8/3 紅い瞳/拉致

「――あとは遅れているバイル・ガロック指揮者の部隊が到着すれば、此度の作戦を開始することが出来ます。……問題は標的が増えた・・・ことですが、指揮官に問い合わせたところ“俺がくれば問題ない”とのことですので『ガーデン悪魔殲滅作戦・・・・・・・・・・』における標的は《|赤薔薇の屋敷(パーティック・ダン)》の主マザーと、もう一つ存在を確認された悪魔――通称紅瞳あかめの2人になります」


 なお、殲滅作戦において堕者による妨害が予想されますが、殺すこと、身体の欠損は許されていないので、身柄を拘束するにとどめるように注意して下さい。悪魔殲滅後には『解放の儀』を行います。―――以上。



 一方的な通信が途切れると、レマはちらりとノーティスに振り返り、問う。「だ、そうだよ。――どうする?」


 どうする。

 どうする――か。


 ノーティスはテーブルに広げた町の地図に指を滑らせる。


「この町ガーデンは《赤薔薇の屋敷》を中心とした約300㎞の楕円の形をしていて、大通りがいくつかある。悪魔の位置情報は“観測者”が察知してくれるとして、マザーはおそらく屋敷にいるだろうから……定石通りにいくなら紅瞳の悪魔の所在を抑えてからの一斉襲撃だろうな」


「ガロックさんの部隊はマザーの方に行くとして、ボクらはどっち・・・だと思う?」


「そりゃあ紅瞳の方だろ。自分らは“嫌われ者”だし。――でも、だからこそ動きやすいんだけどな」


 ノーティスは手招きしてレマにも地図を見るよう促すと、再び指をついと滑らす。


「所在地、それから逃走経路になりえるところには機関の連中が張り込むはずだ。この中で自分らがあの神父の男ともう一度説得出来る時間は、マザー襲撃までの短い時間だ」


「そうだね、悪魔が死んでから『解放の儀』をすれば、説得の意味がないからね」


 ―――『解放の儀』。


 それは悪魔との契約を白紙にし、堕者を只人に戻す行為のことだ。しかし、これには2通り存在する。悪魔が死ぬ前に実行するか、もしくは悪魔が死んだ後に実行するかで、大きく意味合いが変わってくるのだ。


 悪魔が死んだ後に『解放の儀』を行えば、堕者は只人になるのと同時に悪魔に関する一切の出来事を失う。しかし悪魔が死ぬ前なら、堕者は記憶を維持したままになる。


 ……普通なら、忘れる方がいいと思うだろう。でも堕者が悪魔と契約するのは、大抵その人にとって大事な何かを守るためであることが多い。その大事なモノすら忘れてしまうのだ。


 ――自分は、それが『解放』だとは思わないから。


 前にレマは救い上げる方法は一つとは限らないとは言ったが、エゴでもなんでもいい。自分がしたことも、大事なモノも、きちんと覚えているべきだと思うから。


「あの神父野郎が出現する場所は分からねぇーけど、………自分はシルビアちゃんに頼もうと思う」


「! あの子を巻き込むの?」


「……あの男が堕者の時点で、すでに巻き込まれてるようなもんだろ」


 神父の男はシルビアの兄だ。シルビアは兄のことを知り、そして自分らの存在に希望を見い出していた。それはつまりシルビアにとってもあの男のやってることは不本意なんだ。だとすれば、わけを話せば協力してくれる可能性が高い。


「問題はどうやってシルビアちゃんと接触すればいいか、だなぁー……」


 どうやら紅瞳の悪魔が起こしてる事件のせいで、シルビアたち未成年の女の子は屋敷から出ることを禁じられているようだ。

 さすがに屋敷に訪れる、なんて行為は危険過ぎるし。


「くっそぉ、紅瞳の悪魔のせいで!」


「―――ねぇ、ノーティス」


「時間ないってーのに!」


「ねぇってば」


「こうなったら変装して屋敷に潜入して、」


 ごすっ!

「っっっ!?」いつの間にか床に寝転がってる自分がいた。首の後ろが、なんかものごっつい痛いんですけど……っ!?


「――っぅをい!! 痛かったんですけど!? つーか痛いんですけど!?」


「うるさい。……いいから見て、窓の外。あれ、“シルビアちゃん”じゃないの?」


 慌てて起き上がって窓にくいつくように見れば、確かにシルビアの姿が――。

 弾かれたように踵を返すと、宿の部屋から飛び出し駆け足でシルビアちゃんがいた場所へ向かう。


「シルビアちゃ―――――んっ!!!!」


 手を上げて少女の名を呼ぶ――が、当の本人は顔を強張らせ、細くて暗い路地裏から目が離せないようだった。


 様子がおかしい……?


