4 バケモノ
【階候歴504年8月2日】
その日のメイドの仕事を終えたシルビアは、メイド服から私服へと着替える。そのときにカサリと何かを落とし、なんだろうと確認すると「あ」と声を漏らした。
それは小さな茶色い包み紙。
数日前の兄の誕生日に、渡そうとしていたプレゼントだった。
「……どうしよう、これ」
―――お兄ちゃんへの気持ちを自覚してから、気まずさから兄のことを避けていた。
何度かシルビアの姿を見て近寄ってくる兄から逃げて、お兄さん泣きそうだったよとミィーナが教えてくれていたが。
………でも、お兄ちゃんの顔見れないんだもん。
昔から、私を守ってくれていたお兄ちゃん。
優しくて頼りがいのあるお兄ちゃん。
大好きなお兄ちゃん。
だけど、お兄ちゃんにはマザーがいる。
血の繋がりはないけれど、それでも兄妹である私たちは――私には。
お兄ちゃんを愛する権利なんて、ない。
それでもこの気持ちは止まらない。湧き上がって、消えてくれない。
「はぁ………」溜め息を吐いて部屋を出る。気晴らしに散歩でもしようと屋敷から出た。
ぶらぶらと行く当てもなく町を歩いていると、教会の方からヒステリックな女性の声が響いていた。
気になって覗けば、一人の神父に縋りつく女の人がいた。
すごい形相だ。それだけ必死なのだろう。
「
ついには地面にへばりつき、むせび泣き始めた彼女に、周囲の人々が憐憫の目を向ける。
「可哀想に……。確かあの人の娘さん、クリスちゃんだっけ? あの子、難病なんですってねぇ」
「もう神頼みしかないんでしょうね。神様もそういう子に救いの手を差し伸べてくださってもいいのに……」
「……」確かに可哀想だとシルビアも思った。
でも―――仕方ないことだとも思う。
神様がいるかいないかは分からない。見たことないし。
だけど、存在したところで神様がみんなの思うような救いをもたらす存在だとは到底思えない。
「だって、私を救ってくれたのはお兄ちゃんだ」
神様じゃない。
地獄のようなあの日々を、終わりにしてくれたのはお兄ちゃんだけだった。
……お兄ちゃん。
シルビアが再び溜め息を吐いて踵を返したとき、ドンッと誰かにぶつかってしまった。
明らかに自分の不注意だ。
「ごめんなさい!」と慌てて謝罪すると――
「こちらこそ、ごめん―――――あ、あのときの……メイドさん?」
顔を上げると、金髪碧眼の少年が飛び出しそうなくらい目を見開いてシルビアを凝視していた。
――怖い!
思わず後退ると、ゴンッと少年の頭に拳骨が振り落とされた。
「怖がらせてどうする」
「ぅっ、い、痛ぇぇえええええっ!」
痛い痛いと泣き叫ぶ少年をどかし、黒いおかっぱの少女が「ごめんね」と謝ってきた。
「コイツ頭おかしいから気にしないで。――ボクの名前はレマ。君は?」
「し、シルビア、です……」
「――シルビアちゃんっ! なんて可愛いらしい名前! 自分はノーティスって―――ぶっ」
突然割り込んできた少年ノーティスに驚いて「きゃっ」と小さく悲鳴を上げると、次の瞬間には鈍い音と共に彼は地面に転がり、レマの革靴が彼の頭を押さえるように踏んだ。
「……何度もごめんね。シルビアさん、君に聞きたいことがあるんだけど、少しだけ時間大丈夫かい?」
「え、……あ、はい」
「君はこの町の領主マザーのことは知ってる?」
「は、はい。私、マザーの屋敷で働いてるので……」
「そう」レマと名乗った少女は、目を細めた。
「町の人たちはみんな、マザーに感謝してるそうだね」
「―――そうですね。数年前まで、この町は地獄でした。それを変えてくれた方ですから」
「……。もし、マザーが人間じゃなくてバケモノだったら?」
「おい、レマ!」
ノーティスが慌てたように声を荒げたが、シルビアはその“もしも”を漠然と考える。
もしもマザーがバケモノだったら。
「バケモノは倒されるべきだと、私は思います」
心の底から、そう思った。
「シルビアちゃーん! そろそろ門限だよー!」
そのとき、レマ越しにミィーナが手を振ってシルビアを呼んだ。
確かにだいぶ日も落ちて、いつの間にか町が暗くなり始めていた。
「失礼します!」ノーティスとレマに頭を下げてミィーナの元へ向かうと、さっきお兄さん見かけたよと教えてくれた。
「お兄ちゃん……?」
「うん、なんかすっごい顰めっ面だったけど、何かあったのかな?」
何があったか分からないが、機嫌が悪いのは想像つく。
シルビアに八つ当たりする人ではないが、とりあえず今日はやっぱり渡せないな、とポケットに入れたままのプレゼントに、本日3度目の溜め息を吐いた。
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