5 悪魔と堕者


 事実に戻ってベッドにダイブすると、同室のミィーナが呆れたように「寝る前にお風呂入りなよ!」と言ってきて、シルビアは気だるい体を起こす。


「うーん……面倒くさいよぉ」


「臭い妹は、お兄さんも嫌いなんじゃない?」


「! お風呂っ、行ってきます!」


「ふふっ。――あ、待って! 私も行く」


 寝間着を抱えて二人で女性従業員専用のお風呂場へ向かう。


 途中の廊下でお兄ちゃんとマザーが何か小言で話しながら、二人の部屋に入っていくのを見て憂鬱になりつつ、どす黒い何かが湧き上がる心の内を洗い流すように、いきなり顔からシャワーを浴びた。


「――――ふぅ」


 湯煙で曇った先の鏡に、まだ吹っ切れていない表情の私の顔が映る。


 ……お兄ちゃん。


 最近あまり話せてない。私が避けてるんだから、自業自得なんだろうけど。


 それでも寂しくて。

 それに気付いて欲しくて。


 お兄ちゃんの隣に立っているのがマザーじゃなくて、私だったら、なんて思ったりして。


「悩めるシルビアちゃんは、お兄さんとの接触充電が不足しているようですなぁ~」


 浴槽から顔を覗かせるミィーナが、ニヤニヤと笑みを浮かべながら揶揄ってきた!


「むむぅ……! ミィちゃん他人事だと思って!」


「その通りだからね!」満面の笑みで肯定され、さすがにうなだれた。

 酷い。酷いよ、ミィちゃん。


「でもさ、シルビアちゃん。――言いたいことあるなら、ちゃんと言った方がいいよ。そうじゃないと……いつか必ず後悔するんだ」


「………ミィちゃん」


 ミィーナの寂しげな表情に、以前彼女が教えてくれた過去はなしを思い出した。

 ミィーナには父親がいない。どうしていないのかすら、母親が教えてくれなかったそうだ。その母親に一人育てられ、だけど悪い人に騙されて借金を背負わされて、気付けば母親と離ればなれになって、奴隷として売られ―――そしてマザーに拾われた。


 ミィちゃんには、家族がいない。

 もしかしたら母さんもお父さんもどこかにいて、いつか会えるかもしれない。

 でもミィちゃんは言った。「なんとなくだけど、もう会えないような気がするの」と。


 ミィちゃんは――ひとりぼっちになった。


 ……私には、お兄ちゃんがいる。血は繋がってないけど、それでも“家族”と呼べる存在がいる。

 私の悩みは、きっとミィちゃんにしてみたら贅沢な悩みなのかもしれない。


「―――――決めた」


 シャワーを止めて立ち上がった私は、ミィちゃんに決心を伝える。


「私、マザーと話してくる!」


「…………………え、マザー?」


 お兄さんと話すんじゃないの? と戸惑うミィーナには苦笑だけを返し、シルビアは浴槽に入らずに風呂場を出る。


 ――お兄ちゃんのことが好きだ。


 だからこそ、マザーの気持ちも知りたい。

 マザーがどういうつもりでお兄ちゃんと接しているのか。






 何度目かの深呼吸のあと、シルビアは目の前のドアにノックした。

「どうぞ」との声に失礼しますと応えながらドアを開ける。


「――――やっぱり・・・・ここに来たのね・・・・・・・


 足を組んでソファにもたれかけるマザーの姿。

 お兄ちゃんの姿はない。……少し、ほっとした。


「……マザー。あの、こんな遅くに申し訳ありません。でも、どうしてもっ………マザーに聞きたいことがあるんです」


「あの子――グリードのことでしょう?」


 やはりマザーにはお見通しのようだ。

 頷いて肯定する。


「いいわ、話してあげる。全部。でも忘れないで?………話したところで・・・・・・・何も変わらない・・・・・・・変えたいのなら・・・・・・・―――『識る・・ことよ・・・


「?」


 マザーの言うことは、時々難しくてよく分からない。


「――さあ、まずはこの世界の“不条理”から、教えてあげましょう」


 ばさり、と鳥が羽ばたく音が聞こえた。

 その瞬間、シルビアの視界に映ったのは、闇だった。


 部屋を覆い尽くすほどの、大きな大きな漆黒の翼。


 都市伝説や、おとぎ話に出てくる――――それは紛れもなく、悪魔の姿だった。


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