 まさか、と速度を上げて駆けつけつつ、すぐに剣を抜けるように構えて警戒する。


「―――あーあ、面倒なのが来ちゃった」


 何かに怯えるシルビアの前に立って路地を睨む。


 暗がりに光る、紅い双眸。

 沈むように重い、不快で不気味な魔力。

 どろりとした黒い影が、口を裂いて嗤う。


「あははっ、どうしたの? 固まってるけど、怖いの?――――ねえ。おにいさんには・・・・・・・私がどう見えてる・・・・・・・・?」


 ゆっくりと、ずるずると体を引きずるように路地裏から姿を現したのは――大きくて真っ黒な『蛾』だった。


「ま、ざー……」


 後ろにいるシルビアがぽつりと呟くのが聞こえた。彼女には目の前の『蛾』がマザーに見えるようだ。


「見る人によって姿が変わる――無形型の悪魔か」


 悪魔にも種類がいるらしいが、無形型の悪魔は珍しく、ノーティスも初めて見た。


「アンタが、紅瞳の悪魔だな」


 剣の柄を強く握り、すらりと剣を抜く。


「殺していいのかな? 作戦無視は、よくないと思うよ?」


「!?」こいつ、作戦のこと知ってるのか!


「あはっ。私はなんでも知ってるよー。マザーとか名乗ってるあの悪魔のせいで離れてたけど、元々この町にいたの、私だから。―――でも面白いことになってるから、戻ってきたんだ」


「面白い……?」


「だって見物でしょ、アレ・・は」


 なにかを思い出すようにくつくつ嗤う紅瞳の悪魔。


 ――確かに、こいつの言うとおり一応待機命令が出されているノーティスは、この悪魔と今ここで戦うべきか迷っている。この悪魔に関しては強さの程度が不明だし、何よりも今後ろにいるシルビアを守りながらというのはキツい。


 せめてレマがいれば良かったんだが……。


「あ、あの!」


 どうするかと考えていると、不意に後ろから声を掛けられた。


「友達が、」震える手で指差すのは、紅瞳の悪魔の後ろだった。暗くて見えにくかったが、よく目を凝らせば少女が横たわっているのが見えた。


「ん? ああ、返さないよ。――これは私の餌だから」


 そっちの子もね。


 不意に大きく羽を広げると――きゃっ、とシルビアが悲鳴を上げた。咄嗟に振り返れば、建物の陰に飲み込まれるように地面へと沈む少女の姿。

「シルビアちゃん!」手を伸ばして掴もうとした彼女の手は―――触れることも出来ずに地面へと消えた。


「―――っ!」


「残念でしたー。あはっ♪ ねえ、どんな気持ち? デュランダルの人間なのに、守るべき人間を守れないってどんな気持ち? あはははははははっ!」


 ぎりっと奥歯を噛み締めて悪魔へと剣を振るう―――が、

 ひらりと羽を揺らして軽々と避けると、横たわる少女を抱きかかえて、路地裏の暗がりへと溶けるように消えた。


「くそっ!」


 何も出来ず、しかもシルビアまで簡単に奪われ。

 己の無能さにガンッと壁を殴った、そのときだ。


「――――シルビア!」


 建物の屋上から飛び降りてきたのは、一人の男だ。

見覚えのある神父服、しかも濃い血のニオイがする。


「アンタ、」

「ちっ、遅かったか……!」


 シルビアの兄である神父服の男だ。

 男の方もノーティスに気付いて目を見開くが、すぐに顔を歪めると崩れるように膝をついた。

「お、おい……」なんだかすでに弱っている男に戸惑っていると、男の脇と腕から出血しているのが見えた。


 てっきり血のニオイはまた誰か殺してきたのかと思ったが……今回は自分のものだったらしい。しかも地面に滴る血の量を見るからに、かなりの手負いだ。このまま放っておけば死ぬかもしれない。


「………………………バレたら自分、厳罰もンだろうなぁー」


 男の腕を肩に回して「よっ」かけ声と共に彼の体を持ち上げる。当然だけど重い。

「なっ!?」男が驚いているが、ここは無視しよう。どうせこの出血だ、体はまともに動かないだろうし意識もほとんど朦朧としてるはず。……そうでなかったら、今頃自分の首は地面に転がってるだろう。


「遅かったね、ノーティス――――――は?」


 やっとの思いで宿の部屋に連れ込むと、レマが目を白黒させて驚いているのが見え、つい苦笑を零す。


「悪ぃ、レマ。こいつの怪我、治してくれるか?」


「………………事情はあとできっちり聞くから」


 男をベッドへ転がすと、レマが魔石を使って魔法を行使する。

 やけに大人しいなと思いきや、男は意識を失っているのか眠っていた。


「ノーティス」不意にレマが言う。「もう少し自分がどれだけ馬鹿なのか、自覚した方が良い」


 これには笑うしかなかった。……まったくもってその通り、自分はどこまでも馬鹿なのだろう。

 だけど。


「――そんな馬鹿の相棒やってくれてるレマは、もっと馬鹿だと思うけどな!」


「死ね」


 振り向きもせず投げた花瓶に額が直撃し、ノーティスは床に倒れたのだった。

 

 

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