなされながら思い出すのは、明らかに今の年齢より高い視点で繰り広げられる日常と乙女ゲームの画面。

 おそらくこの記憶の『私』は若く死んだであろうという認識を持って目を覚ました。


 そして世界は平良にとって別世界になっていた。


 まず乙女ゲームの中の悪役令嬢だと悟った。

 両親の名前は生まれてから今までずっと聞いていたはずなのに『乙女ゲームの悪役令嬢の親の名前』と知識だけが暴走している。

 乙女ゲームのモブに該当する人達にいたっては、いくら名前を教えてもらっても家政婦A、友人A、Bと役柄のような名前にしか聞こえなくなっていたのだ。

 過去をさかのぼって思い出そうとしても無駄だった。

 乙女ゲームの登場人物になってしまったと思わないとやってられなくなった。


 そう諦めたところで次に迫りくるのは未来の記憶。

 悪役令嬢お決まりのヒロイン妨害からの婚約破棄を経てのバッドエンドだ。


「……最初は夢と現実が区別できなくて混乱しているだけだと思ったんです。ネットで探してもこのゲームは存在しないし、ゲームと同じ流れで現実が進むにしても5、6年くらい後の話で何も証明出来ないし……」


 友人達は名前を呼べなくなったことで離れた。

 家政婦は名前を呼べなくて泣きじゃくる平良の頭をしょうがないねという表情で撫でてくれた。

 乙女ゲームの中にいるという認識が呪いの様に思えた。

 きっとバッドエンド回避すればこの状態だって元に戻る。

 そうポジティブに邁進出来ればまだましだったのだが、月福家との繋がり以外なにも取っ掛かりがなかったのだ。

 唯一流れを変えられそうなのは婚約自体をなかったことにすることだが、強く拒否したところで約束は反故にできないだろう。

 それに生前漁っていた類似の小説にあった『ゲームの強制力』というのも在る予感がしていた。

 

 先生の視線が手首に吸い込まれているのを感じる。

 思わずぎゅっと服装に合わせたデザインのリストバンドを巻いた自分の手首を視線から遮るように握る。


「……けど頭の中だけにしかない仮の現実が私を責め立てるんです。何とか行動しないと待っているのは破滅だけって」

「なるほど……」

「……こんな話含めて自分自身が信じられなくて」


 いっその事本当に頭がおかしくなったらよかったのに……。

 声には出せなかったが強くそう思う。

 先生は黙ってあごに指をかけて上を向いていた。

 その妄想は現実じゃないと説得する方法でも考えているのだろうか。


「じゃあ作っちゃえばいいね」

「は?」

「その前世でやってた乙女ゲームとやらを、この世界で」


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